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【東南アジア13】ベトナム、エクボの謎
ホーチミンも若い日本人の旅行者であふれていた。
朝、ベトコンバンクでトラベラーズチェックを現金化し、ファングーラオ通りの裏手でフォーを食べていたら、日本人二人組がやってきた。
話していくと関西の有名私大の学生さんだった。1人は30過ぎで2年生。こういう人と話すと自分は平凡な人生を歩んでいるなあーと感じる。
「ここのフォーは評判なんですよ」という初フォーは、あっさりした出汁が美味しく、朝ごはんにぴったりだ。どことなくポトフに米粉麺をぶち込んだようにも感じるのはフランスの残り香かもしれない。
その後、シンカフェで、ベトナムの古都フエまでのバスのチケットと明日のメコンデルタツアーを申し込んだ。
この時もまた対応してくれた女の子が、僕のエクボをニコニコしながら何度も指差してきた。悪い気はしないが、なんとも奇妙だ。
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その後は、戦争証跡博物館へ。
20年近くにも渡って繰り広げられた勝者なき戦争。
米ソの代理戦争とも言われたが、間接的に関わった日本についても記録されていて、暗い気持ちになった。
枯葉剤の影響で生まれた奇形児たち。
逃げ惑う全裸の子どもたち。
広島の平和記念資料館同様、ここにきてもまだ戦争は必要だと考える人はいるのだろうか。
フォトジャーナリストは決してなくなってはいけない職業だし、AIにはできない仕事だと思う。
近くの食堂で昼飯を食べていたら、店の人たちが親しげに話しかけてきた。ここでもやっぱり、のっけは僕のエクボを指差してニコニコ。
東南アジアでは、エクボは幸せを運ぶサインか妖怪か何かなのだろうか。知りたい気もするが、謎のままにしておく。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31656549/picture_pc_061fa7ed8c927c898b233df256b2f577.jpg?width=1200)
午後は、動物園。
7000ドン。50円くらいだ。
とても広い。かつホーチミンまで来て特に目玉もいない動物園に来ている外国人なんてほとんどいないようで、かなり奇異な目でみられた。
暑すぎて動物もぐったりしているが、時折ある木陰は気持ちよかった。
動物園を出て、宿まで歩いているとベトナム人の学生さんに話しかけられた。
どこからきて、どこへいった、などなど質問攻めで宿までついてきて、夕食を一緒にとろうという。
小柄の痩せっぽちなので、体力的に負ける気もしないし、何かあっても走って逃げれば大丈夫だろうと誘いに乗ることにした。
杞憂だった。彼は外国人と交流を持ちたいとうだけの紳士的な男で、夕食もきっちり割り勘。疑って失礼した。ただ英語が堪能すぎて、3時間くらい話していたが、半分も聞き取れなかった。
手紙を書くよ! と笑顔で別れたが、帰国したら本当に彼から手紙が届いた。英語の教科書のような文面で内容のない手紙だったが、返事を書いたら、律儀に彼から返事が届いた。えらく喜んでいる風だったので、これで僕の役目は終わったとして、もう返事を書くことはなかった。ごめんね。
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