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19世紀末 パリ

19世紀末のフランスをチェンバロおよびチェンバロ音楽の側面から追求しています。
1882年の修復記録のあるパスカル・タスカンのオリジナル楽器(1769年製)から始まり、その後は楽器そのものは研究され、さまざまなチェンバロが複製、製作される元となりました。
その研究はバロック時代のチェンバロ作品の出版や演奏が主にパリ音楽院で行われ、当時の教授陣が加わっていました。

今、作品とともに教授陣のことを調べています。

1882年以降、1889年のパリ万博に向かって楽譜の出版、演奏、楽器製作など勢いを増していきました。
1889年のパリ万博ではルイ・ディエメによるチェンバロ演奏がお披露目されました。
その他に万博に向けてはどんな動きがあったのでしょう?
1889年には古楽器協会が発足され、組織としてより研究が進んでいきます。
アカデミーはもう少しまとめてから掲載しようと思います。

街ではさて、
ムーラン・ルージュはパリ万博の観光客を見込んだ肉屋のジドレールが興行師となって始めたと伝えられる。ロートレックが通い詰めたことでも有名です。エルビス・プレスリー、フランク・シナトラも出演したようです。
1944年、パリ解放の年には、エディット・ピアフとイヴ・モンタンも出演。

ムーラン・ルージュ  ラ・グリュ(1891)は踊り子ルイーズ・ウェヴェールで有名

ムーラン・ルージュは第一次第二次世界大戦の間も営業していました。


ルイーズ・ウェヴェールとシルクハットの男性「骨なしヴァランタン」は名物ダンサー
(ネットから拝借しました)


骨なしヴァランタンによる新入りたちの訓練(ネットから拝借しました)

 ムーラン・ルージュ 1952



ロートレックが通い詰めたモンマルトルのキャバレーです。




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