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vol.11 熱海を再び盛り上げたファーストペンギン 〜machimori市来広一郎さんのはじめの一歩〜

ミチナル新規事業研究所、特派員の若林です。
組織に潜む「ファーストペンギン」が一人でも多く動き出して欲しい!という想いで知恵と勇気を与える記事を定期的にお届けしていきます。
第11号の記事では株式会社machimoriを立ち上げ、熱海の街を盛り上げ続けている市来広一郎さんのはじめの一歩を紹介します。

「故郷を失った感覚」を覚えた原体験

市来氏は熱海に生まれ、高校まで熱海で生活をしていた。その後、物理の勉強をするため都内の大学へ進学をしていた。
そんな中、彼が20歳の時に両親が勤めていた熱海の保養所がなくなる。
両親が転勤をし、転居することになった時、帰るところを失った、故郷を失ったという感覚を感じた。この体験をきっかけに熱海の厳しい状況を強く認識することになったという。

FINDERSインタビュー記事より

熱海は東京から新幹線で1時間程度とアクセスがよく、気軽に来られる温泉地として栄えていた。高度経済成長期の50〜60年前は、週末ともなると、メインストリートの商店街「熱海銀座」は歩行者天国となって、観光客が溢れるほどの賑わいを見せていたという。

「あまりにも大勢の観光客が日本全国から訪れるので、地元の人は夜中までうるさくて眠れなかったほど、熱海の街は栄えていたという逸話を聞いて育ちました」と市来氏は語る。

しかし、バブル崩壊以降、熱海に訪れる観光客は激減し、廃業する旅館や保養施設が相次いだ。その不況の影響を受け、彼の両親が働いていた施設も閉鎖したのだ。1990年代後半以降、たった数年で街は廃墟のような町並みに変わっていった。誰かが夜逃げしたり、自殺したりといった話を頻繁に耳にするような沈んだ状況にあったという。

取材を通じて熱海の人や課題を知っていった

グリーンズ:インタビュー記事より

旅好きの市来氏は大学院を卒業した後、コンサルタントの仕事をしながら、バックパッカーとして世界を周っていた。イタリアにある地中海の楽園と言われるアマルフィを眺めながら、ふと故郷の熱海を思い出したという。

「美しい地中海を眺めていたら、そこが故郷の熱海に見えてきました。そう思うと、熱海って意外とイケてる街なのに衰退したままではもったいないと思えてきました。様々な国を旅しましたが、例えばインドでは貧しくても目が輝いている人ばかりなのに、豊かなはずの東京ではみんなの目が死んでいるように見えました。でも、いきなり東京を変えることはできません。それならば、身近な熱海から何か社会にインパクトを与えられればと考えるようになりました。」

熱海に何かインパクトを与えられないかと、活動を始めた彼は、熱海の街や人を紹介する「アタミナビ」というウェブマガジンに取り組んだ。面白い人がいると聞けば取材に行き、お店の人や農家、市議会議員や子育てママなど熱海のあらゆる人々を取材して回った。

「ポータルサイトですが収入はありません。昼間に街の取材をして、夜は塾のバイトで稼ぐ、という生活が3年ほど続きました。」と当時を振り返る。

しかし、この活動のおかげで多くの人と知り合い、地域の課題が見え、街づくりのヒントやアイデアが生まれたと語っている。

熱海市民が抱く地元へのネガティブな感情を分解していく

取材をしていく中で彼は、熱海の人たち自身が「熱海には何も無い」といっていることに驚かされたという。そして、顧客からのクレームの声を聞くことでさらに地元に対してネガティブな感情を持たされていることに気がついた。

「熱海が低迷した原因として、特に十数年前は、熱海の観光客の満足度が低かったことが大きいです。ネット上では、旅館では『食事中なのに時間だからとさっさと下げられた』とか、街中では『タクシーの運転手の態度が悪かった』といったクレームの嵐。旅の主流が昭和ならではの団体旅行から個人旅行へと移り変わっているのにもかかわらず、熱海の観光システムは取り残されたまま、雑なお客さんへの扱いが表面化したかたちです。その後調査してみると、実は外部からだけでなく、半数近い熱海市民も地元に対してネガティブな感情を持っていることがわかりました」

彼は、そのネガティブな感情の根本の原因を次のように分解している。

「現在、熱海では年間20回も花火が上がります。花火を上げれば上がるほどたくさん観光客が来るからです。でも、地元の人にしてみたらそのたびに渋滞するし、本当はそんなに頻繁に花火なんか打ち上げて欲しくないわけです。これに象徴されるように、これまで観光優先で自分たちの暮らしが置き去りにされてきた感覚が地元の人にはあったのです。だからこそ、まず変えるべきは観光ではなく、地元の人。内側から熱海ファンを作っていこうと考えました

このような気づきを得た彼は、熱海に住む地元の人が地元ファンになって楽しいことを再発見するための体験交流型プログラム「オンたま(温泉玉手箱)」を始動した。

前例がないからこそ、まずは行動をすることで理解を得た。

「オンたま(温泉玉手箱)」はお店の人たちにとっては直接大きな売り上げにつながる話ではないため、それが一体何になるの?といったリアクションだった。また、「なぜ観光地の熱海で地元の人向きにそんなことをするんだ」といった声もあったという。

FINDERSインタビュー記事より

彼自身も初めての取り組みで前例のない状態であったため、地元の人々が懐疑的な感情を抱くのは無理もない。しかし、まず形にして行動に移してみたことで徐々に地元住民の間に理解が広まっていったという。

