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子どもが安心できる場

みなさんこんにちは、みちおです。

前回は、現在子どもの居場所になり得る場を書き出してみました。
しかしあくまでも私にとっての居場所は「安心できる場」、「人間関係がある場」です。

そこで今回は、「安心できる場」について考えていきます。

安心できる場

わたしはこれまでの21年生きてきた中で、安心することのできない場にいたことが2度あります。
1度目は、小学校時代のいじめ。
2度目は、高校のときに付き合っていた彼女。

どうして安心できなかったのか、1度目に関しては想像がつくと思います。
小学生のとき、転校してすぐ、わたしはいじめに合いました。今となってはとくに気にしているわけではありませんし、小学校からの友達もいます。
ですが、転校したてで学校ではいじめられるような状況で安心できる場は家庭くらいしかありませんでした。
そうした中で、小6で行ったボランティアで私は新たな居場所を見つけることができました。気づけば大学生になっても続けているような大好きな居場所です。

2度目は、付き合っていた彼女です。その人はとても重く、自分自身にとっては危機的状況でした。連絡は無視しても送られ続けられる。友達と話すことすら良くない目で見られる。大変な経験でした。
よくよく聞いてみると、その人の家庭環境があまりよく無かったうえに友達を作ることもできず、その人自身他の人と馴染むことが難しい人生を送ってきたそうです。つまり、彼女にとって居場所がなかったということです。

これらの経験から、子ども時代に安心できる場所がないと自己肯定感が少ないということが言えると思います。私自身も、この数ヶ月間の自己分析の中で自己肯定感の低い時期が何度もありました。

このような経験から、私がつくりたい「居場所」に「安心できる場」であるという要素は必須であると考えています。

では、安心できる場とはどのような場でしょうか。

私にとって、「ここにいたい」、「ここなら自分は過ごしていける」という場が安心できる場であると考えています。それは決して単調であるような場、生ぬるい場であるとは限りません。自分の行動が人に認められる、自分の行動に価値が生まれる、それが自己肯定感につながり、安心できる場になるのではないかと考えています。

また、人から認めてもらえないような場は論外と言えるでしょう。俗にいう犯罪、ハラスメント、DV、いじめなどです。これらは人に「あなたには価値がありません」と言われているようなものです。また、生々しい話かもしれませんが、金銭的な余裕がないことも安心できる場とは言い難いです。

こうした安心できる場を私はつくりたいと考えています。

これらについての具体的なものは、また改めて細かく出していきたいと思いますが、まずは次の「人間関係がある場」に移りたいと思います。




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