2021年東京大学第1問(9世紀後半における皇位継承・政務の安定化の背景)


【設問の要求】

・皇位継承をめぐる紛争がなくなり、「安定した体制」となった背景にある「変化」を説明
→何が「安定」したのかは必ずしも明示されていないが、(1)(2)より皇位継承方式の安定化、(3)~(5)より政務運営の安定化、の2点を読み取る。


【資料文の整理】

(1)承和の変以降、皇位継承方式は直系継承になる
…桓武以降、平城・嵯峨・淳和の兄弟間継承がなされたことを想起したい。
(2)天皇個人の判断で有能な文人官僚を抜擢。承和の変の背景には、淳和派の官人排斥があった。
…排斥の主体は藤原良房(仁明派)であることを踏まえて、官人間の対立が、それぞれの派閥の推す皇統の対立にリンクしたことを押さえる。
(3)官僚機構の整備、有力氏族が教育施設設置。
…天皇が政務を主導しなくて済むシステムが確立(政務の安定化)。官人の出身母体たる有力氏族は、教育施設を設けて有能な官人を安定供給。
(4)藤原良房が清和天皇を補佐。藤原基経の摂政就任。
…天皇を支えるミウチが政務を補佐。ミウチたりうる氏族の固定化
(5)法典編纂事業の進展
政務の安定化

皇位継承の安定化に関わる論点を挙げると、
(1)承和の変を画期に、複数皇統の並立から直系継承へ移行
→皇位継承の安定化に伴い、(2)官人の皇統別派閥抗争が終息

政務の安定化に関わる論点を挙げると、
(2)文人官僚の排斥、特定氏族による太政官独占→人事面の安定化
(3)(5)政務のシステム化→天皇に政治能力がなくても政務が回る状況の成立
(4)天皇を支えるミウチの固定化

以上の整理をもとに、
・第一段階:皇位継承の安定化(背景:直系継承への移行)
→直系継承が抱えるリスクの表面化(幼帝即位)
・第二段階:政務運営の安定化(背景:ミウチの固定化、官僚制の成熟)
の二段に分けて論点を整理する。

【解説】

〈第一段階〉皇位継承の安定化の背景
 9世紀後半に皇位継承の安定化がみられた前提には、承和の変をゴールとする嵯峨―仁明皇統への収斂(直系継承への移行)がある。その経過を[仁藤2019]によって整理する。

①前提:称徳天皇、太上天皇・皇太后不在の状況下で、皇太子を置かないまま崩御。安定的な皇位継承が課題になる。
②対応:光仁天皇以降、皇位継承の混乱を避けるために「複数の王統が維持され、互いに皇太子を立てる迭立が志向された」[仁藤2019,35頁]。
➂転機1:平城太上天皇の変
…平城の子、高丘親王は廃太子され、平城系による皇位継承の可能性消滅
④転機2:承和の変
…淳和の子、恒貞親王は廃太子され、淳和系による皇位継承の可能性消滅
→嵯峨―仁明皇統への収斂(直系継承)。but天皇急死時の皇位継承リスク大
→実際に、文徳天皇(仁明の子、享年31)の急死により上記リスクが露顕。

 皇位継承の混乱を防ぐために光仁朝以降の政権で採用されたのは、皇位継承の候補者プールを複数確保することであった。しかしこれは皇統間の競合を招くリスクがあり、淳和派官人vs仁明派官人の対立に起因する承和の変を経て、皇位継承候補者プールは嵯峨―仁明系に収斂した。ところが直系継承の抱えるリスクである、若年の天皇の急死時の候補者プール枯渇が文徳朝に起きてしまったことで、幼帝出現という新たな難題に立ち向かうこととなる。

第一段階まとめ


〈第二段階〉政務運営の安定化の背景:幼帝を支えるシステム構築
 古代の王権において、天皇の政務はその父系尊属たる太上天皇、母系尊属たる皇太后、天皇の妻たる皇后など、天皇の親族が中心となって支えた。しかし太上天皇は平城上皇の変を経てその権力を否定され、皇后も天皇のもつ権能へのアクセスを遮断された(詳細は別記事「摂関政治の前提について」参照)。天皇への権力集中は政務の混乱を防ぐ効用があったが、肝心の天皇が幼くては、後見者の存在が必須である。そこで母方のミウチたる藤原良房が前面に出る。
 良房は太政官以下の官僚機構を率いて政務を主導することになるが、太政官を構成する官人たちは嵯峨朝の文人官僚政策で高い実務能力を備えていた。加えて太政官のトップは藤原氏・源氏の特定氏族で独占されていたため、政務能力の安定化に加えて、人事面での安定化(固定化)も達成されていた。これにより、幼帝は安心して摂関に政務を委任することができた。

第二段階のまとめ


【解答案】

承和の変を機に、嵯峨系・淳和系の両統迭立が解消されたことで、天皇に個別に忠誠を誓う官人間の派閥抗争は終息した。しかし直系継承は幼帝出現の危険性を内包した。そこで天皇のミウチの地位を確保した藤原氏北家は、摂政として成熟した官僚機構を率いて政務を主導し、政治能力を欠く天皇が政務を委任できる環境を整えた。(150字)


【あとがたり】

 本問を解くにあたり有益なのが、『もういちど読みとおす山川新日本史 上』の以下の記述である。

「9世紀になると、天皇の権力が確立し、権威は安定した。しかし、従来からの氏族が天皇に対して奉仕する関係はなくなり、天皇個人の力と関係なく貴族による官僚制が機能するようになり、幼少の天皇も登場した。この間、天皇は能力の高い文人官僚を抜擢したが、結局は律令政治を推進してきた藤原氏北家を中心とする貴族社会へと再編されていった。」

『もういちど読みとおす山川新日本史 上』山川出版社、2022年、61頁

 拙解答案では天皇権力の確立については除外したが、本来これも摂関政治の前提として入れるべき要素である。しかし、(1)(2)に示されるように、本問は承和の変を画期として9世紀前半・後半の差異に注目させる問題であるため、平安初期になされた天皇権力の確立については触れなくていいと判断した(入れたことで減点されることはないが、本問に関しては他の要素の方が優先度が高いと考える)。
 なお、大学側が公表した出題意図は以下の通り。

「第1 問は、9 世紀前半と後半の政治の変化を、承和の変の意義を中心にして、その背景を広い視点から問うものです。天皇のあり方の変化(幼帝の即位)と、官僚制や法典・儀礼の整備藤原良房・基経による摂政の成立とが相互に関連しながら、安定した体制が生まれることに気付いてもらうことを意図しています。」 

東京大学HPより

 本解説の第一段階が「承和の変の意義を中心に」9世紀前半・後半の変化を説明するパート、第二段階が「天皇のあり方の変化(幼帝の即位)」・「官僚制や法典・儀礼の整備」・「藤原良房・基経による摂政の成立」の関係を説明するパートに相当する。しかし「官僚制や法典・儀礼の整備」について、解答案でうまく処理できていない憾みがあるので、今後の検討により解答案を改める可能性がある。


【参考文献】

・仁藤智子「幼帝の出現と皇位継承」(歴史学研究会編『天皇はいかに受け継がれたか―天皇の身体と皇位継承』績文堂出版、2019)
※加藤陽子氏による解説あり

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