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チッカリングの楽器

アーノルド・ドルメッチ(1858~1940)は古楽復興の立役者の一人で、楽器製作家、演奏家、音楽学者です。フランスのル・マンでピアノ製造業を営む家庭に生まれました。ベルギーでヴァイオリンを学び、ロンドン王立音楽大学で学び、イギリス・ロンドンのダリッジ・カレッジで音楽教師になるといった広範囲にわたる活動をしてきました。
大英博物館で歴史的な楽器の目にし、古楽器に興味を持つようになったというところがとても重要です。
ここからは楽器製作家として活動が始まります。
1893年のリュート製作を始めに1905年にはボストンのチッカリング社でハープシコード製作を指導します。1911年にはフランスのガヴォー社でクラヴィコードとハープシコードを製作します。1914年以降はイギリス・サリー州ヘーズルミアで楽器製作所を開設し、古楽器の復元を行っていました。ヒストリカルの復元を元にドルメッチ製のハープシコードを製作しました。
チェンバロ奏者のヴァイオレット・ゴードン・ウッドハウスとの出会いが新たな楽器への考察につながっていきます。
この話はまた後ほど。

さて、チッカリング社についてですが、1823年にマサチューセッツ州ボストンに創業したピアノ製作会社です。ジョナス・チッカリング(1798~1853)の父は鍛冶屋であり元々キャビネット製作家であったジョナスは家具作りから楽器作りになるのは簡単だったのでしょうか?
アメリカで最初のピアノというのがイギリスから運ばれたときにその修理にジョナスが関わったことでその才能を認められたという話がありました。(真偽は定かではないようですが)
チッカリングの経営は紆余曲折が有り、1852年にチッカリング&サンズに名称を変更、その後、工場の火事に見舞われる。最終的には1853年のジョナスの死後、長男が引き継ぎ、次いで次男のC・フランク・チッカリングに引き継がれます。
1867年のパリ万博に出品し最優秀賞を得る。
フランツ・リストによって賞賛された。
現在はエオリアン・アメリカン・カンパニーに吸収去れ、経営陣からは退いている。

長々とチッカリングについて書きましたが、ドルメッチによって指導製作された楽器はチッカリング社のHPで観ることが出来ました。


1908年製
F~f3
8×2
4×1
6本のペダル(8+8+4+8buff+8buff+カプラー)
鍵盤周りにはストップがありません。
オリジナルチェンバロでは中央にリュートストップがあるのですが、それもありません。すべてペダルで操作するようです。

ノイペルト・バッハモデル


またモダンチェンバロとの比較ではモダンは鍵盤周りにリュートストップがあるものがほとんどです。またペダルではこの楽器のようにレジスター交換が出来るようになっています。
1909年にチッカリングは吸収されてしまうので、もう最後の作品に近いですね。


参考にバッハが弾いたであろうとされている16フィートの弦付きチェンバロ。
モデル名:ツェル/ハス モデル(Zell/Hass 1754)
製作者:マティアス・クラマー Matthias Kramer's (ハンブルグ、2008年製)

福島県いわき市に所蔵されている楽器です。
これは鍵盤の両脇にスライドさせて16フィートを入れる仕組みになっています。先のモダンチェンバロやチッカリングのようにペダルはありません。
いろいろなスタイルがあります。

この楽器に関してはここにまとめていました。




woodhouse

Violet Gordon-Woodhouse (1872 ~1948)はイギリスの最も重要な演奏家です。この楽器は何だろう?
彼女の活躍はまた書きますが、素晴らしいラジオ放送が残っていますので貼ります。

この楽器は何だろう?
先のチッカリングとは少し違いますね。
調べます。

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