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いいおじさん、わるいおじさん。



去年の10月からライタースクールに通い始めた。
期間は半年間で、全12回。
既に折り返しを過ぎ、講座も残すところあと4回だ。

8回の受講を終えた私だが、今のところライターになれる気配は露ほどもない。
そりゃそうだ。
私の今回の受講の目的は、講師である憧れのフリーライター氏にお会いすること、ただそれだけなのだから。

……だから、正直、つらい。
月イチで、あるかないか。
定期的に出される課題が、氏に会いたいだけの私に、予想以上に、重くのしかかっている……。



*****



その夜、私は新宿ゴールデン街にいた。
約束の時間まではあと40分。
半年くらい前まで馴染みだった立呑み店のドアを久々にくぐると、レモンサワーを注文した。

ノーチャージのしみったれた店で、羽振りが良さそうなサラリーマンが呑んでいる。
40代と50代の2人連れ、身なりのまともさがこの店には少々不似合いだ。
洩れ聞こえる会話の内容からして、特段に仲が良いようだったが、おじさんたちは私のような女の一人客に気を遣っているのか、互いに声も掛け合うことなく30分ほどが過ぎた。

「ミチルちゃん、ひさしぶりだよねえ」

接客が一段落したように見せかけて、本当は私の名前を失念していたのだろう。
女性店員はグラスを磨きながら、ようやくこちらに愛想を振りまいた。

「最近火曜日来なくなっちゃったんだよね。
  今日はね、このあとおっさんレン夕ルと待ち合わせで」

すると、私の言葉に反応したのは火曜担当の店員ではない、意外な人物だった。

「おっちゃんレン夕ル~~~~!?」

特大の声の主は、恰幅のいい50代のサラリーマンだ。
よく通るいい声に、年季が入っているであろう関西弁。
やはりさっきまでは、周囲に配慮した音量で話していたのがわかる。

「おねえちゃん、今おっちゃんレン夕ル言うたか!?」

私が使っているこのサービスは、もう開始7年で書籍にもドラマにもなっている。
もはや出オチとして使い古された情報ではあるのだけれど、いまだこうやって驚いてくれるひとがいる。
そんなとき私は、暇つぶしがてら毎度丁寧にレクチャーをしてみせる。

・おっさんレン夕ルというのは、登録されているおっさんを1時間1,000円で借りることのできるサービスである
・借りるときにはサイト上で好みのおっさんを選び、借りたい時間数だけカートに入れて決済する
・レン夕ル場所までのおっさんの交通費と、レン夕ル中にかかった飲食代はすべて借主負担となる

おじさん2人は、前のめりになって目を輝かせ私の話を聞いていた。
おっさんレン夕ルのサービス内容について、何度こうして語ってきただろうか。
そしてここまでの話を聞いたおじさんたちは、二言目に必ずこう言うのだ。

「そんならワシもおっちゃんレン夕ルやるわ!」

と。

「……ちなみに」

想定内の反応に私は口角を上げ、続けた。
おっさんレン夕ルの公式サイトに掲載されるためには、登録料1万円と、月額1万円を12ヶ月分、計13万円を前払いする必要があることを。

「そうじゃないと、『女の子とお茶したい』とか『タダ飯が食いたい』って不届き者ばかりが登録して、風紀が乱れるからね。
  13万円は血統書付きのおっさんになるための踏み絵だよ」

大抵のおじさんはそこでなんだよとばかりに文句を垂れるのだが、この日の2人はその金額にあまり動じた様子がなかった。
さすが、ダブルのスーツ。
彼らが13万の出費くらい痛くも痒くもない世界に住んでるのなら、それは喜ばしいことだ。

