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『一遍聖絵』の福岡市の場面ーー歴史教育のために
『物語の中世』の文庫版で追加したこと。
『一遍聖絵』に描かれた備前国の福岡市の場面は、鎌倉時代の地方市庭の様子を示すものとしてほとんどの教科書にも載せられている有名なものである。この場面の解釈について『物語の中世』で書いたが、旧版(東京大学出版会)とくらべて、昨年出した文庫版(講談社学術文庫)で追加した部分があるので、これを紹介しておきたい。学校での授業に使えると思う。
それは「腰袋と桃太
「北条時代」をどう教えるか。
「北条時代」をどう教えるか。 保立道久
『歴史地理教育』2020年11月号
前近代史の時代区分と王権論
世界各国で自国史の時代を区分する場合、たとえばフランスではヴァロア朝、ブルボン朝などと王朝名を使う。前近代史の時代区分を王権の歴史的変化を中心に行うことは自然なことであろう。しかし王朝は「万世一系」で変わったことはないということを不変を国制
藤原千久子先生の授業「中世の民衆」についてのコメント
藤原報告は、1977年に『歴史地理教育』誌上で提案した中世史の小学校カリキュラムの現在の段階を報告したものである。「小学校の通史学習で中世をどう教えたか」(『歴史地理教育』267号、1977)、「躍動する中世の民衆」(『同』471号、1991)と読み比べると、長期にわたって経験と工夫が蓄積されてきたことがわかる。
授業の内容と形態が地域・教師・子どもたちの特徴や個性によって多様性をもつことは当
常陸国の地域史と教育
常陽新聞の連載
①石岡市「鹿の子遺跡」の漆紙と日本の人口
八世紀、つまり奈良時代の歴史史料はきわめて少ない。これが増加するなどということは、私が歴史の研究に興味を持ち出した頃には考えられなかった。もちろん、ちょうどその頃は「木簡」(荷札など、文字の書かれた木の札)が歴史史料として注目され始めた頃で、特に静岡県の浜松市の伊場遺跡という地方の役所の遺跡から木簡が発見され、地方にも木簡が存在する可能
歴史を通して社会をみつめる
東京大学出版会の教育のシリーズ物(何だったかは後に調査)
はじめに
「歴史を通して社会をみつめる」。しかし、そもそも私たち「現代日本人」は歴史を通して社会をみつめているだろうか。現代日本で生活する人々のうち、どれだけの数の「大人」がそうしているだろうか。そしてこの社会に生まれた子どもたちにとって「歴史を通して社会をみつめる」とは、どういうことなのであろうか。
過去は、私たちの意
日本史の通史――高校用教科書『日本史a』指導書に書いたもの
はじめに
前近代を学ぶ意味
教科書の序編「近代史を学ぶ前に」の「近代」は英語でいえばModernという意味であるが、Modernは現代という意味ももっている。英語のModernは近代とも現代とも訳すことができるのである。Modernとは、私たちが生きている現在の社会と同じ社会構造をもつとと感じている時代をいうといってよいだろう。英語でModernというと、ようするにフランス革命と産業革命以降の時
「歴史学と歴史教育という分業の形を前提とすることへの違和感」
2014年5月28日 (水)
「研究と教育の統一」という命題の特権性の自覚。―歴研大会全体会(2)
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これは学芸大の槻の木、ケヤキの木。月神は、桂だけではなく、槻にも降臨するのではないか。似た枝振りなのではないかと思う。
さて、歴史学研究会全体会の話。レジュメに書き込んだメモを忘れないうちに文章化しておく。
まず今野日出晴氏の報告「歴史教師の不在―なぜ『歴
歴史学と歴史教育をめぐる議論
2014年12月17日 (水)
遠山茂樹『歴史学から歴史教育へ』
吉見義明さんの本を読むために再点検した大門正克さんの編の『昭和史論争を読む』に遠山茂樹さんの「歴史叙述と歴史意識」があった。そこで、この論文の載っている、遠山『歴史学から歴史教育へ』をひっぱりだして読んだ。このブログにのせてある「中世史研究と歴史教育ー通史的認識と社会史の課題にふれて」という文章をかいたころ、本当によく読んでいた
奈良・平安時代の地震、神話と祇園社
<第46回研究集会 記念講演 東京歴教協> 2013年3月(『東京の歴史教育』42号
奈良・平安時代の地震、神話と祇園社
東京大学史料編纂所教授 保立道久
はじめに
今回の東日本太平洋岸地震と原発震災の複合という事態の中で、今、どういう教材研究が必要なのか、そして小・中・高・大学でどういうカリキュラムを系統的につくっていくべきなのかということを、みなさん、