【読書メモ】佐藤雄基『御成敗式目』中央公論新社、2023

 佐藤雄基『御成敗式目』を読んで、(元)高校教員的に関心のあるトピック4点につきまとめた。

1新しい権力観

 本書では、かつての通俗的権力観(例:鎌倉幕府は朝廷の有する権限を積極的に奪取して強大化した)を相対化する説明が繰り返し現れる(下記の引用を参照)。

・(平氏滅亡後の頼朝と朝廷の合意について)「鎌倉幕府の自己限定的な動きは、朝廷・京都との間に「線引き」して自己規定を行ったという点において、幕府成立史上画期的な意味を持つ」(24頁)
・「しばしば御成敗式目は武士の権利を保護するための法であると論じられてきた。しかし、まずこの式目の目的は、武士たちに非法を起こさせないことを目的としていたことに注意したい。」(44頁)
・「五十一箇条全体を見渡すと、新たな権力である鎌倉幕府が、朝廷・荘園領主をはじめとする中世社会とどのように関係を結んでいくのか、その中で権力基盤である御家人集団をどのように制御していくのか、という二つの側面が強いことに気づかされる。」(99頁)

佐藤雄基『御成敗式目』中央公論新社、2023

 こうした権力観は、近年の研究史上のトレンドである。山田徹・谷口雄太・木下竜馬・川口成人『鎌倉幕府と室町幕府 最新研究でわかった実像』(光文社、2022)の第一章「部分的な存在としての鎌倉幕府」(木下竜馬)では、近年の研究における権力観の転換を論じる中で、以下のように述べる。

・「ここに見られるのは、新たな権力観である。従来の研究の前提として、政治的な主体(人間でも組織でも)は権力欲から闘争を行うものだという認識が強かった。それに対し近年の研究は、必ずしも諸主体は権力獲得を目的としていないと考え、対立ではなく協調、強制ではなく合意の側面に注目する傾向があるように見受けられる。そこから導き出されるのが、「受け身の幕府」像である。幕府の施策を再考し、実は幕府に積極性はなく、別の主体の要求に応えたものにすぎなかったとする研究が九〇年代から多くなった…」(25頁)
・「とはいえ、いくら介入を公家側が求めているからといっても、「幕府にはやる気がなかったのだ」と権力性自体を否定する論法には危うさもある。むしろ、人びとが介入を求める裏には、幕府内の少人数の決定が多くの人たちに深甚な影響を及ぼす非対称性を読み取らなくてはならない。その上で今後は、公武の実質的な権力配置―協調や合意の裏にある権力―を考えていく必要がある。これをただしく評価するため、幕府が積極的か消極的かという次元を超えた、さらに別の権力観とそれを語る語彙が求められているのではないか、という点を付言しておきたい。」(42頁)
・(※座談会での木下氏の発言。近年の研究特有のモードとして)「一つは権力や政治の見方として、対立ではなく協調、強制ではなく合意、意図的ではなく状況依存的といった側面を重視するようになってきたということ。」(227頁)

山田徹・谷口雄太・木下竜馬・川口成人『鎌倉幕府と室町幕府 最新研究でわかった実像』光文社、2022

 1990年代以降の「受け身の幕府」像ですべてが説明できるわけではなく、「協調や合意の裏にある権力」を考えるべきだ、とする木下氏の指摘は、(教員としての勤務経験からも)首肯すべきものである。
 著者は、鎌倉幕府が何に強い関心を抱いたのか(幕府の国制上の位置付け、御家人領の保護など)を明らかにしつつ、幕府が混乱した秩序に「線引き」をする権力としての性格を有したことを主張する。このような、幕府側の関心と幕府が置かれた環境を明らかにしたうえで、幕府が行使した権力の内実を検討するスタンス ―幕府自身の視座を復元して、そこから見える景色を分析する― が、近年の研究で意識されている。
 なお、高校教科書の『詳説日本史探究』(山川出版社、2023)においても、分量としては少ないが鎌倉幕府の既存秩序との融和性への言及がみられる。

「幕府は守護・地頭を通じて全国の治安の維持に当たり、また年貢を納入しない地頭を罰するなど、一面では朝廷の支配や荘園・公領の維持を助けた。」(93頁)

