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【往復書簡】手柄も失態もみんなのしわざ

圭吾さんの記事へのお返事です。

圭吾さん、おはようございます!!今回の書簡、本当に、生半可では返信できねえと思いました。今日の自分の真心を目いっぱいに使って返信しなきゃいけねえと思いました。とはいえわたしの心はケチで狭く、自分のキャパはネズミの糞粒くらいもあればいいほうなのですが、それをさらしていかなかったら、読者さんに顔向けできないし、壇珠さんに怒られるし、圭吾さんに失礼だと思いました。押忍!!気合い入れていきやす!!

思い切りバットを振ることができたなら、三振だろうがホームランだろうが「俺はフルスイングをした」という手応えは確実に生まれます。無論ホームランを打ちたいのですが、三振をしても『気持ちの良い三振』ができます。史上最悪なのは見逃し三振です。見逃し三振が一番後悔が強いです。そして私は思うのです。人生とは、勝つためにあるのではなく、ホームランを打つためにあるのではなく、ただ、バットを思い切り振るためにあるのだと。打ったボールが何処に行くかは重要じゃない。終着点なんて気にしないで、ただ、振りたいように思い切りバットを振る、その清々しさこそが生きる喜びであるのだと。俺はとにかくバットが振りたかったのだと…!!

言うは易く行うは難しで、フルスイングは実際にやるととても難しいです。フルスイングは全身運動です。手とか腕とか小手先だけではフルスイングとは言いません。腰です。丹田です。インナーマッスルの饗宴です。全身をバネにして緊張と弛緩をフルマックスで爆発させる、スイング。自分なりにフルスイングをしたつもりでも、あとから「遠慮があったな」とか「フォームが崩れていたな」とか「タイミングが悪かったな」とか、改善の余地がどぼどぼと出てきます。その積み重ねで、本気の精度が高まるのだと思います。だから、フルスイングとはいざと言う時にだけやればいいというものではなく、日常的にやらなければいざという時も生半可なスイングしかできない類のものであると思います。だからなのでしょうか、やはり今日も私は全開で生きていくしかないと言う結論に着地をします!!今日も振り切ります!!

すみません、名文すぎて、ここのどこを削ればよいのかわかりませんでした。見逃し三振は、「見逃し三振がいかに悔しいことなのか」を知るためだけにあるのだと思います。それ以外に、見逃し三振に用などねえと思います。だから、一度でもその悔しさを知ったら、もう繰り返さないことに自分を懸けていかなくてはならないと思います。その悔しさに慣れてはいけないし、その悔しさを忘れたり、蓋をしたり、悔しくないことにして捻じ曲げることをやめて、真っ向から悔しがらないといけないと思います。「見逃してんじゃねえよクソがァ」って自分からのツッコミが入っているのなら、無自覚にも自分は盛大なボケをかましちまっているのだとわからなくちゃいけないと思います。この世界に、なにかをしなくてはならないなんてことはないけれども、他でもない自分が嫌がっていることに気づいてそれをやめるのは義務でもなんでもない。自分の心地よさのためなのだから、と思います。

赤ちゃんが道端に捨てられていたら、人間ならばそれを拾わなくてはならない。誰かが困っていたら、人間ならばそれを助けなくてはならない。この宇宙は正しいも間違っているもない相対的なところだけれど、この人間の世には正しいことがあって、侵しちゃならねえことがあると思います。そのうちのひとつに、自分が苦しんでいるのならそれをやめてやらなくてはならないというのがあると思います。北極星のように不動のこととして。いくら自分だからといって、それはひとりの人なのだから、苦しんでいるのを素通りしてはならない。その苦しみを放置したまま、それを土台にして幸せを築こうとしても意味がない。そんなものは機能しない。借金に目を閉じたまま、別の口座に貯金を増やそうとしても意味がない。苦しみの利子は増えていくのだから、先に借金を返してこなくては、その貯めた金も穴の空いた袋に入れるようなもので、自分の喜びになどならないと、そんなことを思います。

その、自分の苦しみを素通りしないというときに、俺たちはフルスイングを避けられないものだと思います。もしかしたらそれは勇気のフルスイングかも知れない。思いやりのフルスイングかも知れない。悲しみや情けなさを認める悔しさのフルスイングかも知れない。かっこいいホームランだけを狙っていたら、決して振ることのできないフルスイングがいっぱいあるのだと思います。そして、そんなふうに振ったバットにこそ、心のホームラン感に呼応したなにかがぶち当たって、ホームランを起こすものだと思います。

男の喜びとは、ズバリ「愛した女の道具になること」だと思います。自分が道具になることだと思います。それなのに、お前が女を道具にしてどうすると思います。逆だろ、逆。逆。全然逆じゃ、と思います。だから、そういう馬鹿な男はハンマーで一回頭を粉々に打ち砕けばいいのだと思います。そういう男と一緒になると、女性側も最初は「これであたしも幸せな人間の仲間入り♡」みたいなおままごとを楽しめるとは思うのですが、虚無に襲われるのは時間の問題です。男は、あなたの体に興味があるだけで、心には興味がないからです。そんな関係は卑猥です。

