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243.7km、身代わりドライブ

待ち合わせ場所に指定した駅のロータリー。
寝坊した私が到着すると既に車は停まっていた。

ポルシェ、カイエン。
真っ白いこの車でおじさんと私は今日、サファリパークに行くのだ。

出会い系サイトの飲み会で知り合ったお金持ちのおじさん。
海外出張ばかりで多忙なポルシェのおじさんが「明後日ヒマか?」と言い出したのが三日前。

『なんで』

『終日休みやから。こんなん滅多にないし』

『ふーん』

『歯医者行こうかな』

『行けば』

『どっか行きたいとこないの』

『歯医者』

『・・・』

憎まれ口をたたく私を尻目にポルシェのおじさんが行くぞ、と決めたのはサファリパークだった。

きっと都心に住むおじさんの家からのアクセスとか所要時間とか翌日の仕事とか。
おじさんの頭には大人の事情がいくつもあったのだろうけど、そんなことはお構いなしに前日の夜はわくわくして寝付けなかったし、おかげで翌朝はしっかり寝坊した。

早朝、スマホの時計を見て小さくヒッ!と叫んだ私はお気に入りの麦わら帽子をハンガーラックからひったくるようにかぶると、カゴバッグの中にお弁当箱を詰めて駅までダッシュした。(うそ、早歩き♡)

だいぶ待ったはずのポルシェのおじさんは怒ったりはしてなくて、むしろなんだか照れくさそうに見えた。
そういえば酔っ払ってないおじさんに会うのは初めて。

歓声を上げながら乗り込んだポルシェにはいかにもハイテクです!という感じのボタンがいくつもついていた。
これはなに?と聞くと「押すとビュンって走るボタンや」とおじさんはドヤ顔で言った。
その一言に私は目を輝かせて「いつ押す?今押す?」と人差し指を振り回す。
「まだや、もっと直線長いとこに出たらな」とおあずけを食らった私は「そんなだいじなボタンなら私の手の届くとこにつけないでほしい…」と両の頬をいっぱいに膨らませてみせた。



さしたる渋滞もなく、二時間強くらいでサファリパークに到着。
入場して一番最初にしたことは路肩に車を停めておじさんの職場に電話を入れることで、私は助手席の電動リクライニングを300回くらい上げ下げしては全身で退屈を主張した。
15分程度の電話が終わる頃には投げ出した足の爪先にサンダルがぷらぷらとぶら下がり、今にも脱げそうだ。
ヘッドセットを外したおじさんは何事もなかったかのように「行くで」と言うので「80分待った!」と謝罪を要求したけれど、結局うやむやにされてしまい私は鼻の付け根に深い縦ジワを寄せるしかなかった。



私たちはこのお出かけのハイライトを
<猛獣が高級車スレスレに近寄ってきてヒヤヒヤするところ>
に見据えていたので拍子抜けする。


サファリパークが、予想以上に広かったからだ。


そんなはずはない、あの当時おとうさんだった人に連れられて来たときには、もっと間近までライオンが寄ってきてキャーキャー言ったはずなのに。
私は間違いなくあの日より大きくなった。
だったらサファリパークはあの日よりももっと小さく感じるはずでしょう?

とはいえ広々とした環境で走り回る動物たちは実にはつらつとしていて、私もおじさんもポルシェに乗っていることなど忘れて普通にはしゃいでしまった。



乗車エリアが終わり、ふれあいゾーンなる場所に行くために富士山の見える駐車場でポルシェを降りた。
お昼にはまだ時間が早かったけれど2,3箇所のコーナーを廻ると、真っ直ぐにおじさんはレストランに向かった。

「機嫌悪なってるから」

本当は暑い中歩くのに疲れただけだったけど、言われるがままにオムライスを食べたらなんとなくご機嫌が戻ってきたのでまあるい顔をして鼻歌を歌ってみせた。
単純な私の様子を見て、おじさんもまんざらでもない顔をしていた。

園内でくたびれたカンガルーやモルモットを撫で回す。
おじさんはこんなところに来てまで猫の尻を追いかけていたので、私はその姿をたくさん写真に収めた。
ポルシェを置いた駐車場に戻ると私は「あ、お弁当…」と忘れ物の名を呼ぶ。
その呟きを聞き逃さなかったおじさんが、炎天下、蒸し風呂のような車内の空気を入れ替えながら「あかんて、もうやめとき」と諭した。


ポルシェの中で涼みながら「まだ15時だし先週の飲み会で会ったおじさんの村に行ってみようよ」と私が言った。
月に数回、週末だけ東京に出てきては呑んだくれて一泊し、村に帰って行くおじさん。
ためしにLINEをしてみたら自営だしいつでもおいで、と快諾してくれた。

サファリパークからさらに車で47分。
演習終わり、荷台で揺られる自衛隊員に敬礼する沿道のこどもたちを羨ましげに見つめながら、もう一人のおじさんの暮らす村に向かった。

『あと15ふんくらい』

私がLINEを送ると村民のおじさんは村役場の前にコンビニがあるからその駐車場で、と言った。

「ポプラ!」
「デイリー!」

ほぼ同時に叫び合い、角を曲がったら見えてきたヤマザキデイリーの赤と黄色の看板に顔を見合わせてゲラゲラ笑う。
村役場前の駐車場には村民であるおじさんが作業着姿で待っていた。