「そんでおねえちゃんは何でおっちゃんをレン夕ルすんねん?」

大演説をかましていた私は、約束の時間の3分前を切っていることに気付き慌てて財布の中の小銭を数えた。

「やば、ちょっと行ってくるわ、また今度ね」

「はよ終わらせて帰ってきて!続き聞かせてな!」

700円の呑み代を支払うと、私は待ち合わせのテルマー湯までの小路を、早歩きで向かった。



*****


テルマー湯の駐輪場にはLINEで送られてきた詳細の通り、黒色のダウンジャケットを着たおじさんが腰掛けていた。

「ウチヤマさんですか?」

そうです、と返事をするとおじさんは立ち上がった。
想像していたよりも背が高い。
サイト上でずいぶんと若見えを謳っていたが、そこは正直、年相応に見える。

「はじめまして」

おじさんは私に名刺を差し出した。
おっさんレン夕ル用に刷られた名刺だった。
同時に私もレン夕ル代の1,000円を手渡す。
開封し、中身を確認する手間を考え、あえての裸だ。

「あの、すみません。
  今朝LINEしたとおり、喉が痛くて、声がガラガラで。
  だから用件のみで、すぐ解散でもいいでしょうか」

しゃがれた声での申し出に、少しだけおじさんの表情は曇ったが、依頼者の帰りたいという希望を断るわけにもいかないだろう。
わかりました、とふたたび営業用の微笑みを浮かべ、私たちはさっそく目的の場所へと歩き出した。

すぐ近くの交差点を渡り、きらびやかなネオン街の入口で、おじさんは思い出したかのようにショルダーバッグから何かを取り出した。

箱入りの、トローチだ。
私が「喉の調子が悪い」と伝えたのを受けて、調達したのだろう。
外箱のバーコードにかかるようにコンビニの名入れテープが貼られたままになっている。

「すみません、ありがとうございます、でも、あの、申し訳ないので……」
「いいんですいいんです、貰ってください」

手のひらの中の小さなトローチの箱がずん、と重かった。
目の前のダウンジャケットがずいぶんと遠く見える、いや実際遠いのだ。
このおじさん、歩くのが早い。

本音を言えば、トローチは受け取りたくなかった。
コンビニで買える医薬部外品だとしても、300円近くはするはずだ。
おじさんのレン夕ル料金はたったの1,000円。
こんな形じゃなく、私は、ただゆっくり歩いてくれたらそれでいいのに。

歩く速度を調節する気もなくなり、気付かず数メートル先にいた背中をかすれた声で「ここです」と呼び止める。
頭を掻きながら駆け戻るおじさんと一緒に、私はお城のような外観の古びた建物に入っていった。





*****



終始、無毒という毒気にあてられて、うんざりしていた私はあの店の前をもう一度だけ通って帰ることにした。
するとまだあの、羽振りのよさそうなおじさん2人は店内にいた。
そりゃそうか、私にとって長く感じられただけで、正味15分も経ってはいないのだから。

「おお!どうやった?おっちゃんレン夕ル」

店内には新たにサブカルを煮詰めたようなオシャレ眼鏡の青年が増えていたが、彼を一瞥することもなく私は2杯目のレモンサワーを頼むと、はあ、と大きな息を吐いた。

「まあいろんな人がいるよね」

そこで初めて私は、ライタースクールに通っていることを話した。
今夜はライタースクールで出た課題のために、歌舞伎町のラブホテル2軒に行って、フロントに設置されたパネルの写真が撮りたかったこと。
1人でラブホに入ることに抵抗はないが、受付の人から注視されると撮影が困難なのでカップルとして入りたかったこと。
知人男性に頼んで「部屋に連れ込まれそうになるリスク」も「部屋に連れ込まれると警戒させるリスク」も負いたくなかったこと。
10分もあれば済む用事だからこそ、1,000円を渡して後腐れなく別れたかったこと。

「あ、わかります。
  用事が済んだらバイバイって、知り合いには逆に言いづらい」

サブカル青年が横入りしてでも同意する姿を見て、おじさんは「今の子っちゅーのはそういう感覚なんかなあ~」と、なんだか寂しそうに呟いた。
その表情がさっきまで一緒にいたおじさんに重なるようで、胃がきゅっと縮む。