このプログラムで行った熱海の資源の再発掘は街中にとどまらず、これまで実はあまり有効活用されていなかった海でのシーカヤックツアーやヨガ、農業体験などにも応用された。

熱海市や観光協会がバックアップしてくれたことも大きく作用し、内側から熱海ファンを作ることでじわじわと外側にも広がっていった。
経緯について、市来氏は次のように説明する。

「こうしたツアーに最初に反応してくれたのは熱海の別荘族の人たちでした。ツアーに参加してお店の人と仲良くなれば、それ以後は常連さんみたいな顔ができますから、自分たちのゲストに勝手にガイドしてくれるようになったのです。これまではそんなに別荘に頻繁に訪れることはなかったのに、『熱海ってこんなに面白いんだ』と再発見できたことで、来る頻度が増えるようになりました。移住者たちも、『熱海に移住してよかった』『第2の人生が幸せになった』などと口々に言ってくれるようになりました」

FINDERSインタビュー記事より

彼らの調査によると地元にネガティブなイメージを持っていたはずの熱海在住者の約70%が、「熱海のイメージが良く変わった」と回答する結果になったという。

クリエイティブなコミュニティを熱海の中につくる

市来氏自身も商店街「熱海銀座」に店を構える老舗干物店「釜鶴」の5代目店主と意気投合。空き店舗だらけの「熱海銀座」にクリエイティブな30代に選ばれるエリアを作るという構想のもと、2011年に両社が出資し「machimori」を創業した。

その第一歩として、コミュニティラウンジ併設のゲストハウス「MARUYA」を開業した。

グリーンズ:インタビュー記事より

「出店前に街の人からは、『熱海銀座に未来はない。飲食店なんかやっても絶対成功しない』とさんざん言われました。実際、ゲストハウスには即座に出資が集まりましたが、カフェに出資してくれる人は誰1人いませんでした。“クリエイティブな30代が集まる場”と聞いて、街の人からは『そんなのお前くらいしかいないじゃないか』とも言われました(笑)。でも、少数ではありますが、移住するフリーランスも増えていて、新しい変化の兆しを感じたことがきっかけでした。クリエイティブな人に着目したのは、彼らなら自分たちで何かを興していけるから。そもそも便利で身近にいろんなものが手に入ることを望む人には、熱海は面白くない街かもしれません。まずはそれがなくても楽しめる人たちに向けた場を作ろうと考えました」と語る市来氏。

実際に、飲食店としては失敗したものの、狙い通りクリエイティブなコミュニティ機能を持つカフェとしては確立していった。その波を加速させるために、次の一手として、熱海銀座でマルシェを開催。地元のクラフト作家やオーガニック農家などが出店し、通りに5000人の人が訪れるようになった。

FINDERSインタビュー記事より

その後、57年間、倉庫としてさえ使われていなかった地元の空き店舗をリノベーションし、コワーキングスペースを作った。

「熱海市のような小さな町ではプレーヤーに限界があるので、外から呼び込む施策も必要だと考えました。街が再生し、安住するには、いくらか資源や商品があっても、人がいなければ新しいものも生まれません。今後は、”観光・宿泊”や”移住”にとどまらず、例えば、東京・熱海の2拠点に生活と仕事の場があるといった多様なライフスタイルをこの街から提案していけたらと考えています。」そのために立ち上げたのが、熱海での起業支援プログラム「99℃」であり、コワーキングスペース「naedoco」である。


市来氏は今の暮らしに100%満足していて、家族も、仕事のやりがいも全てを手に入れたと語る。自分の世界も劇的に広がり、他の地域とのつながり、海外との繋がり。東京にいた時より面白い人とつながることができているようだ。


「すべて満たされてしまうと、モチベーションがなくなるんじゃないかな?」と一時心配したようだが、モチベーションは変わらなかった。自分のように、満足して生活のできる人が一人でも増えると良いと考えている。

海外の話も来ているようだが、2030年までは熱海を優先して、街中に住める場所、楽しみがあって、泊まれる場所を作っていくということを、住宅や宿泊、街中の物件のリノベーションを通してやっていきたいと考えているようだ。
地域復興を民間主導で行なっている市来氏の取り組みは、熱海だけにとどまらず今後日本が抱えていくであろう社会課題を解決する上でも大きな価値を生み出している。

愛着があるからこそ続けられる地域復興のあり方

熱海の街を盛り上げ続けている会社machimoriを立ち上げた、市来広一郎さんのはじめの一歩を紹介しました。
今回の記事を書いていて思ったことは、地域復興を行う人がその地域に愛着を持っていることの力強さです。市来氏は生まれ育った熱海という場所、そしてそこに住む人たちに対して誰よりも強い愛があるのだと感じました。だからこそ、今まで他の人が気づくことのなかった資源を見つけることが出来るし、熱海という場所が辿り着いて欲しい理想の姿を明確に描くことが出来ている。
地元の人たちが無理だ、やる意味がないといったプログラムを小さく実行に移し、最終的にはその実績を認められ地元の人たちから感謝をされる。これが可能になったのも、熱海という地に対して深い愛情があったからではないでしょうか。

地域復興について考えるとき「この地域に何をしてあげれるだろうか」「この人たちに何がしてあげれるだろうか」という視点でだけ考えると、その行動を否定されたときに、怒りや裏切られたような気持ちになってしまうのではないでしょうか。そうではなく、その中に「私はこの地をこんな姿にしたい」という揺らぎない意志があることで、壁にぶつかったとしても乗り越えられるし、地域の住民とも同じ立ち位置で正面からコミュニケーションを取れるようになる。そんなことを教えてくれる市来広一郎さんのはじめの一歩でした。

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