『詳説日本史研究』山川出版社、2023

 ちなみに、権力の側が常にやる気マックスで支配に臨んだわけではない、という話を見るたびに、評者は某ゼミにおける先生の「昔仮面ライダー見てて思ったんだけど、ショッカーって真面目だよね。世界征服したら、世界中の面倒ごとを全部抱え込まなきゃいけないからね」という発言を思い出す。

2トップ層の実務経験

 第7章「庶民と撫民」の中で、著者は泰時らが撫民(百姓の保護)政策を展開した背景として、彼らが荘園経営の実務経験を有したこと(一方で、京の荘園領主にはそれがなかったこと)を指摘する(163頁)。著者の意図からは少し離れるが、トップ層の実務経験の有無は、組織論において結構重要な要素ではないかと考える。たとえば某中古車販売会社の如く、実務経験のある初代社長と、実務経験が不足した暴虐なる二代目社長という組み合わせは、古今東西みられるパターンである。北条氏についていえば、泰時くらいまでは自身の所領の経営について直接関与する場面があったと思われるが、たとえば得宗の座が生まれながらに予定されていた時宗・貞時らにそのような経験があったとは考え難い。一般的に、組織が成長・複雑化するにつれて、実務は専門性を持つ官僚集団が担うようになるから、トップ層が現場を知らなくなるのは当然ではある。
 ただし、鎌倉時代は執権・得宗の代替わりで政局が混乱すると、新執権・得宗が訴訟改革を行って危機を乗り切るのが一つのパターンであった(尹漢湧「引付制から見た北条時宗政権の権力構造」『東京大学日本史学研究室紀要 別冊「中世政治社会論叢」』2013)。したがって、実務能力の不足したリーダーが現れた場合、初政において「社長だけど実務能力あるからね」と周囲に示すことができず、発足間もない新政権を危機に陥れかねなかった。私見では、貞時はまさにそのパターンだったのではないかと考える。

3式目と仏教語の関連

 式目第12条で定められた「悪口」の咎について、著者は式目の「悪口」が仏教語に由来する可能性や、僧侶の集団生活を規律するために生まれた罵倒行為の犯罪視が、式目に影響を与えた可能性を指摘する(118頁)。たしかに六波羅探題・鎮西探題などの「探題」も、「竪義(りゅうぎ)に対する論題の選定や竪義と問者の間の問答の当否を判定する最重職」(「探題」『国史大辞典』)を意味する仏教語であり、仏教語に由来する幕府関係の語彙は意外と多い。
 評者としては、御家人集団と僧侶集団を比較する話をみると、笠松宏至「中世の「傍輩」」(同『法と言葉の中世史』平凡社ライブラリー、1993)を想起する。御家人集団内における「御家人は皆傍輩なり」という理念と、僧侶集団の「一味和合」の理念は、実際には集団内部における不平等を伴うにもかかわらず、建前上はみな平等とする点で共通する。笠松氏は「傍輩」について、①集団内部における平等、②外部に対する連帯、の二義を指摘するが、たしかに御家人集団も基本的には閉鎖的な(一時的に御家人の門戸を広げようとした時期はある)集団であり、一応は世俗から隔離された僧侶集団との類似性が指摘できる。

4自己を映す鏡としての古典

 高校の現代文などでお馴染みの、夏目漱石「現代日本の開化」では、西洋の内発的開化と日本の外発的開化を対比して日本の開化の特徴を述べる(西洋中世と日本中世を比較するものとして、三浦周行「日本人に法治国民の素質ありや」『法制史の研究』1919など)。自身の状況を分析するに際して、外部と比較するやり方は、鎌倉時代においても観測される。著者は第10章「「古典」になる」において、鎌倉後期の六波羅奉行人斎藤唯浄が、中国古典と式目を結び付けようと試みたことを指摘する。唯浄は、公家の律令ではなく、中国古典の普遍的な世界に式目を接続することで、公家を相対化し、公家中心の秩序から距離を取ろうとしたという(217,221頁)。
 自己を映す鏡として、中国古典が選ばれた例としては、他に『和漢朗詠集』が挙げられる。和・漢を対比して ―中国古典を鏡として― 自国の文化(「国風」)を位置づけるあり方は、「我と異なる他者」としての中国文化観が前提にあり、その時代の自意識を考える上で格好の素材たりうる。高校の授業においても、何と対比して自己を認識しようとしているか、という問いかけは有効だと思う。


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