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ソウルのコスプレ天国。朝鮮王朝の宮殿を歩く

 厳しい暑さに見舞われた7月1日。ソウル中心街にある「昌徳宮」(チャンドックン)を訪れた。ここは1405年に建設された朝鮮王朝の王宮であり、韓国ドラマ「チャングムの誓い」の舞台にもなった。東西500㍍、南北800㍍。広大な宮殿で出会ったのは、韓国の美しい民族衣装や王朝時代のコスプレに身を包み、ソウルの夏を満喫する観光客の姿だった。

華麗な守門将交代儀式

 昌徳宮は、李氏朝鮮の第3代王「太宗」(テジョン)によって築かれた。もともとは「景福宮」(キョンボックン)の離宮だったが、270年の長きにわたって歴代の王が執務している。
 敷地内には13棟の壮麗な宮殿や門、庭園などがあり、昔の面影をそのまま残している。背後には高層ビルが立ち並ぶ風景が広がり、過去と現代の対比が興味深い。
 この王宮では毎日、宮殿の警備や門の開閉などを担当した「守門軍」(スムングン)の儀式を再現した衛兵交代式が見学できる。
 場所は地下鉄の駅の名前にもなっている「光化門」(クァンファムン)。午後1時に大きな太鼓の音が響くと、人気のイベントが始まった。

衛兵交代の儀式を告げる太鼓


行進する守門軍の兵士たち


忠実に再現された衣装で武器を持つ

 守門軍は指揮官にあたる「守門将」(スムンジャン)はじめ、補佐役を務める「従事官」(チョンサグァン)、精鋭兵の「甲士」(カプサ)、「正兵」(チョンジャン)などで編成されている。
 出演者は全員、役職や任務ごとに定められた衣装を着けており、刀、槍、弓といった武器を携える。「吹螺赤」(チュラチ)と呼ばれる兵士たちは、儀式に合わせて独特の軍楽を演奏する。「旗手」(キス)は旗を手にして先頭に立っていた。
 衣装は赤、青、緑と色鮮やかで、小道具も細部まで作りこまれている。守門将の号令を受け、数十人の出演者が一糸乱れぬ動きを見せる様子は映画の一場面のようだ。
 相手の身分確認から始まった儀式は約20分で終わった。立っているだけで大変な暑さの中、守門軍は儀式前の訓練までこなしている。交代した衛兵は門の前に立ち、身じろぎもしない。観光客が遠慮がちに近づき、記念撮影をしていた。

じっと前を見据える旗手
風になびく旗。防衛を象徴する


さまざまな衣装が王宮を染める

 昌徳宮に着いた時からコスプレ風の人たちが多いことに驚いていた。
 欧米の観光客が王朝時代の衣装を着け、刀を手にして歩いている。
 若い女性は民族衣装の「チマ・チョゴリ」を着こみ、きれいな髪飾りも忘れていない。男性は「パジ・チョゴリ」に身を固め、彼女をエスコートしている。国籍はさまざま。みんな、とても楽しそうだ。
 昌徳宮では、民族衣装などを着ていると入場無料になるが、料金は日本円で300円ほど。やはり、伝統的な衣装を着ることで、王朝文化が感じられる王宮の雰囲気に溶け込むことが目的なのだろう。

チマ・チョゴリでポーズ


左が男性のパジ・チョゴリ。彼女とデート


 王宮の建物は、どれもどっしりとした存在感がある。昔から変わらない建造物の前では、ジーンズとTシャツではさまにならないのだ。
 昌徳宮の近くには貸衣装の店があり、チマ・チョゴリだと日本円で1000円も出せば貸してもらうことができる。チマはスカート、チョゴリは丈の短い上着を意味する。韓国ドラマや映画でおなじみの衣装だから、だれもが着てみたいと思うのだろう。

こちらもチマ・チョゴリ

 民族衣装は歴史的な建物によく映える。女の子たちはあちこちでポーズを決め、スマホやデジカメでの撮影を繰り返していた。
 歩いていると、記念撮影で「待った」をかけられることが多いが、他の観光客は優しく見守っている。コスプレの比率では、7割以上がチマ・チョゴリで占められているようだ。
 京都あたりだと、外国人観光客は着物か浴衣を着る。レンタル料が高い割には安っぽい衣装が目立ち、あまり似合っているとは言い難い。もう少し良い衣装を用意しろよと、文句を言いたくなる。
 それがチマ・チョゴリになると、だれもが可愛らしく見えるのはなぜなのか。デザインそのものが優れ、着る人の国籍を問わない魅力があるからに違いない。
 

多くの観光客でにぎわう昌徳宮


古い時代の建物。ハスの花が咲いている

民族衣装は街中でも映える

  チマ・チョゴリやパジ・チョゴリの観光客は、韓国の伝統的な家屋が多い「北村韓屋村」(ブッチョンハノクマウル)にもあふれていた。
 昌徳宮から20分ほど歩くと、丘の上に広がる住宅地に入る。曲がりくねった狭い道と、趣のある民家。朝鮮王朝から続くという景観は、どこか広島県尾道市の古い町並みを連想させる。
 

昔ながらの民家が並ぶ通り

 チマ・チョゴリの女の子たちは、ここでも記念撮影に余念がない。民族衣装は北村韓屋村の景色にぴたりとはまり、遠い昔にタイムスリップしたかのようだ。写真を加工してセピア色にしたら、50年前に撮ったといっても信じてもらえるかもしれない。
 坂道の向こうには高層ビルが林立している。過去と現在が共存し、韓国の歴史の豊かさを物語っている。
 私は大学時代、在日朝鮮人の女子中学生の家庭教師をしたことがある。彼女は北朝鮮が母国であり、朝鮮学校の制服のチマ・チョゴリを着て通学していた。
 ある時、チマ・チョゴリについて聞いたら「大切な席だと必ず着るの。よそ行きの衣装はとてもかわいいんだけど、白と黒の制服はいまいちだよね」と話していた。
 昌徳宮周辺で見た民族衣装は色とりどりで、模様に趣向を凝らしたものばかりだった。しかし、明洞(ミョンドン)などの繁華街に出ると、一度も出会うことがなかった。世界各国の観光客でにぎわうソウル。チマ・チョゴリのような衣装で着飾るなら、やはり場と背景が大切なのだろう。 

北村韓屋村の坂道。人で埋まっている



  


 





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