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28. マジパンの祭り(文化)

菅寿美(『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』訳者)


それは、年に一度のマジパンの祭りのように、年に一度あるだけだった。
                                                       (「金のウナギ」より、p.177)

マジパン(marcipán)とは、アーモンドの粉に砂糖を混ぜて練ったペーストあるいはそれから作られるお菓子のことを指す。アーモンドが主原料だが、炒ったアーモンドの香ばしい香りではなく、ビターアーモンド特有の甘酸っぱい香りがする。ヨーロッパのチョコレートの中には、しばしばマジパンが詰められているし、ドイツのクリスマスの焼き菓子、シュトーレンにも使われている。マジパンの細工物をプレゼントする習慣もあるとのこと、ヨーロッパでは今でもマジパン菓子に根強い人気のあることがうかがえる。

さて、そのパン祭り、ではなく、マジパンの祭り(marcipánové posvícení)とは何であろうか? みんなでマジパンを食べるお祭り? マジパン感謝祭? あるいはアーモンド農家の収穫祭だろうか?

プラハ近郊出身の方に尋ねても、地方在住の若者に尋ねても、「マジパンの祭り」など聞いたことがないと、簡潔にして明瞭な返事が返ってきた。なかなか実態がつかめず困りきっていた時に、情報をくださったのが、北九州からターボル(Tábor)に嫁いでいった S さんだった。

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マジパンの祭りとは、チェコの田舎で行われていた、キリスト教の伝統的な祭礼のことである。村ごとに独自のしきたりがあった。基本的に週末の二日間をかけて行われ、1.教会のミサへの参列 2.神父からの祝福 3.楽しい楽しい大宴会、という三部構成だった。当時は美味しい甘味の入手が難しかったが、マジパンは手に入ったので、それを使っていろんな形のお菓子を作り、祭りの雰囲気を盛り上げていた。そのため「マジパンの祭り」と呼ばれたのだろう。

ターボルを一例に挙げると、農業の繁忙期が終わるころを見計らって一つの家に親戚がみな集まる。その時期はたいがい夏休みが終わるころ(第四日曜日)で、ちょうどポウチ(pouť)というチェコの移動式遊園地が巡回してきていたので、その祭礼もポウチに合わせて催すのが一般的だった。当時、祭礼の日は親戚一同がそろって教会にお祈りに行くのが義務であり、ポウチは教会の近くで開かれるのが習わしだった。その伝統も、30、40年前から自然に消滅していき、今ではマジパンの祭りを知らない世代も多い。
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S さんのチェコ語の先生およびお義父さまからの貴重な情報である。この情報のご提供により、ようやく「マジパンの祭り」なるものの実態がつかめたと胸をなでおろした。都市部出身のチェコ人や若い方が知らなかったということも腑に落ちた。

しかし、しばらくして、新たな疑問がわいてきた。アーモンドは比較的温暖な地域の作物である。ヨーロッパでも栽培されているものの、主たる産地はスペインやイタリアの地中海沿岸域だ。そして今でも決して安価なものではない。「美味しい甘味の入手が困難だった」ころ、年に一度の祭りとはいえ、中欧チェコスロヴァキアでアーモンドを大量に手に入れ、ふんだんに消費することが可能だったのだろうか? 何より、近隣で栽培していない農産物が、農村の祭りを代表するご馳走の主原料となるものだろうか?

そこで、いただいた情報を足掛かりにしつつ、再度調べてみたところ、かつてチェコで“マジパン”と呼ばれていたものは、小麦粉とハチミツあるいは砂糖で作った焼き菓子であったことがわかった(文献1)。チェコではクリスマスやイースターのときに、独特の香りを持つスパイスが入ったペルニークというクッキーやケーキを作る伝統がある。売店でも、さまざまな形に成形され、砂糖衣で繊細な装飾が施されたペルニークが所狭しと並べられ、見ているだけでも楽しい。このペルニーク、かつてはライ麦粉が主原料であったためこげ茶色をしていたのだが、それに対してマジパンは小麦粉がベースであり、かつ浅く焼かれていたため白っぽかった。そこで“白いペルニーク”とも呼ばれていたようだ(文献1、2)。ライ麦粉や小麦粉を主原料としたさまざまな焼き菓子で祭りを華やかに盛り上げるというのは、現在に伝わるチェコの文化とも整合的でしっくりとくる。

今では、チェコでも“マジパン”といえば、まずアーモンドと砂糖の練り菓子を指すようだ。お祭りでもアーモンドペーストのマジパンでできたカラフルなお菓子が売られているようだ。なぜかつてはペルニークの一種を指す名称だったのか、いつからいわゆる本物のマジパンに移り変わっていったのか、残念ながらはっきりとしなかった。

マジパン入りのチョコレートは大好きだったのだが、チェコのマジパン事情の奥深さに、“マジパン”と聞くとすっかり身構えるようになってしまった。


文献
1 O staročeském perníku a marcipánu. https://conovehonakopci.cz/2011/12/pernikovy-special/
2.Lenka Fiebichová (2007): České svátky a tradice. https://is.muni.cz/th/kpann/


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