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サーキュラー・エコノミーってのは、環境政策じゃなくて複合的な経済政策の一環だよね

いつも、ダラダラとわけのわからない記事ばかり量産してしまい、本当にごめんなさい。例に漏れず、今回も、少しだけ長くなるかもしれません。ただ、熱量は非常に高くキープしてゆきます。もし、巷で話題の #サーキュラー・エコノミー 界隈のお話なんかがお好きでしたら、なおのこと、最後までお付き合いいただけますと幸甚でございます。

丸紅の金属トップが、こう申しております

・(21年度も、事業の)けん引役(としての鉄鉱石、銅の立場)は変わっていない
・根本的に需給に対する考え方を変えなければいけない
長い目で織り込まれていた(マテリアルの)需要増加が前倒しになり、供給が追い付いていない
・EVは銅の使用量がガソリン車の4倍だ
・銅の世界の使用量が年間2,500万トンレベルだがEVと再生可能エネルギーへのシフトで30年までに年間で500万トン近く増える
・包装材のアルミ需要が伸びる

はい。いつもの手前味噌で恐縮ですが、左記のサマリーに関連したハナシを、本家ブログでお伝えしておりますので、お手すきの際にでも、ご笑覧くださいませ。

正直なところ、“丸紅の金属トップ”が発信されている情報(冒頭)に新規性はありません。ただ、2019年後半より噂されていた「大きな変化」に対して、「自分とこは、うまくやってるよ!(満面の笑み)」と対外的な意思表示を行うという意味では、絶好の広告記事として機能しています。

中盤で目を引くのは、「今年は、オーストラリアにおける原料炭取引に苦戦したが、同国のポテンシャルは、今後、別のところに表出してくる」とか、「マイニング(鉱業)における電源方式を変えることで、炭素の排出権絡みの利権が生まれる」とか、「製鋼において、水素還元方式も取り入れてゆくが、良質かつ高効率なマテリアルづくりには、なんだかんだ言っても、炭を使った高炉の活用が不可欠」みたいなハナシをされているところです。

筆者の屈折した色眼鏡では、左記のように理解ができました。もし、間違っているようでしたら、コメントいただければ幸いです。

排除されないために、なにをすべきか

終盤で注目すべきところは、なんでしょうか。「バッテリーのリユース」やら、「中国が鉄スクラップを買ってゆく」という部分は、もう既に既定路線をひた走るのみなので、そこまで魅力的なハナシではありません。

だって、普通に考えれば、バーゼル条約に抵触する鉛を「“オフホワイト”な状態で流通させること」が、いわゆる“無理ゲー”であることは、静脈産業従事者であれば、誰しもが痛いほど理解しています。やはり、大手商社のような流通ネットワーク然り、流通上のノウハウを持ち合わせていないと、できないのです。

大陸行きの鉄に関しても、彼の国が欲しているのは、ハイグレード品であって、一過性の過熱はあるでしょうが、いずれはダスト処理の問題やら、品質の悪化で、定期的に「政府による待った!」が行われるでしょう。そうこうしているうちに、日本国内でも、大手資本によるシュレッダー・プラントの増強が進むでしょうから、「中国に資源を持っていかれる!」みたいな短絡的なハナシにはならないのではないでしょうか。

ここで注目すべきは、下記の言及です。

マーケットの需要とか事業だけでなくトレードをやってマーケットの中にいるから色々なことが肌感覚で分かる。ブロックチェーンが進んで商社が排除されないように豪州でコムチェーンをやっているが、しっかりやっていかないと乗り遅れる

少し前のコトバで言い表すと、“トレーサビリティ”とか、“アカウンタビリティ”、もっと漠然とした言い方に直すと、“レスポンシビリティ”などといった言葉になります。

traceability…モノの移動を追跡できること
accountability…(契約上の)説明の責任、義務を負うこと
responsibility…(総体的な)責任、責務を負うこと

そういった実務上の枠組み、倫理的な思想の一部が、金融上の技術(ブロックチェーン)と結びつき、製品の流通を担う人間の耳元で囁くのです。

全部知ってんゾ。

こういった「属人性の排除を推進するための技術」は、一度広まってしまえば、あっという間に浸透してしまいます。どこで、いつ、誰の手によってつくられ、いつ、どこに仕向けて出荷されたのか。いくらで売られ、どことどこを経ることで、最終的な需要家にデリバーされるのか。廃棄されたら、どこに運ばれ、再生原料がどれだけつくられ、実際の廃棄物がどれだけ発生するのか。

