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#18 学校行事について考えてみた

こんにちは、宮沢です。今回のテーマは学校行事です。文化祭とか、体育祭、合唱コンクールなどなど…。多くの人は何かしらの行事は楽しみにしていたり、思い出に残っていたりすると思います。
そんな学校行事ですが、生徒と先生との間、さらに言えば先生と先生の間でも捉え方に大きな違いがあることが先日Twitterで行ったスペースで分かりました。

僕の出身高校は、県内では自他ともに認める自治を重んじる高校でした。なので、学校行事も生徒の裁量権が多分に認められ、企画から運営まで生徒主体、というような形をとっていました。
出身中学も、高校ほどではないですが少しだけ放任主義というか、生徒一人ひとりに任せることが多かったような気がしています。
そんな、生徒主体というような経験の多い僕が、個人的に学校行事について思うことを書き連ねてみます。

今回は高校の経験をメインに書きますが、前提として、僕たちの高校では先生は先生でも、学校行事や生徒会活動などについては、ある種の「交渉相手」というか「利害関係者」のような存在でした。こっちからも色々と要望などを伝える代わりに、向こうからも様々な依頼などが来ていました。
そんな環境で常に考えていたことは、学校行事の存在は決して当たり前ではない、ということです。あくまで生徒の自由な活動は、先生などの周りの人間からの信頼(≠信用)があってこそのことで、その意味で、出身高校では生徒会発足から今までずっと自転車操業のような状況と言えます。周りからの信頼を失ったら、文化祭もクラスマッチもない状況になってしまう、そんな環境でした。

全校生徒に、このような認識を共有できていたかと言えば、決してそんなことはないですが、生徒会の中心で活動していた生徒には少なからず共有されていた認識だと思います。
学校行事に懐疑的な見方をされる先生がいらっしゃることも、先日のスペースで分かりました。その根源的な解決になるかは分かりませんが、学校行事の大きな意義の一つに、この当たり前でない存在を、自転車操業だったとしても、いかにして持続させていくのかということを生徒に考えさせる、ということがあると僕は考えています。
その意味で、一部の先生が「小中高と12年間やっていることが変わらない」と感じられていることは、とても残念で、もったいないことだと感じています。何かの助力ができないかと考える時間になりました。

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