見出し画像

世界最速の「白鳥おどり」3 裏方が支える踊り会場

 14日午前4時過ぎ。郡上市白鳥町白鳥の新栄町に据えられた踊り屋台が、出番を終えて動き始めた。新栄町での徹夜おどりは今回が初めて。前夜から10時間以上も裏方を務めた人たちが、重さ2㌧を超える屋台を力いっぱい押す。「おどりは思った以上に、にぎやかしかった。眠くてたまらんが、やってよかったわ」。リサイクル店経営和田幸弘さん(65)が、まだ暗い空を見上げた。

出番を終えた踊り屋台を移動させる人たち


 中心市街地8会場を巡る「白鳥おどり」は、深刻な人手不足に悩む。これまでは商店主らでつくる発展会が運営の中心となってきたが、商店街の衰退で支えきれなくなった。3夜にわたる徹夜おどりも、初日の開催を長年引き受けていた発展会が昨年限りで手を引いた。 
 白鳥観光協会の大坪正彦事務局長(65)は「明け方になって踊り屋台を移動しようとしても、高齢の女性が数人しか集まらなかった。近くにいた若い子に助けてもらったが、これはもう無理だと思った」と明かす。苦しい事情を知り、助け船を出したのが新栄町だった。
 和田さんは「この町も商店が減り、発展会は既に解散している。それでも、みんなが楽しみにしている徹夜おどりを絶やしたくはなかった」と語る。和田さんの呼びかけに、昔から続く親睦団体「新栄町頼母子講(たのもしこう)」が応えた。自治会組織の協力もあり、10人が集まった。
 踊り屋台は約500㍍離れた屋台会館に保管してあり、人力で曳き出した。照明や音響といった会場の準備を整え、みんなが踊っている間はじっと待機する。眠る間もなく後片付けに入り、屋台を次の会場に移動させる。やっと作業を終えたら、夜明けだった。

徹夜おどりを楽しむ中心。後方に踊り屋台が見える


 不動産業日置捷司さん(79)は「人と人とのつながりがあったからこそ、できたのだと思う。元気なうちは、これからも参加していきたい」と話す。   
 白鳥おどりは1950年代後半から各商店街で披露されるようになり、勢いがあった発展会が運営を買って出た。しかし、大型店の進出などで廃業する店が相次ぎ、町にかつての力はない。52年前、踊り屋台の建造に関わった書店経営寺田澄男さん(87)は「11団体あった発展会が半減している。このままだと、おどりの開催はさらに苦しくなる」と心配する。
 地域をまたいだ踊り好きが運営を担う動きもあるが、白鳥おどりは町内ごとに会場を移すことで人々に愛されてきた。関係者の間では「地元の者が遠ざかり、ただ会場を貸すだけでは意味がない」という声も根強い。単なるイベントになれば、朝までおはやしが響く徹夜おどりに苦情の声が出かねない。奥美濃の小さな町に深く根差し、全国にファンがいる白鳥おどりをどうやって次世代につなぐのか。知恵と熱意が今、試されている。元中日新聞白鳥通信部記者・中山道雄(8月15日付け中日新聞中濃版)
 
白鳥おどり 神社を舞台にした「拝殿踊り」と、中心街で楽しむ「町おどり」の総称。1947年に設立した白鳥踊り保存会が、音頭取りの歌だけで踊る拝殿踊りから源助さん、神代、シッチョイなど7曲を選び、三味線や笛のおはやしを付けて町おどりにした。7~9月の会期中、2つの盆踊りが開催される。

白鳥の心意気。奥美濃の伝統を守る

重量2トンを超える踊り屋台

 記事に登場する「新栄町頼母子講」はかつて、町内の仲間同士がお金を融通し合う民間互助組織だった。歴史は鎌倉時代まで遡る。江戸時代には、お伊勢参りや金毘羅参りの資金づくりもしていたようだ。
 現在は現金の貸し借りはしない。毎月1回開く飲み会が一巡すると、みんなが積み立てたお金を順番に受け取る決まりになっている。
 私は白鳥通信部に勤務した6年間、新栄町頼母子講の一員だった。飲み会は情報を仕入れる場所になり、会員によく助けてもらった。この組織がなければ、白鳥おどりの徹夜おどりは3夜から2夜に減ったかもしれない。

楽しそうに踊る。裏方が徹夜おどりを仕切る


私が勤務していた旧白鳥通信部前。にぎやかなおはやしが響く

 新栄町での徹夜おどりが終わった14日夕、新栄町頼母子講の例会が会員の家にある特設宴会場で開かれた。
 長良川で釣ったアユが炭火で焼かれ、会場中央にはバーベキュー台がドンと置かれている。会員の中には釣り名人が多く、飛騨牛を扱う名店の若旦那もいる。そろって酒と宴会が大好き。巨大なクーラーの中には、氷水に冷やされた100本近い缶ビールが浮いている。

例会が開かれた特設宴会場
苦労して釣ったアユを焼く。長良川の夏の味

 もう半年以上会っていなかったのに、仲間は「まぁ、飲め」「さぁ、食え」と親切にしてくれる。高知からはるばる、車で運んできたカツオのたたきをお礼にふるまった。酔っぱらった仲間が「次は来なくていいぞ。カツオだけよこしてくれ」と、憎まれ口をきいた。
 白鳥町に限らず、郡上市各地には頼母子講が数えきれないほどある。中学、高校の同級生、同業者、近所の仲間、仲良しのママ友。その由来はさまざまだが、みんな固い絆で結ばれている。
 だれかが困っていたら手を差し伸べ、見返りは求めない。そんな心意気がある町は、実に住みやすい。
 今回の取材では、不動産業を営む日置捷司さん(79)がアパートの一室を用意し、なんと冷蔵庫や洗濯機、電子レンジまで設置してくれた。
 せめて家賃だけでも払わせてもらおうとしたら、日置さんは「そんなものはいらない。また、いつでもおいで」と笑った。
 できれば今すぐにでも戻りたい。第二の故郷という言葉だけでは言い表せないあたたかな素敵な町である。

おどり会場につるされる切子灯篭。祖先の霊を導く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?