見出し画像

映画レビュー『ザ・サークル』

自己表現5本目。


だいぶ自分の心情を描写するという行為が様になってきたなぁと感じている今日この頃。
(そう思ってるだけなのかもしれませんがここはご愛敬で。)



さてさて、
何事もやりすぎはいけない、とよく言ったものですが、
この映画「ザ・サークル」はまさしくその「やりすぎ」がもたらす危険性を描いた作品でした。


主人公はエマ・ワトソン演じる「メイ・ホランド」という女性。
エマ・ワトソンは『ハリー・ポッターシリーズ』でハーマイオニー役をやられていましたね。

この物語はメイが友人の仲介でIT企業の「ザ・サークル」に入社するところから始まります。


メイは真面目な性格で、前職でクレーム対応の経験があったため、新人でありながら高い評価を得受け、社内でもプレゼンスを獲得していく。

この「ザ・サークル」という会社、GAFAとTwitterを組み合わせたような企業で、外から見ると要塞、というか宗教施設のようです。

社内にレストラン、映画館、公園、スーパーマーケットなどが建設されていて社宅まではバスでの送迎。外に出なくても生活ができる。

いやむしろ、外の環境と意図的に遮断された環境であるかのように思われる。

ピクサーとかGoogleにもバスケコートがあったり、映画館があったりするんですが、これはちょっと違うような気がしました。


ザ・サークルは世界中の至るところに小型カメラを設置し、自社で作り上げたソーシャルメディアで自分の情報を晒させ、不正のない社会を目指すべきだという主張を展開する。

その主張に賛同した政治家や実業家はザ・サークルに共鳴し、全てのメールや通話を晒すことで信頼を得ていく。

彼らの支持拡大の背景には政治家の汚職や、経営者の脱税があり、ザ・サークルに参入したセレブたちは瞬く間に人々に受け入れられていく。


人が良からぬことを考え実行に移すのは人に見られていない、という自意識があるから、というのがザ・サークルのCEO「イーモン・ベイリー(トム・ハンクス)」の主張です。


それはまぁわかるんですよ。
ただ、あらゆるところにカメラがあれば悪いことはできないだろうというのはいささか暴論ですよね。

悪いことではなかったとしても人に知られたくないことってあったりするわけで。
(趣味とか性的嗜好とか含めた自分の生活が全て記録されるのは嫌ですよね。)


そんな懸念はどこ吹く風。
ザ・サークルの事業はどんどん拡大し、メイも理念に共感して自ら広告塔として事業の体現者となっていく。

そんななか、メイが実家に贈られた鹿の角でできたシャンデリアをザ・サークルのSNSに投稿したことで歯車が狂い始める。


このシャンデリアはメイの幼馴染み「マーサ(エラー・コルトレーン)」が作ったものなのなのだが、これが「殺戮の産物だ」「鹿殺し」などと謗りを受け、炎上してしまう。
(実際はマーサは鹿を殺してはいなかった。)


この事件でメイはマーサと衝突してしまう。


マーサはザ・サークルのサービスは危険だと警告するがメイは耳を貸さない。
というか物事の判断ができなくなっているのでは、と推察される。


メイは私生活を全てカメラで記録し、世界中に自分の姿を晒すことを発表する。

この時点でもうやりすぎ。
人は盲目になるとちょっと考えればわかるようなことでも判断を誤ってしまう脆弱さをうまく表現していると感じました。

結婚詐欺や、新興宗教、殺人教唆などもそういうちょっとしたボタンの掛け違いなのかもな、と思わずにはいられなかったです。


メイの主張は過激化していく。
選挙をザ・サークルが監視し、投票しないものには罰を与える。
その罰則も罰金であればザ・サークルのサーバー上で支払えるようにする。
たぶん独占禁止法違反です。

挙げ句、犯罪者や逃亡者をザ・サークルのユーザーが付けるカメラで探し出し、捕まえるというシステムを生み出してしまう。

実験を兼ねたプレゼンでメイはユーザーの協力を得て見事に犯罪者を逮捕することに成功する。


2度目の実験で探すターゲットを募ると、
ユーザーからは「マーサを探してほしい」という声が上がる。

以前衝突したことを気にしていたメイは躊躇うが、
ベイリーのゴーサインでマーサの捜索が始まる。


10分と経たずにユーザーはマーサを見つけ出すが、
何が起きているかわからないマーサは自分を追いかけてくる異様な人々に辟易し、逃走する。

そりゃそうですよね。
なにも知らない状態でカメラ持った見知らぬ人が追いかけてきたら誰だって気味悪がります。
それが善意だったとしても、むしろ悪意がない分、タチが悪いです。


マーサは逃げる途中で車ごと橋から落下し、事故死してしまう。



その様子をカメラ越しに見ていたメイは精神を病み、そのまま休職する。



メイは数日間うちひしがれて暮らすが、両親や旧友の助けを借りてなんとか立ち直った。

ここでやっと洗脳が溶けます。
私生活を人に晒すということは、周囲の人間のプライベートも他者に晒すことだと身を以て知ったのです。


そんな苦痛を味わったメイだが、再びザ・サークルに戻る決意をする。


悪いのは人ではなく、人が誤った判断をしてしまうシステムのあり方である、という結論にたどり着いたメイは元創設者の力を借りる。

ザ・サークルを利用してプライバシーを侵害し、そのデータを金儲けに利用しようと企んでいたベイリーたちにメイは反旗を翻す。


今度は自分達がザ・サークルを通してプライベートを晒されることとなったのである。


メイたちはより良いサービスの創造を目指し、
ザ・サークルで今日も仕事を続けていくというラストでこの物語は幕を閉じる。



ストーリーの方向性としてはちょっと無理がある気もしましたが、
IT業界(というかベンチャー企業)ってCEOのカリスマ的な気質が宗教性を帯びることありますよね。

むしろそういう結びつきってITみたいな人間の性質から解離したサービスにこそ求められるのかなと感じました。


長くなりましたので今日はこれまで。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?