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『まちがったっていいじゃないか』

今から30年以上前に書かれた本だけど、また新たに取り上げてくれたらいいなと思う一冊。森毅の『まちがったっていいじゃないか』。

森毅は1928年生まれの数学者。昔はテレビにもよく出ていたとか。ぼくは、森毅の『チャランポランのすすめ』を古本屋で見かけて知って、この本はタイトルもさることながら、森毅だ!と思って手に取りました。この本は中学生に向けて語りかけるように書いてあって、ぼくが中学生の時に手に取っていたなら、確実に何度も読み返したバイブルとなっただろうと思います。

森毅。
こういう人が居てくれたことがとても心強いなと思いました。言っている内容全部を全部肯定するとか、そういうことではなくて。森毅は、「ぼくはこう思う」と語る、今で言うところの「Iメッセージ」で話す人で。だから、「そっかー、そう感じたものはそう感じたのだし、そこから考えたこと、正直に言っていいんだなー」と教えてくれました。

大人たち(上の世代)の話を聞くと、森毅のような人は、おそらく当時は「変わり者」扱いだったのかもしれません。だけど、今ではどうだろうかと思います。


 今では定価がついていて、店の人がいるのはスーパーのレジだけぐらいになり、ときには無人の自動販売機になる。ボタンを押しながら世間話をするわけにもいかないし、お金を出して品物を手に入れることだけは、確実にできる。しかし、なにかむなしい。
 このごろの遠足では、目的地へ向かって、ひたすら急ぐという話を聞く。蝶や花を追ったり、景色を眺めたり、ときにはわき道へ入ったりすることをせずもっぱら目的地へ向かう。コースはきまっていて、迷う楽しみは奪われている。

ー中略ー

 いまさら時代ばなれしたのを覚悟して言えば、道草を楽しんでいるうちに、目的地についてしまうようなのが、ぼくは好きだ。市場へおしゃべりに行って、ついでに買い物をしてしまうようなのが好きだ。目的以外のややこしいことを楽しんでいて、目的はその結果のようなのが好きだ。

『まちがったっていいじゃないか』ーややこしさのすすめー 森毅


 「中学生らしく」とか、「高校生らしく」とか、よく言う。
 ぼくは、この言葉がきらいだ。そんなことを言ってると、男は男らしく、女は女らしくとなって、はては日本人は日本人らしく、なんてことを言いだすのじゃないかと思う。
 ナントカらしさというのは、どうも人それぞれに思い入れがありながら、何かのタイプを連想して、人間をその型にはめ込もうとするところがある。それが、どうしてナントカらしいのか、と言われたら困るだろう。ぼくだって、大学教授らしくしろなんて言われたら、どうしていいか、わからない。

『まちがったっていいじゃないか』ー自分らしさー 森毅


「向下心」、なんてことばはない。ただ、あの「向上心」というのが、なにか「優等生」という型へ向けて、その型に合わそうとする努力みたいで、ぼくは好きでない。
もしも、その「優等生」になってしまったら、こんどはどこの「上」を向くのだろう。それとも、その型からはずれないように、心配すればよいのだろうか。

『まちがったっていいじゃないか』ー下を向いてー 森毅


この本の最初は、ファシズムの本質から語られています。
森毅は、「戦争」というものを目の当たりにした人。そのゆるやかな語り口とは裏腹に、少年時代を「戦争」というもののなかで過ごしてきた者ゆえの質感みたいなものを、言葉の底から感じます。

ズッコケやドジ。
それらをいつくしむようなまなざしは、きっと、人々を戦争へと向かわせない社会でいるための大切な姿勢なんだろうなと思いました。

まぁまずは、ドジな自分に、いつくしむまなざしを向けてみようよ。
そうしたまなざしで、世の中がいっぱいになったらいいなって思います。そうしたら、「自己肯定感」なんてものに悩む人も、人々のいざこざも、減るんだろうなって思うから。


実際に、自分で何度も誤ったことがあり、正しいことと誤ったことの、からまりあったなかで生きてきた人は、他人の誤りをけっしてバカにしたりはしないものだ。誤りから学び、誤りのなかからこそ真理の出てくることを、知っているからである。本にある「正しい」ことと違うと言って、誤りをバカにするのは、本のなかでしか「正しい」ことを見たことがない人間だ。

『まちがったっていいじゃないか』ーまちがったっていいじゃないかー 森毅


人間にとって重要な問題は、たいてい答えを持たない。それに答えがあるように思ったり、なにかの結論を自分の「答え」ときめこんでしまっては、いけないのだ。「正解」などを信じこんで、安心してしまっては困る。
 いままでに書いてきた、ぼくの考えだって、ときには断言めいた姿をしていても、ずいぶんと心細いものだ。悩みながら、ゆれながら、答えているようなところがある。その証拠に、ところどころ、考えがぐらついたり、矛盾したりもしていよう。
 人間が、人間についての問題を考え、それに答えるというのは、そんなものだと思う。それでも問いつづけ、答えつづけるよりない。人間にとっての、重要な問題は、たいていそうしたものだ。

ー中略ー

これから、きみたち自身について、なにを考えていくかは、きみたちの問題である。
 それには、答えはないだろう。でも、それが、とても大事な問題なんだ。

『まちがったっていいじゃないか』ー答えのない問題ー 森毅



まちがったっていいじゃないか。
そう言って開き直るのではなく、居直る。


森毅は、本の中で何度も「居直る」という言葉を使っていました。
「開き直る」じゃないんですよね。
「居直る」っていい言葉だなと、新たな発見で。

何度も読み返したくなる一冊です。


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