うおおおおおおおおお!!前回の返信をまるごと全文引用したい欲求に打ち勝ってここを選定しました。選ぶのに、自分なりのフルスイングをかましたつもりです。ハンマーで一回頭を粉々に打ち砕けばいい、というところで声を出して笑いました。全文神がかっているのですが、結局自分が思いっきり笑ったところを選びました。小さな選択にもフルスイングをかますと清々しいです。ちょっと食べたくないなと思うものを食べないとか、ちょっとこの場所にいるのが嫌だなと思うところから出るとか、そういう些細なことにも自分なりのフルスイングをかますのは大切なことだと思ったりします。

女を道具にする男とくっついてしまう女性というのは、自分自身が自分のことを道具にしている面があるのだと思います。そんなときは、自分で自分のことを道具扱いしないことがいちばんよい対応だと思います。

わたしは最近毎日のように、ゲームを通じて知り合ったクロアチアに住む青年とチャットをしています。その青年と話をしていると夜遅くなる傾向にあり、わたしが「寝ないのか」と訊いたところ、彼は「あなたが眠るまでは起きています」と言いました。わたしは、なんとなく予想が立ちながらも「どうしてですか」と訊いてみました。すると彼は「自分は男なので、女性へのリスペクトで動きます」と答えました。わたしはそれを見て感動しました。彼は「男はそのために必要な体力や優しさを持ち合わせていなくてはならないのに、多くの男が女の人にまったく真逆のことをしている。メルセデス・ベンツを見せて、それをダシに自分に従わせようとする。でもそれは真逆の効果だ。それに寄ってきて従ってしまう女性も似たようなものだ」と説明しました。わたしは彼をいいやつだと思いました。

女はもっともっと、自分のびのびした喜びを振りまくことを楽しんだらいいと思います。わたしは、女性がなにか迷ったとき、一時的には怖くても大変でも、なにかを失うように思えても、あとからきっと自分がのびのびとするだろうと思えるほうを選ぶと、決して間違いがないだろうと思っています。

そのときに、そのために力を貸してくれと男子に甘えるのはいい甘えだと思います。それができる女をいい女だと思うし、その据え膳の甘えを食う男をいい男だと思います。それを美味だと思える男が好きです。

壇珠さんは「みんなからよく聞かれるけど返答に困る質問」みたいなものは、ありますか??私はずっと文章を書き続けていて、出会う方々からも「昔から書くことが好きだったのですか」と聞かれるのですが、聞かれるたびになんかちょっと違うんだよなって思います。もちろん書くという行為は好きなのですが、好きだけじゃない何か、好きなんて言葉だけでは括られてたまるかと思う何かを、自分の中に感じるのです。

なにかを続けている人を、それが好きだから続けているのだろうと考えるのはたしかに想像力が足りないと思います。わたしはたとえば性転換などをせずに女性であることを続けていますが、それは好きだからではなく生まれついたものに馴染みがあるからです。他にも、たとえば心のことについて検証したりするのも、好きだったからと言うよりは、それなしに生きられなかったからだと感じます。やらないという選択などなかったと感じます。書くということについて言うと、好きだな♡と感じるもなにも、書かないでいることが自分を殺すようなことだったと思うのです。書くのは震えるほど恐ろしかったのに、書かないでいることは屍でいるようなものだったと感じます。

わたしが自分がなにか返答に困る質問をされたことがあるだろうかと考えてみると、「なぜそんなに強いのですか」というものがあります。わたしは強くなどなくて、多くの他者とおなじようにものすごい力を秘めたひどい弱者です。強さも、中の下的な平均的な雑魚キャラ地球人です。ですから、その質問を「強く生まれたのはラッキーで羨ましいです。こちとら壇珠さんと違って弱く生まれたのですごい大変なんです」という前提をもって訊かれたのを感じると、身勝手な自分は自分も弱いのに「あんだァ?自分自身をナメんじゃねえ。言い訳から目を覚ませ」などと強気なことを思ってしまいます。

そのような質問をされると、畑作業をする人の分厚くなった手の皮を見て「厚い皮で生まれて羨ましい。わたしの手の皮は生まれつき薄いので、マメとか出来ちゃうんで畑作業なんかできないんです」と言われるのと同じだと感じます。畑作業をしたらお前だって厚くなるじゃろが!と思います。俺はたまたまアスファルトの下に落ちたため、そこから芽を出すためにタフになっただけであって、土から芽を出したお前がもやしのようだとしても、俺たちは同じ品種じゃないかと思います。お前にも雑草の強さが備わっているし、俺だってもやしっ子として伸びる性能を持っているんだぜと思います。

生まれや過去をいつまでも言い訳に使っても面白くなんかねえ。土からだろうとアスファルトからだろうと、空中に出たら同じなんだから、好きなほうに好きなように伸びればいいじゃないかと思ったりします。それなのに、いつまでも土から出たせいで弱くてどうのこうのと言うなよと思います。お前さんは過去の遺物なのではないのだから、と。

そんな考え方は、たった今も心臓を太鼓のように叩いて血を巡らせて、全力で命を更新し続けているてめぇの身体にボロクソに失礼じゃねえか馬鹿野郎!!!と思います。地球人をナメんじゃねえ!!!

