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江戸時代からやってる酒屋の角打ち@鈴傳(四谷)

 四谷といえば、浪人時代、たい焼きの名店「わかば」のすぐ裏にある腐れ予備校に通っていた。実際はその手前にあるパチスロパーラー「コメット」に朝から吸い込まれる日々だったが。新宿の通り道としてスルーされがちな四谷だが、私には馴染み深い街だ。

 そんな四谷の街に、黒船ペリーさんが「国を開けなさーい!」と港から叫んでいた1853年(イヤゴザ"1853"ったなペリーさんの語呂で覚えたさ)よりも前からやっている酒屋がある。
 私が負け続けた「コメット」の裏通りの角にある『鈴傳』。創業は、な、な、なんと1850年! 嘉永三年というからゴリゴリの江戸末期だ。以来、150年以上、呑んべいたちに酒を振る舞い続けてきた。
 鈴傳の売りは、なんといっても地酒。北海道から九州まで全国各地の日本酒がそれこそ数え切れないくらい並んでいるのだ。そんな日本酒の森を横目にレジを通り過ぎると、いきなりエル字型のスペースが目の前に広がる。『スタンディングルーム鈴傳』。なぜ英語なのかは謎だか、要は角打ち。東京における立呑の草分け的存在だろう。
 店内は、中央にカウンターを構え、壁際に2人から4、5人用の小さなテーブルがある。何気に背もたれのパイプが嬉しい。

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 まずは瓶ビール大(500円)。東京のど真ん中にして素晴らしい価格だ。本来「センベロ」とは、この瓶ビール大が500円を切るかどうかだろう。もちろん千円で店を後にしたことなど、ただの一度もないが。
 支払いはカウンター脇。その横のガラスケース周りにおつまみが並ぶ。刺身、サラダ、煮物など。聞けば火曜日は名物牛すじ、水曜日はレバー、私が訪れた金曜日は煮たまごと串カツといった感じで日替わり物もある。特筆すべきものはないが、どれも丁寧に手作りされているので大満足。むしろ過剰に手の込んだものを作られて高くなっては困る。それが立ち呑みの嗜みというものだ。

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 瓶ビールの後は、いよいよ日本酒。角打ちなので、隣の森から一升瓶を買ってきて、ラッパ呑みしてももちろんOK。だが、出禁になる覚悟ができるほど通っていないので、ここはレジで正味1合ずついただく。レジで注文するとおつまみ同様、愛嬌満点の店員さんが席まで運んできてくれる。
 何を呑んだか覚えていないが、興が乗ってきたので、カウンターで一人呑んでいる常連に声をかけてみた。

「酒屋さんは江戸時代からやってますよね。こっちの立ち呑みも200年くらいやってるんですか?」

 もはや酔いはじめている。酒屋とて、200年はやっていない。

「そんなわけないでしょ(笑)。元はね、その昔、大蔵省がこの辺にあったのよ。で、そこの役人さんたちがお酒を呑む場所が欲しいって、はじまったそうだよ」

 さすが常連。聞かれ慣れているとみた。

「で、大蔵省が虎ノ門の方に移ったのよ。それで、鈴傳も虎ノ門に支店があったんだよね」

 なんと! あとで調べてみたら、虎ノ門店は2008年に建物の老朽化のため閉店するまで元気に営業していた。知らなかった。ただ虎ノ門の支店は椅子がちゃんとある大衆酒場スタイル。お役人さんたちも軟弱になったのだろう。

「で、結局、ここはどんくらい前からやっているんですか? 戦前ですか?」

 常連のペースになりそうだったので、あらためて聞く。大蔵省といったって明治元年からあるのだから。

「いやいやいや(笑)。戦後でしょ。5、60年ってとこじゃない。ま、私は40年以上通ってるよ」

 東京最古!とまでは言えないかもしれないが、店内は昭和の面影が十分残り、店員さんたちの愛想もよく、居心地は抜群だった。浪人時代にこの店を味わっていたら、せっかく覚えた年号も公式もすぐに忘れていっただろう。

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