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【イラン1】誇り高きペルシャの大国

ブラック企業の勤務も5年となり、休みも少し長めに取れるようになった。

今回はイランだ。

南麻布のイラン大使館に行くと、「ここではビザを発給していません」という。

子供の頃は、イラン人といえば、偽造テレカを売り捌いたりと悪いことばかりしているイメージだった。

それもこれも入国ビザがユルユルだったからなのだが、そんなイラン人へのビザ発給を日本側が締め付けたので、対抗してビザ発給をしなくなったというのだ。

「イランの空港で取れるかもしれないし、取れないかもしれない」

すごいことを言う。

イランまで行って、取れなかったらどうすんだ。まあダメだったら、そのまま隣国を旅しようと思い立ち、イランの首都テヘランへ旅立った3月下旬の春休み。

ビザは空港ですんなり所得できた。イラン国内での連絡先を問われたが、最終的にはホテルでOKとのこと。旅行好きの無害な日本人を突き返す理由にはならないだろう。

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空港から首都テヘラン市街までは舗装されたハイウェイ。真夜中過ぎにもかかわらず、街は電飾で煌びやかに彩られている。衛生面はかなりレベルが高い。乾燥していて肌がカサつく。喉が乾く。

パキスタンより遥かに近代的だ。これがオイルマネーのパワーか。

目当てのホテルに、午前3時にチェックイン。50ドル。アメリカと仲が悪い割に、ホテルはドル払い。しかしVISAカードは使えない。矛盾している気もするが、このせいで後々相当痛い目に遭うことに。

ホテルは予想以上に綺麗で、高級ホテルといえなくもないほど。朝食はバイキング方式で、ちょっとリッチな気分だ。

昼にチェックアウトし、南バスターミナルへ。

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途中まで地下鉄に乗ったが、これも自動改札で田舎の鉄道よりよっぽど進んでいる。

地下鉄を降りてから、道に迷ったが、聞く人、聞く人、みんな親切。日本語を話せる人も少なくないが、ぼったくる気配もまったくない。

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ただ一つ困ったのが、英語が全然通じない。日本並みかそれ以下だ。ホテルはネットが使えるパソコンも日本語OKだったが、街の看板表記はすべてペルシャ語なので、国際電話のかけ方もわからない。数字すらわからない。

ただ、街の雰囲気はいたって穏やか。渡航前の不安はほぼ消え去った。

歴史と宗教に裏打ちされた自負を強く感じる。

身勝手なアメリカが名指しするテロ支援国家というより、アメリカに屈しない誇り高き民族。アメリカにはない圧倒的な歴史は、人々の顔立ちに趣を与えている。

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15時発のバンダレ・アッバース行きのバスを待つ。ホルムズ海峡北岸に位置するイラン南部の港町。20時間の長旅だ。

今日からイランは春。新年を迎えるハッピーデイとのことだ。

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