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漫画「土佐の一本釣り」青柳裕介が愛した漁師町を歩く


 高知県中土佐町の久礼港。果てしない太平洋を見渡す公園の一角に、スケッチブックを持った男の石像が立っている。高知出身の漫画家で、海と漁師の物語を描き続けた青柳裕介さん(2001年8月没)。若いカツオ漁師を主人公にした「土佐の一本釣り」をビッグコミックに発表し、小さな港町の久礼を全国的に有名にした人物だ。酒と仲間が大好きで、何があっても自分の信念を曲げなかった「土佐のいごっそう」。青柳さんが愛した久礼を訪ね、その足跡をたどった。


水平線を見つめる石像。代表作の舞台「久礼」

青柳裕介さんの石像。地元の人たちが建てた
石像の前には海が広がる

 ジャケットに下駄ばき。ラフな格好で岩の上に座った青柳さんは、防波堤の向こうに広がる水平線を見つめている。久礼の漁師たちは今も、この港を出てカツオを追う。高知県野市町(現香南市)生まれの青柳さんは、久礼の借家に住みながら、代表作「土佐の一本釣り」を描いた。
 連載は1975年から1986年まで続いた。主人公の小松純平は中学校を出てからカツオ船「第一福丸」に乗り込み、一年の大半を漁に明け暮れる。物語は純平と、後に妻となる幼なじみの吉村八千代を中心に進む。
 カツオ漁師は太平洋を流れる黒潮に乗り、台湾近海から東北沖を回遊するカツオを釣る。航海は2~10月と長く、家族と過ごせる時間はわずかしかない。しかも危険が伴う命がけの仕事だ。
 

土佐の一本釣り(小学館出版)
純平を支える八千代。ともに久礼で生まれた

 純平は厳しい漁業に従事しながら、一人の男として成長していく。漁師だった父を海難事故で亡くし、海で生きることが自分の使命だと信じている。言動が荒っぽく、時には先輩漁師とも衝突する。都会の若者のように、要領よくやっていけない。そんな純平が、何よりも大切にしているのが2歳年上の八千代なのだ。
 第6巻「親父の唄」では、純平が自分の思いをうまく伝えられなかったことから、八千代を傷つけてしまう。第一福丸の出航を迎えた朝、純平は黙って船に乗るが、船頭や乗組員は見過ごすことができない。
 港の沖で船を旋回させる。汽笛を鳴らして八千代を防波堤に呼び出すと、純平を海に放り出す。
 「手にぎったら、すぐに帰って来いよ」。そんな船頭の言葉に送られ、純平は泳いで八千代のもとに。防波堤で固く抱き合った2人は、そのまま海に飛び込んで愛を誓う。

純平を思う八千代。相手の真意が分からない
汽笛を鳴らして八千代を呼ぶ第一福丸


結婚を決意した純平

海のにおいがする漫画。徹底したリアリティ

 長い航海を終えた純平は、八千代と結婚することを決意する。しかし、父親の千代亀は、まだ半人前の純平を認めようとはしない。「出直して来い」と怒鳴られ、やけ酒を飲むのである。
 酔った純平は、久礼の町が見える防波堤に行く。夜が更け、空には星が輝いている。カツオを追い、海から海へと走る漁は終わった。純平はまだ、故郷に帰った実感が持てないのだろうか。「俺は今、久礼にいる……」と、自分に語りかけている。

八千代の父は純平を追い返す
久礼の町を眺める純平



久礼の町並みと漁船

 「土佐の一本釣り」では、久礼の風景が丁寧に再現されている。漁船が停泊する港、防波堤に守られた町並み、痛んだ網をつくろう漁師たち。青柳さんは何げない人々の営みにも目を向け、精緻な絵にしている。
 久礼に住んでいなかったら、とてもこんな漫画は描けなかっただろう。ページをめくる度、海と魚のにおいがする。カツオ漁や漁師町の暮らしがリアルに伝えられたからこそ、名作になりえたのだ。

リアルに再現された久礼の風景
海に面した久礼。いくつもの防波堤がある


作者の分身だった純平。一本釣りの町を全国区にする

 青柳さんは「土佐の鬼やん」「川歌」など多くの作品を残し、がんのため56歳の若さで亡くなった。死後、インタビューに答えた妻は「言葉はがい(荒い)だったけれど、いつも筋が通っていた。がき大将のような人でした」と、振り返っている。
 青柳さんは中学校を出た後、板前修業をしながら漫画家を目指した。その姿は純平と重なり、まるで分身のように思える。
 スナックを経営する古い友人によると、青柳さんは夜中の12時に電話をよこし『今から行くき、開けちょけ』と、1時間もタクシーを飛ばして乗り付けたという。
 以前見たテレビ番組では、コップに注がれたビールを必ず一息で飲み干し、豪快に笑う姿が映されていた。漫画家というより、久礼の漁師にしか見えない。そんな人物が、地元の目線で漁師町を描いたのだ
 漫画「土佐の一本釣り」は、中土佐町久礼を全国区にした。物語はこれまでに2回映画化され、1980年公開の作品では元キャンディーズの故田中好子さんが八千代を演じている。
 久礼には現在、外国人も含めて多くの観光客が集まっている。青柳さんの存在なくして、ここまで有名になることはなかっただろう。

観光客でにぎわう町
青柳作品をモチーフにした日本酒

 ビッグコミックで「土佐の一本釣り」の連載が始まった年、私は中土佐町に隣接した須崎市の高校に通っていた。久礼といえばそれまで「漁師が多いがいな町」というイメージしかなかったが、純平の登場でみんなの見る目が変わったのを覚えている。
 私は漫画の連載期間中に進学で高知を離れ、社会人となって結婚した。純平と八千代の歩みは、私の人生とオーバーラップする。県外に出てからも、漫画を読むたびに高知を思い出したものだ。
 荒っぽいけれど、どこかあたたかみのある土佐弁の響き。南国の海と空の青さ。故郷を離れた自分にとって、漫画は懐かしい空気に満ちていた。

土佐の一本釣りの一場面


鉛筆を握った青柳さんの石像

 青柳祐介さんの石像は、手に鉛筆を握っている。ご本人も生前、この海岸でスケッチブックを開き、愛してやまない久礼の海と向き合っていた。
 県外から久礼を訪れることがあったなら、ぜひ青柳さんと対面してほしい。そして、彼が残した「土佐の一本釣り」を読んでほしい。そうすれば、高知の海がもっと身近になり、忘れられない土地になるはずだ。

石像前から海を見る

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