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ロジック・ブランチで 自分の要望を見つめる

(長文です)

TOC for Education 駅伝 Advent Calendar 2020 14日目の記事です。
※TOC for Educationって何?については、アドベントカレンダーの方を見てみてくださいね。

いつか整理したいなと思っていたことを書いてみようかなと思います。

当時の日記をひっくり返して見ています。

「なぜ、あの人は…?」 - 怒り、激しく落ち込む

あるときのこと。友人のわたしに対する行動にとても腹が立ったことがありました。(伝わるように細かく説明したいけどぐっと我慢し割愛)

そして、腹が立った勢いで相手をののしるメッセージをたくさん送っていました。

そのときは頭の中でロジック・ブランチが描けていなかったのですが、きっとこんな感じだったのだと思います。

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「別件があるならどうしてそんな適当にわたしを誘ったのだろう?」
と思い、その問いがそのうち

「この人はわたしのことをどう見ているのだろう」、そして
「もしかしてわたしを見下しているんじゃないか」に変わり、

過去の似たような記憶までもたどり、自分にとってのネガティブな証拠(前提)を無意識に集め、強化するような思考に陥っていました。

そんなふうに考え続けるのはとても苦しかった。

ネガティブ・ブランチを、自分勝手につなげていました。

「なぜ、わたしは?」 - 考える

でも、苦しいのに、その想像を止められないのです。
このときの帰り道、とぼとぼと歩きながら、心の中で相手を責め続けていました。

そのうち、あまりに苦しくて、
「どうしてわたしはこんなにイライラしてみじめな気持ちになっているのだろう」と、

今度は自分に何度も訊き始めていました。

苦しさは変わらなかったけれど、今度は、次のブランチが頭の中で描けていて、この空白の箱を見つめ続けている意識がありました。
「ここになにかあるんじゃないか?」

歩きながら、問い続けました。

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そんなときふと、昔読んだ、大好きな本を思い出したりもしました。
「物事がうまくいかないとき、特に人とコミュニケーションがうまくいかないときは、自分がやるべきことを知っていながらそれをやらないことが発端だ」というようなことです。

時間をかけて、そういう思い出しにも助けられて、ようやく気づけました。

それは、この箱はわたしの「要望」なんじゃないか?ということでした。

同時に、

「ああ、わたしは、断られて寂しかったんだ。
それは誘ってもらえたら一緒に話をしたかったからなんだ。
だからそれを裏切られた気持ちになったんだな」という気持ちがわきあがってきました。

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論理の飛躍はあるにせよ、見つけたという思いで、しっくりきました。

こうして書いてしまうと、とてつもなく普通のことかもしれません。

しかしこのシンプルな要望に気づくのに、なんと時間のかかる自分なのでしょう。

そして一方的なメッセージを送る中で、この要望を、わたしは相手にまったく伝えていなかったのでした。

あまりの苦しさと驚きに、嗚咽していました。

「わたしには、要望がある」 - 見つける

このことは、わたしにとっては大きな発見でした。

・わたしには要望があること。
・認識していなかった自分の前提に、ロジック・ブランチでの推論によって気づけること。

わたしはこれまでも、自分の要望によく蓋をして見てみぬ振りをきたのかもしれません。

これは少し一般化すると、次のようなロジック・ブランチになるのかなあと思いました。
そしてまた同じように取り乱したときは、ここに戻って考えればいいんだと思えました。

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もちろん、ここに戻って考えられるよう、フィジカル的なアプローチも必要だろうとは思います(時間を取る、気持ちを落ち着けるために深呼吸するなど)

こうしてロジック・ブランチを書いて比べると、きっと最初は、問いかける箱の場所が違っていたのだろうな。

「どうしてあの人は」は相手の前提を(解釈も入れて)推測し続けること。

一方「なぜ、わたしはイライラしたのだろう」は、自分の前提を問い続けたのだと思います。

まだまだ変えられない - ツールで考え続ける

わたしには要望がある。
そしてそれを素直に言葉にせずに違う言葉や態度で伝えようとするから、自分も相手も傷つけてしまう。

でもこれがわかったからといって、すぐ自分の行動を変えられるわけではないのがもどかしいところです。

このことがあった後、「あの日は話せなかったから、○日に話そう」と再度お誘いをもらい、どうするか迷いました。まだ素直に喜べないし、指定された日の他の予定をずらす必要もありました。

それで、どちらを選んでも幸せな気持ちになれそうにないなと迷って、今度はクラウドを書きました。(今度こそちゃんと書き出した)

読んだら完全にはしっくりこなかったし、しっかり仮定を出す気力もなかったけれど、これを書いて、わたしが望んでいたことが、はっきりわかりました。

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わたしは被害者意識に浸かっていられることをとても重視している
そうしていれば、何かがっかりするような出来事があったとしても、それを言い訳にして「ほらみろ、やっぱりそうじゃん」って自分を納得させられるから。
だから最初のブランチのようなこともずっと考え続けてしまう。

このときはいちばん左の箱の表現に、自分自身で驚きました。

ここまでやってようやく、こんなんじゃだめだと震え上がり、自分でも気づかないうちに解消策の行動を取っていました。

追記
解消策っていうか・・A、B、Cを避けたいと思って、DでもD'でもない行動を取った。が正しいのかな。

その結果、次に友人と会ったときに、自分の要望に少しだけ素直になれて、友人に最初に誘われた日に話したかったことや、こうして苦しんだプロセスを、少しだけ伝えられました。

さいごに

このときのことで、これまで自分の要望というものを、いかに閉じ込めてきたのか・素直に見ようとしなかったのか・言語化して人に伝えようとしてこなかったのかが、よくわかりました。

ただ、わかったからといってうまくできるようになるかというとまた別の話で(アサーティブっていうのはそういうことなのかなと想像しています。勉強せねばですね)、まだまだ苦しんでいます。

でもわたしはこのとき、ひとつ、自分なりの型を見つけられました。
次にまた苦しんだときに、この型を思い出せるようになりたいです。

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