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『肉を食べないという選択肢』 ぱぁ〜と8

新宿、都庁舎の近くのとあるの外食店にて...

この料理のベーコン抜きは出来ますか?」「はい出来ます!

「では、お肉抜きでお願いします」。

しばらくしてオーダーをとってくれた店員さんが戻ってきてくれ「ソースに牛肉と鶏肉のエキスを使っているようでして...(汗)、アレルギーかなにかですか?」。わざわざシェフに訊いてくれたのか、調べてくれたのか、教えに来てくれました。

それだけでもうこのお店の評価はどんな土地のどんな高級レストラン、どんなガイドブックや口コミサイトよりも確実に五つ星☆☆☆☆☆!!なのです。

このお店に限らず、いろいろな宗教上の理由のひとも来るでしょう。食材にアレルギーを持つひとも来店するでしょう。もちろんその中には肉を食べないという選択肢を選んだひとも。

何よりも毎日そのような多種多様なお客さんを相手にしているであろう店員さん。ひとりひとりのお客さんをそれぞれ1番にして大切にしている証であり、ここはそんな店員さんのいるお店であり、、、。自らが望んで「肉を食べないという選択肢」をしたことによって生じたひとつの不自由さを得たことにより、それに応えてくれたそんな店員さんの気遣いや姿勢、暖かい素敵な気持ちになれた貴重な経験をさせてもらえました。

肉のないものを選ぶではなく、食べたいものから肉を抜いてもらう。それはマストな人々からしたら、小さな池から大海に出れたくらいのことにつながります。

例えば、そんな「ベーコン抜き」のオーダーを受けてしまい、そのまま「塩焼きそばベーコン抜きでぇ〜」「はい、塩焼きそばベーコン抜きいっちょぉ〜」と単にベーコンだけ無ければいいと、ベーコンを抜いただけのオーダーが厨房にも通ってしまったとします。見た目だけ、意識の問題だけだったらまだしも、食材アレルギーを持つ人には呼吸困難を発症する食材だってあります。何百人に1人とか何千人に1人とか、1年いや10年、100年に1人かもしれないそんなお客さんに気遣いができて「1を聴いて100を察することが出来る店員さんや厨房従業員がいるお店」である素晴らしさを改めて知る経験が出来ました。

ちなみにこれはYEBISU BAR 新宿アイランドタワー店のお話です。


本日も飲食店店員さんの素晴らしさを感じ、私も含めて普段からこうであるべきなのに、肉を巡る話では他者を攻撃する話をよく耳にするようにもなりました。

肉を食べないから「肉食憎し」、肉を食すから「肉を食べない異端」と攻撃対象にしてしまう。環境問題や動物虐待などの問題を除いて、全てにおいて相手を尊重していれば何の不自由もなく相手のことを理解し、話は進み前進して過ぎていくであろうに。不思議と相手に目くじらをたて「それは違う」と一方的に自らの正義を主張してしまっている気がしてなりません。

何故「今日のタピオカ映えぇ〜!」(古い?汗)がごとくに1枚の写真とかで良い点をアピール出来ないのでしょう。そんなことを写真屋さんは写真屋さんなりに考えております。

そのような中、ただひとつだけ言えることは、前出の店員さんしかりの『察する大切さ』そしてこんなことを改めて実感、確信しております。

「ものごとを先導するひとは、他人や他者への非難、悪口は決して口に出して言わない」

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