こういった情報が網羅できる日は、すぐそこにあります。だからこそ、“丸紅の金属トップ”は、「排除されないように」新技術の研究を進めるわけです。でも、まあ、言い換えれば、新技術に呑み込まれることなく、それを掌握することができるようになれば、新たなエコシステムの“創造主”になれれば、膨大な財産を獲得することができるわけです。

筆者の勝手な希望の域を超えませんが、今後、日本の総合商社の介在する意義は増してゆくのはないでしょうか。資源開発事業を行い、トレーディング事業を行い、マテリアル製造事業を行い、物流・流通事業も行う。もちろん、同じグループ内でも色の違いや、派閥の違いなんかでやりにくいこともあったことと推察しますが、ひとつの旗の下で、一気通貫で事業を行える凄味は、こういった時代だからこそ、益々必要とされていくはずです。

商品性を担保されているからコモディティたり得る

卑近な例で申し訳ないですが、弊金属スクラップ業界の“これまで”は、正直なところ、各分野のエキスパートが、「あーでもない、こーでもない」と講釈を垂れて、「あそこのだったらいいけど、あそこのはダメ」といった属人的な評価軸の下、おおよその市中相場と玄人相場、あいまいな判断基準が形成されてきました。

そして今、世界のベースメタル需要の大半を占める彼の国が、銅・真鍮とアルミ、鉄のスクラップ基準(商品性の担保基準)を制定し、国富が同地へ向け流出しています。末端では、今般の“変化”に対して、様々な意見が飛び交っているようですが、なんと喚(わめ)こうが、一度、「コモディティたり得る」として承認されたモノが、ある日突然、流通不可になることはあり得ません。決められた規格内に収まっているのであれば、それはゴミではなく、ひとつの商品でしかないのです。

いずれにせよ、今のところは、件の“商品”は、大陸向けの規格や規制を知っていて、己の抱える商品が、それに適応・適合しているという事実を証明・担保できる人間であれば、誰でも取り扱うことができています。

ただ、今後、左記のような「トレーサビリティを明確にした上で、ブロックチェーンを使った決済手段しか認めませんよ」といった制約が設けられたとき、末端の業者は困ります。一気通貫で対応できないからです。仮に、自分ですべてやろうとすれば、金融、物流、法の規制をクリアするための手数料が嵩むだけです。

ここまでダラダラとつまらないことを述べてきましたが、要は、「総合力が無ければ、難局は打開できない(専門性だけでは勝負できない)」ということではないでしょうか。これまで、幾度となく“商社不要論”が掲げられ、各商社様に於かれましては、大変な思いもされてこられたことでしょう。

しかしながら、日本的な“ショウシャ文化”が根絶することなく、現代においても必要とされている事実がある以上、簡単に“それ”を切り捨てる理由などありません。もしかしたら、日本株式会社は、商社抜きに商売など行えないのかもしれません。

そこらへんは、よくわかりませんが、筆者の個人的な意見としましては、昨今、巷を賑わすバズワードとしての“サーキュラー・エコノミー”なんていうものは、“ショウシャ”のためにあるのではないかと思っているわけです。

それは、冒頭でも触れましたが、総合力があればあるほど、業種の違いを容易に超えることができるわけです。「オーストラリアの“グリーン鉱山”の権益を持っているから、日本の高炉で発生した炭素をオフセット(チャラに)できる」わけですし、「動脈も静脈も押さえているからこそ、『どこで生まれ、どこで死んで、どこで生まれ変わったのか』を担保できる」わけです。

もっと言ってしまえば、国策にだって関与することもあるでしょうから、宰相の采配次第では、思い切った投資の一端を担うことも十分にあり得ます。そうすると、大きな「ヤマを張る」ことになるわけです。そうすると、逆張りをしてリスクを回避する動きが求められます。

筆者が、サーキュラー・エコノミーを実現する上で、専門性が役に立たないのではないかと考える理由は、以上であります。

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