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太郎さん

愛おしい

愛知県美術館で行われている
「岡本太郎展」を見に行きました。

岡本太郎さんの作品は特に好みというわけでは無いけれど
ポッドキャストで太郎さんの若い頃の話を聞いて
何だかすごく愛おしい人になったのです。

太郎さんのご両親は漫画家の岡本一平と作家の岡本かの子さん。
特に父親の一平さんは当時、彼を知らない日本人はいないというほどの有名人。
かの子さんは文学少女で
芸術家としての一平さんに惚れて結婚したけれど
一平さんは彼女が思っていたような芸術家然とした人じゃなかった。
そこで、ムスコの太郎に理想を押し付けます。

一平の仕事で欧州行きが決まると
東京美術学校に入学したばかりの太郎を退学させて旅に同行させ、
挙句の果てに美術の勉強しろとパリに置き去り。

何者でもない
美術の勉強を始めたばかりの10代の太郎さん。
言葉もわからないままパリで描き始めます。
途方に暮れた末に
それならフランス人になってやろう!
という気概で頑張ったそうですよ。

パリでは私学の寄宿生として過ごし
言葉ができるようになると
抽象画家の団体「アプストラクシオン・クレアシオン協会」に所属。

モンパルナスのアトリエで抽象作品を制作していきます。
(最近見つかったその頃の作品が、展覧会には出品されていました)
そして抽象絵画と訣別した記念碑的作品が写真の「痛ましき腕」。
シュールレアリズム団体展にコレを出品して喧嘩を売った?太郎さん。
以降、シュールレアリズム作家との交流が始まります。

そんなわけで、太郎さんは学校で美術を学んだ経験は無いんですよ。
パリ大学では哲学と民族学を専攻しています。
もし、あのまま東京美術学校を卒業していたら
太郎さんは果たしてどんな画家になっていたのでしょうか?

18歳でひとり、パリで頑張った太郎さんを想うと
私の母性が強い力で刺激を受けます。
何を描いていいのか、どう描いていいのか、まだ何もわからない
白紙の青年がパリで先導者なしで進んでいったのですからね。
愛おしいよ。
結果的には大成したので、
かの子さんの教育方針で良かったのでしょうが
既成の美術教育を受けた太郎さんというのも見てみたかった。
芸術は爆発せずに、また違った個性が花開いていたのでは無いでしょうか。

参考の耳活「ポッドキャスト」または「voicy」
「そろそろ美術の話を」アートテラー・とに〜
#007 芸術家”岡本太郎”が生まれるまで 

*noteの使い方がまだよく分からないので↑音源がリンクできません。
ごめんなさい。
ぜひ、聴いてみてください。


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