行動する人にしか運はやってこないと言うけれど。
偉い人から、有名な人、政治家や芸術家、起業家からスピリチュアルな人まで、挙って、行動しなければ何も変わらず、何も起きず、幸運もつかむ事も小さな運でさえ、やっては来ないという。
言ってないかもしれないが、同じような意味のこと話しているのを聞いている。
なぜならば・・・・というその理由ももちろん聞いて、そうだよね、と、理解することはできる。
だけど、行動できない、わかっていてもできないという私のような人は、多いのではないかと思っている。私でも、「やってみなきゃわかんないから勇気を出してやってみたら」、さも、自分は何でもやっているかのように話をすることは多々あるけれど、自分のことと他人のことはちがうのだ。
では、なぜ、他人にはそのようにした方がいいと言いながら、自分では全く行動しないのか。
私の中で思い当たることは、行動して失敗した記憶がすごく鮮明に残っていること、行動してもやらなくても一緒だったんじゃないかという思い込みが強く、自分の中にある、過去の記憶と思いが邪魔しているということと、こうしたら周りにどう思われるだろうという、外面がとてつもなく気になってしまうということ、これが、私の行動をさせない両手両足につけられた、鎖である。
たったこれだけの、自分の中にあるもののせいで行動ができないと自分で思うのだけれど、このちいさな鎖が本当に頑丈でどうやっても断ち切れない。もちろん、断ち切れないと思い込んでいるだけなのだが、今のこの、コンフォートゾーンからはみ出したくない、そして、他人が私に対してどう思うのかが気になりすぎて、何もできなくなってしまっていることを再確認した。
なぜ、これほどまでにと思う。自分に自信がない、自分がそこそこできる人間だと思っていて失敗するのが怖い、恥ずかしい、変わった人だと思われたくない、まだまだ、できない理由は湧くように出てくる。
ここまで書いて、結局、行動できないのではなく、自ら行動しないだけで、誰か、背中を押してくれたり、引っ張ってくれるのを待っていたり、やりもしない先のことを不安視してやらない選択をしているだけ。
そして、そういう人の方が圧倒的に多いということ。だから、行動して運をつかんだ人にたいして、あの人だからできたんだという理由付けをして認めようとしないのだ。
ここまで、だらだらっとやらない自分のことを書いたけれど、私だって、本当は、決断して、行動に移すってのをすぐにできる人になりたい、周りを気にせずやりたいことをやって楽しみたい。小さな幸運、いただきたいと思っている。
行動すれば手に入るのだ、多くの人がそう言っている。
でも、まだ、「行動しなくても手に入る方法ってないんかな?」と馬鹿なことをずっと考えてしまう。幸運はしばらくつかめないままだと思う。
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