「最初に連絡したときから、ちょっと合わない感じはしたんだよね。
  交通費のかからない、新宿近辺のおじさんなら誰でもよかったの。
  10分で終わるって伝えたら、それで1,000円は受け取れないから事後か事前にカフェで打ち合わせしましょうって。
  レン夕ル中の飲食はこっち持ちだから断ったんだけど、カフェ代は不要、我々の世代にとって時給千円は破格であり、人助けのためにやってるからって。
  でもさ、そもそもラブホのパネルの撮影するだけで打ち合わせとかいらないわけよ。
  押し切られる形で了承したけど、朝になったら喉がガラガラだったもんで『体調不良なんです』って言ったら『お大事に』って大事にしつつもカフェは行くつもりだったっぽいし……」

すべての気遣いがちぐはぐに廻ってしまった皮肉にしょっぱい顔をしながら、私たちは今夜二度目の乾杯をした。
それでもあのおじさんはいいひとなんだとは思うよ、とリュックの中で左右に転がるトローチの箱を思い浮かべ、なんの足しにもならない、ごくごく小さいフォローをした。

「しかしねえちゃん、おもろいなあ。ライターさんなんか?」

ふと私の憧れの講師の姿がよぎり、慌てて否定する。

「ぜんぜん!!今も、これからも、なれないよ!!
  ただおもしろいことを集めて、フラフラしたいだけ!」

「よし!ねえちゃん腹減ってないか?
  おもしろい話聞かせてくれたお礼にラーメン奢ったるわ!」

突然の申し出に私が気遣ったのは、私が会話に入るまで楽しそうに談笑していた、連れの地味で穏やかなおじさんだった。
それまでの会話の内容から、イクメンらしい地味おじさんは、わけのわからない女を連れて歩くのを良しとしないかもしれない。

「……いい?」

すると地味おじさんは、あながちお世辞ともいえない顔で「ぜひ!」と答えてくれたので、私たちは即興の3人組となって、ご相伴にあずかることにしたのだった。



*****



まだ電車がある時間だというのに、運よく人気店に並ばず入れた私は、おじさんの宣言通りにラーメンをごちそうしてもらった。
しかも

「どうせ奢りなら全部のせいっとけ!全部のせ大盛り3つや!」

と生まれて初めて、笑っちゃうような特大のラーメンを食べた。
すべての具が、これでもかというくらいに丼の外へはみ出している。
ところが威勢よく注文したおじさん本人が2/3ほどでギブアップし、「ほな表で待ってるわ」と、ふらりお店の外へ出てしまった。
残された私と地味おじさんは、奢っていただいた、という大義名分を胸に、どうにか完食することができた。

「地味おじさんとおじさんは、同じ会社なの?」
「いや、取引先の関係ですね」
「どっちが立場は上とかあるの?」
「そりゃもう、あちらです」

なるほどね!と笑うと地味おじさんも笑う。
でもずっと、彼には付き合わされてる感がないから不思議だ。
なぜだろう、楽しくて一緒にいるのがこんなに伝わってくるのは。
冗談みたいに急な階段を下りると、割と近所でおとなしくおじさんが待っていて妙な味があった。
さっきはすんなり入れたのに、店の脇にはもう10人近くの列ができている。

「全部いったか!?やるなあ~!!」

おじさんは自分のことのように誇らしげに笑った。
あ、そうか。お店が混んできたから外で待ってたんだ。
それと多分、私たちがおじさんに気兼ねなく残せるように去ったんだ。
そっちこそ、やるなあ。

