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汚トイレの啓示@バングラデシュ

世界で唯一日本より人口が多く、かつ人口密度の高い国。

確かバングラデシュはそんな国だったと思う。2002年から2003年の年越しを過ごした。

飛行機から見下ろした首都ダッカの街は、曇りでもないのに視界がひどく悪かった。

入国審査は誰も並ばない。スター選手にサインをねだるように、パスポート片手に「次、俺! 次、俺!」と手を伸ばす。運良く審査官に取り上げてもらえれば、無事スタンプをいただける。

手荷物検査も気が向いたら、「お前、カバン置いて」と言われるくらい。外国人の99%がスルーパス。アジア最貧国でテロを起こしたり、麻薬を持ち込んでも仕方ないのだろう。

ダッカの街に一歩足を踏み入れると、世界最悪と言われる大気汚染の原因がすぐにわかった。中古の中古の中古みたいな車から吐き出される質の悪い排気ガスだ。日本の幼稚園バスも園名が残ったまま、くたびれた姿で走り回っている。

雨が降るとすぐ洪水になる脆弱な国土は、極端に人の暮らせる土地が少ない。必然、首都ダッカに人が集まっている。凄まじい数の人間を運ぶのは、主にバス。バンコクをも上回る交通渋滞を引き起こしている。

「この国の車を全部プリウスにすれば、世界規模の大気汚染も多少はよくなんじゃねーか」

そんな無責任なことを考えながら、ダッカからチッタゴンへとバスで移動。さらに南下し、世界最長の天然の砂浜のあるコックスバザールでは、迷い込んだ村で20人くらいの子供たちに囲まれた。

私がケツの座りを直しただけで、「おー!」みたいな笑い声が上がる。しかしそれ以外は無言。おそらく英語を話せないのだろう。ただ目が合えば「クスクス」っと笑顔を返してくれる。誰も言葉を発しないまま数十分を過ごしたが、居心地は悪くなかった。

さらにバスで南下し、ゴミ溜めの町・ケフナフで船に乗り換える。50kmほど海を漂い、バングラディシュ最南端の地、セント・マーティン島へ渡った。

ニューイヤーらしく海岸沿いに色とりどりの旗がはためく中、島には50年前から何も変わっていないような日常が佇んでいた。

何の前触れもなく、突然、便意が襲ってきた。

汗に脂が混じりはじめる。目を血走らせながら、浜を歩く村人を見つけ、エガちゃんの「がっぺムカつく」みたいなウンコのモーションジェスチャーでトイレの場所を聞く。示された方には、砂の小山に高さ50センチくらいの低い木の囲い。子供用の脱衣所みたいな感じだ。

その囲いへ走り、中に入った瞬間、上のお口から大便が出そうになった。

ウンコの上にウンコ、その上にウンコ、その上にウンコ、その上にウンコ、、、果てしないウンコのミルフィーユ。

「ヌーー」

糞尿を注ぎ入れるはずの穴からはウンコが溢れ、まさに足の踏み場もない。

なぜもっと穴を深く掘っておかないのか。いや穴の深さが問題ではない。処理してないのだ。だから溜まる一方なのだ。

クソにまみれながら、さらに自らクソを注ぐという超マゾヒスティックな行為に、

「2003年はいい年になりそうだな」と確信した。

その予感通り、その年、人生を変える出来事が起こり、翌年早々、私は新聞社を退社。就活時には予想もしていなかった人生を歩むことになる。

汚トイレを脱出し、フラフラ歩いていると、旅人が珍しいのか、 1人また1人と子どもたちが集まってきた。そして私の周りをぐるぐる駆け回り、我先にと島中を案内してくれる。

御一行状態で島を練り歩く私。そんな姿を笑顔で見送る島民たち。

何もない退屈な島だったが、「ありがとう!」と子供たちにお礼をすると、笑顔で手を出してきて、「マネー!」とガイド料を請求された。

2003.01 Saint Martin in Bangladesh

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