【イラン10】トイレから出られない
ラームサルで温泉に入った後、テヘランへ戻るため、バス停を目指して歩いていたら、「日本人ですか?」と話しかけられた。なんと静岡で4年近くも学校に通って日本語を勉強したというイラン人の男性。
イラクとの戦争で、自分の大学はめちゃくちゃになった。それで希望を持って日本へ渡った。イランに帰国して14年も経つのに、その日本語はかなり流暢。現在はカメラ屋とレストランを経営していて大成功しているそうだ。立派だ。
今の自分があるのは、日本のおかげだと感じているらしい。本人の才覚と努力の賜物だと思うが、日本語を忘れないためにも、ぜひ手紙を欲しいという。なんでもビザの関係で、日本人の旅行者も減り、会うのは2年ぶりとか。そりゃ空港で取れるか取れないかじゃ誰もこないだろう。
彼曰く、ここのバスターミナルからはテヘラン行きのバスはないとのこと。山道が細く、まだ雪が残る今は、片道だけらしいのだ。帰るのは明日になると。どうしてもなら、ミニバスでまたラシュトへ戻るしかないそうだ。
夜中にテヘラン行きのバスがあるが、そのターミナルは街の中央にあるそうだ。教えてくれて助かった。お礼をして、街のターミナルへ向かった。
時間はたっぷりあるので、途中、公園のベンチで休憩していると建築家というおじさんに話しかけられた。
「イラン政府は、最悪だ。彼ら3人の指導者がアッラーは絶対だ、それ以外は認めないとしているから、いろんなことがおかしくなるんだ」と憤る。
アナキストか。でも市民レベルでは不満も一杯だろう。
「そのせいで私の友人は精神を病んでしまった。君の国にだって自由に行くことができない。おかしなことばかりだ」
大学で教鞭もとるその口調はかなり厳しい。こんな不満も外国人くらいにしか漏らせないのだろう。日本は本当に自由だな。幸せだ。
まだまだ時間もあるので夕食へ。
ケバブ入りのサンドイッチ。街でも評判の「グランドファーザー」。若いお客さんが多く、みんなピザやハンバーガーを食べていた。
なんだかんだ欧米文化はガッチリ入っている。
食事も終わったので、店でトイレを借りた。ここで事件が起こった。
何かの弾みで鍵が壊れてしまったようで、まったく動かなくなってしまったのだ。いくら鍵を回しても、ドアが開かない。
つまりトイレに閉じ込められた。
微かにあるドアの隙間から、10分くらい「ヘルプ!!」と叫び続けたが、誰も気づいてくれない。
ポケットから出て来た1リヤル硬貨で内鍵がくるっと回ったのだが、外鍵はピクリともしない。
やばいなーと焦っていたら、少女4人組がトイレに入って来た。
「ヘルプ!!」と連呼するが、年頃の女の子たちは鏡に夢中で、なかなか気づかない。
ようやく1人が、「なんか声しない?」と気づいてくれて、「え、この中?」「誰かいるの?」と外から鍵を開けてくれた。
トイレから出て来たのは、東洋人のおじさん。
登場するなり合掌して感謝を表したら、箸が転んでも笑っちゃう少女たちはもう大喜び。わー、きゃーと大騒ぎだった。
しかしとんだ災難だった。
テヘラン行きの夜行バスは1時45分発。幸いターミナルは2時まで空いている。受付の女性2人もとても親切。
「寒いから、このオフィスの中でバスを待っていてもいいですか」とお願いしたら、「もちろん!」と笑顔。風が吹き込まないようにドアをきっちり閉め直してくれた。
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