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罪と罰と、他人の愛情を見た日のこと(週報_2019_06_08)

地元駅の改札を入るところで、若いカップルが双方の母親と思われる女性に激しく叱責されていた。

「楽しく遊んで帰ってきて、怒られるなんて嫌でしょう!?
 電話1本入れておけば良かったって、思うでしょう!?」

今、23時半を過ぎたところか。
未成年。
まあ怒られるよね、この時間じゃ。
こういうのは新宿なんかではまず見られないローカルな光景だ、微笑ましく目尻を下げながらすれ違う。

女の子の、情けなく、薄い体。

あ、私。
これと同じ背中を見たことがある。
上りホーム行きのエスカレーターに揺られながら、あれは…と記憶の糸を手繰る。




私がアパレル勤務で初めて店舗を1つ、任された年のことだ。
いつも通りに業務をこなしていると、バックルームに社員さんが飛んできて「店長を呼んでくれというお客様がいらしてます」と言う。
クレームか、と一瞬身構える。
店長を呼べ、なんていう緊張感にかけ離れて間の抜けたビジュアルの私が、それでも一応は襟を正してレジカウンターへ向かう。


カウンター横にいたのは男性、その後ろに妻と思わしき女性、そして高校生…中学生くらいだろうか、女の子が1人。

「お待たせ致しました」

一礼をすると神妙な面持ちの男性は、私よりもさらに深い礼をしたのちに言った。

「娘が、こちらの商品を盗みました」

と。



バックルームよりも奥、休憩室に3人を通した。
父親に促され、母親が手持ちのエコバッグからラインストーンの付いたモノトーンのTシャツ1枚と、パステルカラーにラメをあしらったキャップの2点をテーブルの上に並べた。

「半年くらい前にここのお店で万引きをしました…
 本当に…すみません…」

自分から言うように何度も叱られたのだろう、娘はそれだけをやっと話すと泣き腫らした顔をさらに歪め、下を向きぼとぼとと涙をこぼした。

一方、新米店長の私は弱ったな、と内心頭を掻いていた。
今まで万引きが捕まるといったら現行犯が鉄則で、タグも外され散々着古された衣料品を持ち込まれても、はいそうですかと受け取るわけにもいかず処理のしようがなかったからだ。

「ひとまず、座ってください」

そう言って休憩室を出ると直属の上司に電話で指示を仰ぐことにした。
上司は至って冷静に、「同じ価格帯の商品と同額で買取をされるか確認して。決して強制せずに」と言った。
一家の深刻さに圧倒されて何も代案を思いついていなかった私はなんだそんなことか!と何十年と現場に立ってきた上司の機転に感動すら覚えた。



当時の会社の商品はアイテムによって価格帯は一律だった。
よほどのSALEアイテムや、季節外れの見切り品でない限り、このグレードのTシャツは3,500円だし、キャップは1,500円だ。
店内から同じ価格帯でできるだけ似通った商品を拾い上げると、休憩室に向かう。

一面ガラス張りの扉を開けるその前に、私は息を飲んだ。
休憩室の机に向かって左から、居心地の悪そうな母親、泣いている娘、その脇に父親。
母親も娘も私の声かけの通り椅子に座っていたが、父親は直立不動のまま、真っ暗なバックルームをまっすぐに見つめていた。
その顔つきの、気高さ、厳格さ。

「お父さん、どうかお掛けになってください」

私は何度か声をかけたが、父親が座ることはなかった。
先ほど店内からピックアップした類似の商品を見せ、「既に着用されている品物でありますので返却は受け付けかねます。そこでご提案ではありますが、こちらの商品と同じ価格で購入していただくという形はいかがでしょうか」

店長である私がそう言うと、母親が今度はハンドバッグから手早く長財布を取り出した。
一家でここに来ると決めた際も、落としどころなど思いついてもいなかったのだろう。
母親はいかにも助かった、という顔をしているように見えた。
わかる、私も上司にそう提案されたときにはそんな顔をしていたと思うから。

母親の妙な手際の良さを、咎めるような視線で父親は見守っていた。
休憩室には娘のしゃくりあげる声と店内から漏れ聞こえる軽快な有線だけが響いていて、酷く侘しかった。



母親から現金を受け取ると、再度店内に戻り、閉鎖中の端のレジでTシャツとキャップの架空の商品コードを入力し、レシートを発行した。

あの服たちは、この店を出たらきっと棄てられてしまうだろう。
娘の過ちの証として、存在すらも忌々しいと嫌悪され、くしゃくしゃに丸められて棄てられてしまうだろう。
一度は盗んでまでも欲しいと思ったはずのあの服のラインストーンのキラキラが、今では軽薄に、安っぽく見える。



金銭の受領証としてレシートを持って戻ったときにも、父親は立ったままだった。
父親の一声で娘の肩がびくりと強張り、母と娘が立ち上がった。
母親の気怠そうな態度から、ここに来たのは父親の一存であったことが伺える。

レシートを手渡すと、父親が本当に申し訳ありませんでした、と最初に深く頭を下げ、続いて母と娘が頭を下げ、そして最後まで頭を上げなかったのもまた父親だった。

恥ずかしいことに私はぐったりとうなだれる娘に涙声で「もう、しないでね」と子供じみた言葉をかけることしかできなかった。
とてつもない熱量の愛を、父親の愛情というものの具現化を、今まさに私は目の当たりにさせられて かける言葉なんてこれ以上何も見つからなかったのだ。



中高生の娘が。
親である自分の覚えのない服を着ていた。
不審に思い、問い詰め、半年以上も前の出来事を遂に告白させる。
話し合いの末に家庭内で充分に躾をし、処理をすることだって出来たのに。

娘に罰を与えたかったわけじゃない。
娘と一緒に罰を受けに来たのだ。
あの直立不動はその意思表示だ、決意表明だ。
あの父親は娘が可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて仕方がないのだろう。

親の愛情ってあんなに大きいものなのか。
バックルームのスイングドアが店内へ、バックルームへと二度三度、徐々に小さい揺らぎとなって最終的にピタリと開かなくなるまで、泣きながら四角い窓から娘の背中を見ていた。
情けなく、頼りなげな薄い体だった。



ボロボロと泣き崩れてしまった私を社員の誰かが『泣き虫店長』と揶揄し、その不名誉なあだ名は直属のマネージャーを飛び超え部長の耳まで入ることとなった。
本社ビルのエレベーター待ちで それこそ親ほどの年齢の部長は「大人が泣いていいのは親が死んだとき・だ・け!」と言うと私にデコピンをして笑いながら去って行った。





新宿方面行きの反対側ホームに下り立ち改札の向こう側を見ると、既にあの情けない背中は消えていた。
でもなぁ、多分電話1本入れたってその電話でギャーギャー怒られるんだよ。
さらに帰ってからも怒られるんだから、結局めちゃくちゃ怒られちゃうんだ、連絡入れたくなくなる気持ちも私はわかるなぁ。



ねえ子供たち。
何度でも過ちを犯し、そのたび叩きのめされ、赦され、自らを包む何重もの皮膜のような愛情の手触りに気付いてよ。

あの日、私はこの目で見たんだ。
見えないはずの愛情が、目の前で熱を帯びてドクドクと痛いくらいに脈打っているところを。

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