駐車場で少し立ち話をしたあと、暗くならないうちに村の観光スポットへ行こうと大人同士で話をつけたようだった。
助手席に乗り込もうとする私をポルシェのおじさんは制止し「キミはあっち」と村民のおじさんの青いスポーツカーを指差した。
さっきまで一緒にふざけていたポルシェのおじさんが突然私をコンパニオンみたいに扱うので一瞬むっとしながらしぶしぶ青い車に乗り込んだ。



青い車の中で私は"サファリパークが思ったより広かったこと"について熱弁をふるい、村民のおじさんはそれをうん、うん、と目を細めて聞いていた。

「村の一番えらいひとって村長?私も村に住んだら村長になれる?」

と訊ねるとおじさんは「田舎は横の繋がりが強いから厳しいだろうなあ」と口髭を撫でた。
そういえば、とおじさんは前置きし、「日本にはサファリパークって名前の動物園がいくつかあるから、小さい頃に行ったサファリパークは違うサファリパークだったのかもしれないね」と言った。

そうか、あそこは私のサファリパークじゃなかったんだ。



村のはずれにある観光地は平日、もう日も暮れかけているというのにアジア人観光客でなかなかの賑わいを見せていた。
池の水が綺麗というだけの観光地で絶景を見つけたぞと写真を撮っていたら、そこだけお土産屋さんが掘った人工の池なのだと言われなんでやねんと思う。
澄みきった湧水池に裸足で入った私の足は歩くたびサンダルの中でギュポギュポと恥ずかしい音を立てた。

いよいよ辺りも暗くなってきたのでお土産屋さんに立ち寄ったのち、青い車の先導で立派な郷土料理専門店に到着した。

その日初めてじっくり顔を向かい合わせたおじさんたちは、ノンアルコールビールで乾杯をする。
この間、あんなに親しそうに飲み会で小突き合っていたはずなのに、今日の二人はなんだか所在なげだ。
正体をなくすまでベロベロに酔っ払って、私からしたらその方が恥ずかしいことなのに、素面のおじさんたちは呑んでるときよりずっと照れくさそうに振舞う。

へんなの、と二人の顔を交互に見比べてはにやにやと笑った。
村民のおじさんがあれもこれもとたくさん注文してくれて、ますます私はまあるい顔をした。
小一時間の談笑ののちポルシェのおじさんのそろそろ帰るか、の声掛けでよく知らない者同士の食事会はおひらきとなった。

のんびりサンダルを履いていたらおじさん二人がひと悶着している。どうやらポルシェのおじさんがトイレに行ったときにこっそり会計を済ませていたようだ。

なるほど、お金持ちはお金持ち同士、いろいろあるのだな。
ついに私が役に立つときが来ましたね。
私は重い腰を上げると大きな声で「ごちそうさまでした!」とにっこり笑い、それを聞いた村民のおじさんはやっと諦めて私に同調した。



広い駐車場に戻ると村民のおじさんが車のトランクからダンボール箱を2つと紙袋を出してきて「とうもろこしくらいしか持たせるものがなくて」と言った。
私にもし田舎があって、おばあちゃんがいたなら100ぺん言いそうなフレーズだった。
ダンボール箱はとんでもなく重くて、過剰な量の野菜が入っていることは封を開けなくとも明らかだった。

「田舎の人のおもてなしを舐めてた」
私は言った。

「お土産強盗やん」
ポルシェのおじさんも言った。

都会から手ぶらでやってきた無礼な私たちは、せめてものお礼にとお昼に食べ損ねたお弁当を手渡した。
お弁当箱にはハッピーターンとルマンドが、詰められるだけ詰まっていた。



ただいま、と再びポルシェに乗り込むと運転席のおじさんが右手を延ばして、カーステレオのボリュームをぎゅうっと絞った。
暗い車内、ディスプレイにはTaylor Swiftの文字が青白く点滅している。
無音のポルシェが国道に滑り出て、駐車場の青いスポーツカーが小さく小さくなるまで手を振った。


「オッサン、なんて?」

「本当は自宅でもてなしたかったけど、女の子連れて帰ったら年老いた両親が期待しちゃうからごめんねって言ってた」

「せやな、あの歳で1回も結婚してなかったらそうなるわ」

「さすがバツイチは言うことが違いますね」

村民のおじさんが持たせてくれた紙袋をこじ開け、中身のプリンを意地汚く数えながら私が言う。
田舎の夜は真っ暗だ。
このペースで行けば朝来たときよりもずっと早く、東京に着いてしまうだろう。

「眠たかったら寝ろ」

重い頭を前後に振り出した私におじさんが言う。
しかし高速道路に入る前に、私には言わなければならないことがあった。

私の最寄り駅は朝待ち合わせたあの駅ではないこと。
自宅から3キロも離れたあの駅から、とうもろこしが何十本も詰められたダンボールを持って歩くなんて無茶だ。

私の意図不明の告白にさして驚く様子もなく、おじさんはナビの行き先を私の家の近くまでに変更した。

ねえ私も聞きたいことがあるんだよ。
都心に一人で住むあなたが、わざわざこんなに大きい車に乗っている理由を。

私は。
私は本当の父親を知らないから。
だから容易く他人に自分の父親像を投影してしまうんだろう。
けれどあなたは大切にすべき人物像を具体的に思い描いているから、だから私たち、いつまでもギブアンドテイクにはなれなくて。

男の子なの?
女の子なの?
歳はいくつ?
ちゃんと会えてるの?
今日はありがとう、すごく楽しかった。
すごく、すごく楽しかったよ。

何ひとつ口に出せないまま決して交わることのない電気の消えた家に、私たちはそれぞれ帰るのだ。
食べきれないほどたくさんのお土産を持て余しながら都会の夜は溶けるように更けていく、何度でも。

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