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なまけ者が出会う本

昨年11月から積読書を卒業し、2022年に入って9冊目を読み終えた。

読書習慣については、過去記事でもちょこっと触れている。


この度完読したのは『なまけ者のさとり方』タデウス・ゴラス著 山川紘矢・亜希子訳。


この本は、なんと説明したら良いだろう、とても難しい本だ。書かれていることはシンプルなのだけれど、読んでいるうちに気が遠くなる。無意識になるのだ。ハッとして意識が戻り視線を前の行に戻す、ゆっくり呟きながら読んでやっと理解する、そんな箇所がいくつかあった。難しい、と言い切ってしまうのはどこか違うような気がする。波動が高すぎて、その波動に読む人は引っ張られる。そのうちあちら側へ連れていかれてしまう、という現象が起きていると言った方がいいのかもしれない。とにかく今まで出会ったことがないような、不思議な本なのだ。


たまたま事前に、桑名先生の波動に関する本を2冊読んでいた。それが功を奏した。波動の原理について理解していなかったら、この本の真意に私の意識は届かなかっただろう。実はこの『なまけ者のさとり方』は、私の新年第一冊目の候補に上がっていたのだが、その時読んでいたらきっと今ほど理解できず、文字面すら追うことができたかどうか。

準備が出来た段階で、目の前にやって来るのだ。本の出会いが人との出会いに同じくして、偶然(たまたま)の様に見えて必然だと感じる所以は、ここにある。


この本の構成は次の通りだ。「訳者まえがき」に始まり、「はじめに」そして、第一章から第十章、それに続いて「寓話」「もっとなまけ者の人のために 抜粋」「訳者あとがき」、最後の一頁にタデウス・ゴラスについて述べられて幕を閉じる。

私が言うのもなんだが、感じるままに言おう。この構成こそが素晴らしいのだ。昨晩、ベッドの中で第十章から最後までを読み通した。最後の最後までこの本は丁寧に心を込めて作られている。その心(エネルギー)が読む者に伝わってくる。気のせいではない。瞼が熱くなったのだから。山川先生のあとがきを読み終えて最終行の横に「ありがとうございます」と書かずにはいられなかった。それを書いた自分にも満足したのだけれどね...


始終、優しいことばに満ち溢れているけれども、語られていることは本質なので、時にはグサリと心臓が突き刺されるような感覚もする。

グサリと刺さったら痛いし、自分を不甲斐なく思う。けれどもそんな自分すらを認め赦す。そのためのレッスンでしかない。


私は、とうとうなまけ者になった。だからちょうどいいタイミングにこの本を読むことになったのだ。


『さからわないこと。

あるがままを愛しなさい。

今のあなたのままで、できる限り愛しなさい。』

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