私たち3人組の足は自然と新宿駅方面に向かっていた。
道すがら、外国人のキャッチと拳を合わせ、挨拶を交わす私。

「いつもはね、あいつと私、どっちがお客いっぱい呼べるか競争したりしてる」

だから私、界隈じゃインディーズのキャッチって呼ばれてんだよ、と言ったらおじさんたちは肩を揺らして大笑いした。
靖国通りを渡り、混み合う東口を避けて西口方向へ。
ガード下に繋がる信号で立ち止まったおじさんは言った。

「せや!来週うちの会社の飲み会あるから、来たらええわ!
  そこで今日みたいなおもろい話してや!」

よくわからないが、どうやら私は来週知らない会社の飲み会に行くことになった。
こういうの、営業っていうんですかね。
面白いからいいよ、そう言って私とおじさんはLINEを交換した。
『ヤマザキ』
同名のウイスキーボトルをアイコンにしたおじさんのIDが、私の友達リストに追加される。
「それと」と付け足すとおじさんは真面目な顔をして、私を見た。

「なんべんも言わんから聞いてな。
  絶対危ない目には遭わんようにせんといかんぞ」

おじさんがまっすぐな目をして言うので、私も一瞬だけヘラヘラ笑うのをやめてじっと目を見る。

「うん。だいじょうぶ、私、すごく、鼻が利くから」

歩行者用の信号が青になった瞬間、おじさんはガバッと豪快な笑みを浮かべた。
人の波に添って歩き出すと同時に、私もくしゃっと笑った。
地味おじさんは能天気にずっと笑っている。
思い出横丁を「ここは旨い」「ここは安い」と一軒ずつ評しながら、私たちは新宿駅西口に辿り着いた。

地味おじさんにバイバイを言って、同じ路線の私とヤマザキのおじさんは続いて改札を抜けた。

「ワシ、特急の指定席券買ってあんねん。
  あと一時間、適当に潰すわ。じゃ、来週頼むわ!」

そう言うとおじさんは豪快に手を振り、特急ホームへ消えていった。
他社線だって終電まであと一時間以上あったから、地味おじさんも私もまだ付き合わせることが出来たのに、それはしないんだ。
ふぅん、と私は顎を撫でた。
そうか、地味おじさんはこういうところを知ってて、ヤマザキのおじさんを好きなんだろう。



*****



後日、レン夕ルしたおっさんのブログを何の気なしに見てしまった私はひどく後悔をする。
そこには

「依頼自体は30分で完了した。
  千円を請求するのが気が引けたため、調査後はカフェで雑談をサービス、飲食代は請求なしとした」

と、事実と異なる記載があったからだ。
たしかに私の体調不良がなければ、ここに書かれていることは遂行されたのかもしれない。
おじさんから提示された「雑談をサービス」の発想がしんどかった、どこから目線なのかと。
このひとは、人の役に立つことではなくて、人の役に立っている自分のことが好きなんだ。
でもね、人の役に立つ自分を実現するために親切をお仕着せるのだったら、1,000円払うのはおじさんの方だと思うよ。

おじさんのブログは能天気に「楽しい依頼だった」と結ばれていた。
LINEを立ち上げクレームを入れようとしていた私だったが、この一文を読んで180度、気が変わってしまった。
このおじさんには「何も教えてあげない」
怖いことだよ、人の気持ちを「何も教えてもらえない」ことは。



*****



結局私は、ヤマザキのおじさんの会社の飲み会には行かなかった。
なんだか突然行きたくなくなって、たった一度届いた、アポイントのLINEを未読無視した。
すると空気を読んだおじさんからは、そこから一切連絡が入らなくなった。

察しのいいおじさん。
懐の深いおじさん。
気が利くおじさん。
優しいおじさん。
気前のいいおじさん。
人の役に立ちたいおじさん。

どのおじさんがよくて、どのおじさんがわるいだなんて私にどうこう言う資格はない。

確実に言えることは、私がわるい、女の子なんだろうということだけ。
おじさんたちにとって、都合が。
素行が。
それから、底意地が。



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