ロイ・フラーと川上貞奴と沼田一雅 1900年
ロイ・フラー(1862−1928)はアメリカのダンサーでモダンダンスと舞台照明技術のパイオニアである。
フラーは自分でデザインした独特な絹の衣装と照明を組み合わせ、即興的な振り付けで踊るダンサーである。
フラーはパリで活躍し、ダンサー、イサドラ・ダンカンなどの画期的な活動をする芸術家を支援した。日本の川上音二郎・貞奴の率いる一座を1900年のパリ万国博覧会に招いたのもロイ・フラーで、そのパリ公演を成功に導いた。川上音二郎一座はその頃世界巡演中であった。
私は2017年のサントリー美術館開館10周年記念、「フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年」でロイ・フラーの彫像も見てきました。
この展覧会では18世紀マリー・アントワネットの時代のものからナポレオンの発注した食器、そして20世紀の現代作品まで展示され、大変見応えがありました。
これはアガトン・レオナール(1841-1923)が製作したテーブルセンターピース「スカーフダンス」で、15体のダンサーで構成されたビスキュイの彫刻群像は、1900年に開催されたパリの万国博覧会で絶賛されたものです。
ロイ・フラーの映像が少し残っています。
2017年のサントリー美術館でも映像を公開していましたが、いくつか載せます。
私が今一番興味を持っているこの時代、1900年頃のことでもう一つ。
そのセーブル陶器の展示で知った、沼田一雅のことです。
沼田一雅の「お菊さん」は1904年作です。沼田がセーブルの工房に入ったのが1904年なので川上貞奴と関係づけるのは難しいですが、その頃は。
1867年のパリ万博には江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展した。江戸・浅草の商人が数寄屋造りの茶屋をしつらえた理、3人の柳橋芸者(おすみ、おかね、おさと)が独楽を回して遊んだり、煙管をふかしたりするだけの仕草が話題となる。高橋由一・宮本三平らの油彩、北斎・国貞・芳幾・芳年らの浮世絵、銀象牙細工の小道具、青銅器・磁器、水晶細工などが出品された。薩摩の焼酎も持って行っています。(wiki)
沼田一雅の製作した、着物で日本髪を結った女性像はピエール・ロティ(1850-1923)が1887年に書いた海軍将校のエキゾチックな愛を描いた「お菊さん」と同じ名前をしています。
この小説「お菊さん」は1904年にジョコモ・プッチーニが制作したオペラ「蝶々夫人」の元になっているとも言われています。
沼田 一雅(1873−1954)
日本の陶磁器彫刻家・工芸家.
福井県福井市出身。本名は「沼田 勇次郎」。竹内久一に彫刻を学ぶ。渡仏してセーヴル陶磁器製作所(現:国立陶芸美術館(フランス語版))にてセーブル焼、陶磁器彫刻の研究を行う。 1900年(明治33年)パリ万国博覧会で鋳銅「猿廻し置物」が1等金牌を受賞。 その後、東京美術学校教授、 1933年(昭和8年)からは帝展の審査員 等を務めた。また、日本陶彫会を結成し、その会長を務めた。1954年5月、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。(wiki)
川上音二郎、川上貞奴については日記にも書きましたが、
1900年のパリ万博での録音。声は音二郎ではないというが、最古の日本人の歌声とある。
オッペケペー節は川上音二郎の作。
川上貞奴の肉声
川上貞奴は日本が誇る大女優であった。
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