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妖怪村は実在した。四国山中で恐怖の「道の駅大歩危」を直撃

 恐ろしいことである。文明開化のこの世の中に、なんと「妖怪村」が実在したのだ。ここでは、さまざまな妖怪が夜ごとに出没し、今も人々を脅かしている。徳島県三好市山城町の「道の駅大歩危」。四国山脈のど真ん中にある施設を訪ねた私は、あまりの恐怖に精神が崩壊しかけた。この記事は心して読まれるようお勧めする。怪談を語り継いだ末に怪異が起きたという「百物語」の例だってある。記事の最後になって、あなたの背後にどんな物の怪が現れるか予想できない。

吉野川沿いの難所「大歩危」

山中の難所にある妖怪村

 「大歩危」は「おおぼけ」と読む。高知、徳島両県を結ぶ国道32号を北上すると、吉野川沿いに続く絶壁が見えてくる。山はどこまでも深い。家々は山の急斜面に張り付き、とんでもない高みに点在する。戦後、この地を訪れたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の米軍将校は、家の明かりを星のまたたきと勘違いしたそうだ。
 大歩危は「がけ道を大股で歩くと危ない」という意味だとか。付近には「小歩危」(こぼけ)があり、こちらは「小股で歩いても危ない」という意味だ。どっちにしてもヤバいことに変わりはない。これまでどれだけの人が足を滑らせ、吉野川をドンブラ流れたのだろう。
 できれば近づきたくない場所だが、近年は近くの秘境「祖谷」が世界的に有名になった。命知らずの外国人観光客も多いため、結構にぎわっているという。

道の駅大歩危。見るからに妖しい


妖怪の顔出し看板。何かが憑きそう
一ツ目入道の木像

 数々の妖怪が集まる「道の駅大歩危」は、今にも吉野川に転げ落ちそうな場所にある。建物の周囲には、一ツ目入道やらエンコ(河童の一種)の木像が並んでいる。
 あぁ怖い。人々はきっと、妖怪の機嫌を取るために夜なべをして木像を造ったのだろう。そのけなげな姿を想像すると、涙が出てくる。   このあたりは四国でも最奥地であり、夜は深い闇に包まれる。都会に住んでいては、とても理解できない。自分の手先さえ見えない闇夜を知れば、妖怪の存在を疑う気にはなれないのである。

これがエンコの像


 エンコは川や池に住み、人に憑いたり、相撲をとったりする。高知県では「エンコウ」と呼ばれ、一部の地域では水難事故防止を祈る「エンコウ祭り」が受け継がれている。私は幼いころ、この妖怪を警戒しながら川遊びをした。いるとか、いないではない。確かにいたのである。
 高校時代、川で水泳監視員のバイトをした時には、注意を聞かないガキどもに「こら、さっさといね(帰れ)。悪さをしよったら、エンコウに引っ張り込まれるぞ」と、脅かしたものだ。

妖怪が集結した道の駅の内部
ここにも一ツ目入道
ウクライナ支援を訴える妖怪。結構まとも?

村おこしをした妖怪

 道の駅に一歩入れば、もう引き返せない。三好市山城町は昔から、妖怪が多い土地なのだ。あらゆる場所に迫力満点の像が並び、客を威嚇している。
 有料(大人700円)の妖怪屋敷もあるが、施設をうろうろするだけでも意識が遠くなってくる。山城町には70種類もの妖怪がいるという。これだけの異形の者たちが、一つの観光施設に集結しているとは。一瞬たりとも気を抜いてはいけない。下手すれば、車の中までついてきそうな勢いである。
 道の駅といえば普通、地域の農産物の買い物や、ご当地グルメが味わえる明るく健全な施設を想像する。それが、おどろおどろしい妖怪一色とは、なんたることか。小さな子どもなら、泣き出すこと必至。下手なお化け屋敷など、足元にも及ばぬ世界である。
 それにしても、妖怪たちはなぜここまではびこっているのか。世にも珍しい「妖怪道の駅」の謎を解くかぎは、水木しげる作「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する「児啼爺」(こなきじじい)にあった。
 

