英語学習の記録(大学時代)

みちるです。前回の最後に「暗黒の大学時代」なんて書いてしまいましたが、「暗黒の大学時代」になってしまったのは私自身の問題です。不快に思われた方がいらっしゃったら申し訳ありません。外大自体はとても良い大学です!今日はそんな東京外国語大学在学中の4年間の英語学習についてですが、内容はとても薄いです…

今は少し変わっているかもしれませんが、外大では主専攻語の授業が毎日あり、副専攻語の授業が週2回ありました。私の主専攻語は大学に入学するまで全く触れたことのない東南アジアの言語で、まずこの主専攻語の授業についていくのがなかなか大変でした。

副専攻語は英語を選択しました。英語が好きだから英語を選択したのではなく、主専攻語の授業の予習復習が大変だから、あまり勉強しなくてもよい英語を選択しました。私も含め、外大生=語学好きなので副専攻語も英語以外を選択することも考えるのですが、英語科以外の人はだいたいみんな同じ理由で副専攻語に英語を選択していました。

副専攻語のクラスは20人強くらいの人数がいましたが、私はそこで衝撃を受けました。みんな、留学経験がないのに英語を喋れるのです。数か月だけとはいえ留学経験のある私よりも、ずっと日本で英語を勉強してきたクラスメイトの方が喋れるのです。外大なので英語が得意な人が集まっていることは分かっていましたが、10代で自己肯定感(当時はそんな言葉は聞いたことありませんでしたが)の低かった私にはなかなかショックでした。ただ、日本の英語教育でも英語を喋れるようになるという証人がたくさんいたんだなとも思います。

そんな落ち込み気味だった私にも、楽しいこともありました。1年生の秋頃から塾でアルバイトを始めたのが、なかなか楽しかったのです。最初は生徒とコミュニケーションをとるのに苦戦しましたが、教えたことができるようになっていく生徒の様子を見るのがすごく楽しくて、教職の授業にも興味を持つようになりました。

そういうわけで、2年生になると教職(英語)を取り始めたのですが、これが「暗黒時代」に足を踏み入れるきっかけとなってしまったのです(笑)。1年生の時はまだなんとかついていけていた主専攻語の授業は、2年生になると内容が一段と難しくなりました。そこに教職の授業を入れ込んだのでもう大変でした。授業を詰め込んでも単位を全部取り切れず、遅くまで勉強して帰ると「遅い」と親に怒られ母親との関係性が悪化し、精神的にボロボロの状態でした。そんな中でも必修も教職も4年で単位を取り切って卒業できたのは、友達や温かく見守ってくださる先生方の存在でした。特に教職は一緒に授業をとっていた友達がいなければ途中で諦めていたと思います。

結局、大学の4年間で自分で英語を勉強した時間はほとんどありませんでしたが、教職の単位で必要だった英語科の授業を取ることで英文法の知識がかなり増えたと思います。大学の授業で指示があったために購入し今でも使ってバイブルとして使用しているのは、あの江川泰一郎先生の『英文法解説』です。この本を買うように指示された授業で覚えているのは教授がいかに江川先生をリスペクトしているかという話だけなのですが、それも良い思い出ですし(笑)、『英文法解説』という名著に出会うきっかけをくださり、どの文法書を信じて使い込んでいけば良いか分からなかった当時の私にこの本の素晴らしさを教えてくださったことに感謝しています。

英語を得意科目にすることができた、これからは大好きな外国語をたくさん勉強できると思って入学しましたが、外大に来る人は全員英語が得意で、英語だけでなく英語以外の勉強もできるので、上には上がいる(むしろ上しかいない)という現実を突きつけられ、毎日必死で勉強をこなしても親に怒られ、辛いことも多い大学時代でした。一方で、世界中の文化に触れながら多様な学生に囲まれて過ごしたことで、価値観が変わり、本当によく笑った4年間でもありました。また、「英語力を生かせる仕事をしていく」というキャリアの軸と、「語学が大好き」というアイデンティティを確立することもできました。

次回は社会人になってからの英語学習について書こうと思います。なかなかうまくいきませんでしたが、うまくいかなかった原因を忘れないようにするためにも、恥を忍んでまとめてみようと思います。

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