見出し画像

31. ヴィエラの子供たち、ヤン・ペトル・イジー(名前)

菅寿美(『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』訳者)


さて、表題のヴィエラとはオタの妻である。妻の子供たちなら夫であるオタの子供でもあるだろう? といぶかしまれるかもしれないが、ここには微妙な事情がある。

息子のヤン、ペトル、イルカもぼくの隣に座り、ジーゼクを釣る。
(「来いよ、入れ食いだぞ!」より、p.147)

オタは三人の息子たちを「ヤン・ペトル・イルカ」と呼んでいる。ここで三男の呼び方に注意していただきたい。“イルカ”、とは男性名“イジー”の愛称だ。本来なら、「ヤン・ペトル・イジー」と紹介すべきところを、オタは三人息子のうち、兄たち二人を公式名称で、末っ子だけをさりげなく愛称で挙げていることになる。

チェコでは親しい人を呼ぶときには、愛称を用いることが多い。幼い子供に対しては、おそらく、そんなに親しみを感じていなくとも愛称で呼び、家族や友達どうしならば、むくつけき大男でも愛称で呼ぶ。オタはなぜ長男および次男に対し、三男の呼び方だけを変えているのだろうか?まず考えられるのは、三男が当時小さかったからである。あるいは末っ子であるがゆえに、いつまでも幼少時のイメージが強かったからかもしれない。しかし、それに加えてこの三兄弟には少し微妙な事情がある。兄二人は妻ヴィエラの連れ子であり、末っ子のイジーだけがオタとヴィエラの間にできた子供なのだ。もしかすると、オタが新しいお父さんとなったとき、長男と次男はもうしっかりとした自我を持った男の子となっており、新しいお父さんは彼らを愛称で呼ぶよりも、一人前の男として接しようとしたのかもしれない。もしかすると、愛称で呼ぶのにためらいを感じさせる、かすかなわだかまりがあったのかもしれない。

いずれにせよ、オタが、ヤン君とペトル君を、イルカちゃんとはやや区別して扱っていたのではないかということが呼び名から漂ってくるくだりである。

と推論を重ねてきたが、実はオタは、血のつながった自分のふたりの兄たちを“フゴ”と“イルカ”と呼んでいる。つまり、ここでも次兄のイジーだけを愛称“イルカ”で呼んでいるのだ。これはいったいどういうことだろうか?

もしかすると、“イジー”という音の並びはやや発音しづらく、“イルカ”と呼ばれがちなのかもしれない。イジーはJiříと綴り、例のチェコ語特有の子音「ř」を含む。大人のチェコ人は「ř」をことさら意識せずに発音しているが、その発音を自然習得できない子供もいることを考えると、この音を発するには他の音よりもコストがかかっているのは確かだろう。愛称で呼ばれがちな名前と音の並びとの関係を調べるのはおもしろそうだ。

チェコ人にとって“イジー”が発音しづらいかどうかはさておき、日本人である自分にとっては、最も発音しにくいチェコ人名のひとつであるのは間違いない。今後、どこかでイジーさんと出会う機会があったら、極力、顔見知りならないようにするか、あるいは一足飛びに“イルカ”と呼べる友人になるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?