【イラン11】乗れなかった帰国便
朝8時テヘラン着。到着した北ターミナルは、高級バスVOLVO専用らしい。周りの街並みも都会的で、高級住宅や大使館、大きなビジネスビルとテヘランの最先端を感じさせる。
その向こうには、4000メートル級の美しい山々を臨め、テヘランの街を国民が自慢したくなるのもうなづける。
帰りのフライトまでまだ時間があったので、博物館へ寄る。そこそこ特徴的だったが、またもや金の残りが少なくなってきた。
一応サラリーマンなので、形だけでも会社にお土産を買わないと、と思いバザールへ。
話しかけてきた絨毯屋曰く、このバザールには2000の店があり、毎日1万人が買い物をするらしい。その巨大市場で、キャンディを2袋とタバコ2箱を買う。500円弱。
最後の食事は、イラン料理をと思ったが結局サンドウィッチに。
そして乗合タクシーで空港へ。
イランはある意味でカルチャーショックだった。パキスタンのように女性が顔を隠し、街に出ることさえ珍しいのかと思ったが真逆。
チャドルこそしているが、多くの女性がお洒落を楽しみ、社会進出をしている。恋愛も自由に見える。旅人のこちらにも積極的に話しかける。渡航前に抱いていた閉鎖性はほとんど感じなかった。多民族国家らしく、ハリウッドでも通用しそうなルックスの女性も多かった。
一方で、対米への感情はタクシーの運ちゃんレベルでも持っていた。旧アメリカ大使館の落書きも結構なものだし、そもそも消さずに残しちゃっているのがすごい。検問で味わった高圧的な態度には、テロ支援国家という言葉がよぎった。
ただ、総じて、みんな親切で、美しく、歴史があり、憧れるくらい誇り高く、魅力あふれる国だった。
さて、空港でいくら待っても、フライトのアナウンスがない。ボーディングボードにも表示されない。
おかしいなーと思い、インフォメーションに聞きに行くと、「あなたの乗るモスクワ行きのアエロフロートのフライトは無くなりました。明日に変更になりました」という。
嘘でしょ。直前に変更なんて、そんなことあるのか。
何度確認しても、今日のフライトがなくなったのは確実だという。
一緒にこの状況を聞いていた、同じフライトを乗るはずだったロシア人の若者も、「フライトがキャンセルじゃあ仕方ないね」ということで、ひとまずテヘランの街へ帰るという彼と一緒にバスに乗ってしまった。
これが全ての失敗だった。
初日の宿に舞い戻っている間に、乗るはずだった飛行機は時間通りモスクワに向かって、テヘランを飛び立っていったのだ。
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