律令制と帝国構造

 律令編纂の意義について、大津透『律令国家と隋唐文明』(岩波新書、2020)はこう述べる。

「律令編纂の第一の意義は、唐の進んだ文明、高度な統治技術を輸入して、古代国家の構造を作り上げたことにある。唐と同じように、周辺諸国を諸蕃、異民族を夷狄として天皇に従属させる帝国構造が作られ、太政官・神祇官と八省以下の複雑な官司構造が作られ、正一位以下三〇階の位階制による官僚制と、緻密な勤務評定と昇進のシステムが輸入され、戸籍と計帳による人民の把握や文書行政のシステムが取り入れられたことは高校の歴史教科書で記されているとおりである。」

大津透『律令国家と隋唐文明』79頁

帝国構造と蝦夷

 帝国構造と蝦夷の関係については、東京大学2017年第1問Aが参考になる。解答すべき内容として、律令国家が蝦夷を「異民族」として位置づけ、服属させようとしたことは見やすい。では、その逆ベクトルの内容、すなわち蝦夷から律令国家に対して何が行われていたかを指摘できるだろうか。
 (4)の砂金・昆布・馬などの東北の物産が貴族に珍重されたことから、これらが「異民族」たる蝦夷からの朝貢品として扱われていたと読める。たとえば、岩波講座日本歴史には以下の記述がある。

「城柵には国司が派遣されて城司と呼ばれ、…公民支配・蝦夷支配を行った。…そこに蝦夷が朝貢して国家への服属を誓約し、城司は天皇に代わって朝貢を受け、饗給を行ったのである。…蝦夷が朝貢で納めた方物のうち、昆布は陸奥国の閇村(弊伊村)の蝦夷が(『続日本紀』霊亀元年〈七一五〉一〇月丁丑条)、毛皮は主に渡島蝦夷が貢納し(『類聚三代格』巻一九延暦二一年〈八〇二〉六月二四日太政官符)、交易雑物として陸奥・出羽両国から京進された(『延喜式』民部式下)。また蝦夷のは鷹とともに天皇の貢御として京進されたほか、現地では兵馬として重視された。朝貢・饗給には、蝦夷がもたらす北方の特産物を収取する実利的な意味もあったのである。蝦夷の特産物は京の王臣家に珍重され、蝦夷との私的交易も横行した。」

※饗給:宴会を催し、禄物を与えて懐柔すること。蝦夷対策を担う陸奥国・出羽国の国司には、他国にはない特殊業務として「饗給 、征討、斥候 」があった。

鈴木拓也「律令国家と夷狄」(『岩波講座日本歴史第5巻 古代5』岩波書店、2015、324-325頁)

帝国構造と帰化人・渡来人

 周辺諸国を諸蕃とみる帝国構造において、外国からやってきた技術者の扱いはどうなっていたのか。大宝令には外国人が帰化した時の規定があるが、唐令にはない独自の規定として、「もし才技有らば、奏聞して勅を聴け」というものがある。これは帰化人の中に特殊技術を持つ人がいれば、天皇に奏上して勅の処分を待てという意味である。帰化人・渡来人が様々な技術を伝えたことは周知のことだが、この規定は養老令では削除されてしまう。
 削除の理由について、大津氏はこう説明する。

「日本律令国家は、唐と同じように帝国構造をとり、自身を中華とし、新羅・渤海などを諸蕃として従属させる構造を取った。したがって諸蕃の帰化を受け入れるのに彼らが優れた技術をもっているという規定は、律令国家の体面と矛盾するとして削除されたのだろう。しかし現実には工匠など技術については、帰化人の重要性があり、律令法のもつ帝国構造と矛盾が起きているのである。」

※大津氏は「帰化人」の表記について、「たしかに「帰化」は王権や律令国家の論理であるが、しかし「帰化」に差別的な意味はなかったし、自らの意思で定住した人も多い。単なる移動を示す「渡来」では、彼らが日本に移住し日本人の重要な一部になったことを表現できないと思う。」(同121頁)とする。

大津透『律令国家と隋唐文明』118頁

 帝国構造が元々実態と乖離したフィクションを伴うものであった点は、問題を解く際に注意したい。


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