妖怪茶を売り込む妖怪


何だかよく分からないが怖い

村おこしをした妖怪

 水木しげるの「日本妖怪大全」によれば、児啼爺は赤ん坊のような姿をしている。山の中で「オギャー、オギャー」と泣き、人が近づくと抱きついてくる。逃げようとしても、重さは400㌔にもなり、やがては命を奪われる。
 無害な仲間も多い中で、武闘派とも呼べるような物騒な妖怪である。
 山城町の人たちは地域に妖怪伝承が多いことに注目し、聞き取りを中心とした地道な調査を実行した。その結果、児啼爺のルーツが山城町にあることを突き止めたのである。古老たちは「子どものころ、親の言うことを聞かないと『こなきじじいに連れて行ってもらう』と怒られた」という貴重な証言を残している。
 児啼爺は砂かけ婆や猫娘とともに、鬼太郎を支える正義のヒーローだ。
アニメ、映画でも超有名な妖怪が自分たちの村の出身だった。人々が狂喜乱舞したことは想像に難くない。
 2001年11月。町の山中に「児啼爺」の碑が建てられ、妖怪を生かした村おこしが本格化した。道の駅大歩危が2008年8月に開場すると、妖怪の村は一躍全国区に躍り出たのである。

児啼爺の碑。山城町を有名にした
人間に抱きついて重くなる。これは怖い
道の駅にもいる

 山城町では道の駅の誕生とともに、地域の各種団体を母体とした「四国の秘境山城大歩危妖怪村」が発足。神をも恐れぬ大胆な試みが注目を集め、世界妖怪協会(水木しげる会長)から「後世に遺したい怪遺産」の認定を受けた。
 山城町は交通の便が悪く、少子高齢化が著しい。その山里で妖怪伝承と向き合い、あえて地域活性化に取り込んだセンスは素晴らしい。
 道の駅の展示は、どこか手づくり感が漂い、はっきり言えば少しチープである。しかし、どの妖怪像にも人間のぬくもりが感じられる。都会のテーマパークのように、金にあかせた豪華な展示やアトラクションはない。その代わり、山城町の人々が妖怪に寄せる畏敬の念と、故郷への強い愛情が痛いほど伝わってくるのだ。
 水木しげるが生まれた鳥取県境港市には、妖怪のブロンズ像が並ぶ妖怪ロードや水木しげる記念館といった観光施設がひしめいている。今年3月に訪ねた時は、クルーズ船の外国人観光客で狭い通りが埋まっていた。
 それに比べれば、道の駅大歩危は地味な施設かもしれない。だが、妖怪に興味があるなら、ぜひ一度は来るべき聖地のひとつである。

妖怪屋敷の入り口
ここから先は異界が広がる

妖怪は不滅。新たに生まれる仲間も

 道の駅には当然、お土産品の売り場がある。妖怪をデザインしたTシャツやバッグ、お菓子に小物。偉大な児啼爺のコネで、鬼太郎関連のグッズも多い。「妖怪屋敷オリジナルガチャ」では、ここでしか手に入らないフィギュアを販売している。
 私はもともと妖怪が大好きで、水木先生を人生の師と仰いでいる。とても素通りはできない。ふらふらと売り場を歩くうち、気づいたら水木先生の日本妖怪大全を買い込んでいた。よく考えたら、すでに持っている本だった。

妖怪のオリジナルガチャ
思わず手が出る商品が並ぶ
さまざまな鬼太郎関連グッズ

 どんなに文明が進んでも、人間は自然から離れられない。たとえAIが人間の仕事を奪おうと、夜の闇を追い払うことはできない。妖怪たちは自然そのものであり、この世から消え去ることはないのだ。
 道の駅の一角では、昔からいる妖怪のミニ絵画展が開かれていた。
猫又に傘化け、すねこすり。個性的な面々は、昔ながらの姿で私たちを魅了する。

妖怪の絵


障子に描かれた妖怪たち

 現代になって、新たに生まれた妖怪もいる。代表的な「口裂け女」は1979年春、突然出現して子どもたちを恐怖のどん底にたたきこんだ。当時、大学生だった私は、塾で教えていた小中学生が「口裂け女が出たらしい。外に出るのが怖い」と真顔で話していた様子を覚えている。
 道の駅大歩危には、山城町を歩いた子どもたちが自分自身の想像をもとに描いた妖怪画が保管されている。
 人間が人間らしい心を失わない限り、妖怪は必ず現れるのだ。

猫みたいな妖怪


こちらはかわいい。一度会ってみたい

 道の駅大歩危を訪ねて以来、私は以前よりも妖怪にはまってしまった。山を歩けば足音に耳をすませ、かすかな気配に身をすくませる。児啼爺のような妖怪がいる四国は、なんと豊かで楽しい土地なのだろう。自然を身近に感じ、妖怪の存在が信じられる生活は悪くない。
 この記事は自宅で書いている。もう午後8時を過ぎ、窓の外の田んぼと山は闇の底に沈んだ。月も星もなく、本物の暗闇だけが見える。今夜、妖怪はどこに出かけているのだろう。
  

山の急斜面に点在する民家。自然に包まれている


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