【イタリア1】サルデーニャ島で4週間
ひょんなことから福島県相馬市で暮らす小学生と4週間近くもイタリアで過ごすことになった。
イタリアには縁がある。
1年にも満たない短い期間だが、幼少期をローマで過ごした。
20歳の時に再び訪れ、ローマ近郊のカンポレオーネを根城に2週間ほど旅した。
そして3度目。
イタリアのミラノで暮らす日本人の方々が、3.11で被災した子供たちのために何かしたいとはじめたプロジェクトで、毎夏、福島の子供たちをイタリアに呼んでいるのだ。
すごい。
思っても、なかなか実現できるものじゃない。
で、日本から子供たちの引率者として参加することになったのだ。
ミラノ経由で、サルデーニャ島へやってきた。
ほとんどの子供たちが初めての海外なので興奮しっぱなしだったが、特に問題もなくたどり着くことができた。
むしろ大変だったのは、ここまでの書類関係。
親が付き添わないので、世界を股にかけた誘拐ではないことを証明するために、結構面倒な手続きがあるのだ。
確かに、これがアフリカとかシリア、アフガンの子供だったら、難民だと思われても不思議ではないし、人身売買も十分あり得るだろう。
サルデーニャ島は、地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島で、なかなかのリゾート地だった。ちなみに魚のイワシの英語名サーディンはこの島から来ているとか。
海がめちゃめちゃ綺麗で、砂浜には丸っこい真珠のような砂といいか石が転がっている。思わずお土産に持ち帰りたくなるが、これが大変貴重なので、砂浜から持ち出してはダメなのだ。
ボランティアスタッフとして参加した地元出身の青年も、「この石はサルデーニャにしかない貴重な石だからね」と常々強調していて、たまたまビーチサンダルにくっついて宿に持ち込んでしまった時も翌日返しに行く徹底ぶりだった。
ま、実際はそこまで厳密じゃないのだろうが、それくらい綺麗で、貴重な浜辺なのは確かだ。
波も結構激しくて、沖に泳ぎにいきたがる高学年の男子を連れていったりしたが、何度かこちらが溺れそうになった。
とはいえ、原発事故の関係で長らく遊泳禁止が続く福島で暮らす子どもたちにとっては、久々の海で思いっきり泳げたのはよかった。
海を離れ、ちょっと内陸に行くと果てしなく田舎。宿舎の周りにはコンビニはおろか、店的なものは皆無で、もはやイタリアである意味すら疑うレベル。
さらにめちゃくちゃ暑い。
滞在期間中、一度山火事が起きて、熱風が吹いた時は気温が50度近くあったと思う。
とはいえ、イタリア人との共同生活なんて初めてだし、子供にとっても、大人にとっても、貴重な4週間だった。
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