俺はお前に趣味的な時間を提供する気はない。俺はお前と趣味的な時間を過ごしたいとは思わない。ただ、お前が本気で今を生きたいと思うなら、俺も本気でお前と今を生きたいと思う。基本的に、対人関係全般が私はこんな感じなのです。だから、好きかどうかよりも本気かどうかに重点を置きます。今に本気な人といるとこちらも熱い気持ちになりますが、好き嫌いとか快不快だけで判断する人といると、うまく言えないのですが大した飛距離を叩き出せない気がしてしまって、退屈になって眠たくなります。

これとても良くわかる気がいたします!わたしも、みんなでゆる~く趣味でやってるので遊びに来ませんか。と誘われたものと、怖くて失態しか見せられないかも知れませんが本気でやろうと思っているものがあるので見に来ませんか。と言われたものがあるとしたら、後者を見に行きたいと思います。そしてたとえそれが見事に失態だったとしても、本気でやったことが感じられたとしたら、見に来てよかったと思うと思うのです。本気のものを見た人は、本気が伝染します。わたしはゆる~い趣味が伝染しなくていいです。

わたしはしばらく前に、「自分ができることを他人もできると思わないほうがいい」と言われました。圭吾さんはこれについてどう思いますか。わたしは個人的になにかができたときに「これは自分にしかできない」と考えたい人の気持ちがわかりません。わたしは、凡庸な自分を大層な人物だと考えたいと思っていません。動機もないし、クソ窮屈な話です。自分がすごいとき、「こんな機能が備わっているだなんて、地球人ってすげえんだな」と思います。また、自分がダメなときには「こんなダメな人物をつくり出すだなんて、われらというか神さまはひょうきんなやつだな」と思ったりします。なので、自分のことはあまり自分ひとりのことだと考えておらず、自分の手柄もなければ自分の失態もないというような、大変謙虚で大変図々しい考えを持っております。なんでも連帯です。連帯責任、連帯恥、連帯手柄です。

われらが自分のやったことを自分ひとりの手柄だと考える浅ましさを捨てたとき、自分のやったことを自分のせいにして追い詰める恐れをも捨てられるのだと思います。これらはひとつのことだと思います。自分がすごい時にも他者がすごい時にも、われら地球人を誇ればいい。自分がダメなときにも他者がダメなときにも、俺らってダメだねと連帯感を持って気楽になればいいと思います。誰かひとりだけを責めて追い詰めても、多くの場合あまりメリットがないような気がします。そんなときはいつも俺らみんなの仕業です。

もちろん、誰かがたくさんの修練を積んで会得したことというのは、他者が得るのは難しいものだと思います。しかし、誰かができたことは必ず他の誰かにもできるものだとわたしは思っています。わたしは自分が世界で最初に自転車に乗れた人だとしたら、他者も必ずや乗れるだろうと考えるし、自分が世界で初めて編み物ができた人だとしても、他者も必ずや編めるだろうと考えるし、わたしとおなじフォームで乗ったり編んだりしなくても、その人なりに乗れるし編めると考えるのが好きです。わたしがウサイン・ボルトだとしたら、100メートル走9秒58の世界最速記録はそのうち必ずや破られると考えます。なぜなら、ボルトが破って達成した記録というのは、ボルトひとりではなくわれら人類が破った壁であり、それはまた人類によって破ることを目指されるものだからです。われらはひとつで、一蓮托生です。新たな記録は次の壁で、一度われわれが超えたい壁として注視したものは超えられるものだと思います。わたしにとって、自分に見出した希望は、それがそのまま他者への希望です。だからわたしにとって「わたしにできたことは、わたしにしかできないのだ。だからお前にもできると思うなよ」と考えることは、人間をなめた反吐の出る考え方です。なので、たとえそれが正しいのだとしても乗っかれねえアドバイスだなと思いました。このあたりについて、圭吾さんの感覚はどんなものかをお伺いできると嬉しいです!!

またもやえらく長くなってしまいました。ごちゃごちゃと質問がうるさくてすみません。しかし毎度のようにわたしはこう見えて女性の甘え全開で「どうしても訊きたければ、甘えて訊いてしまえホトトギス!!」と思って質問を投げてしまいます。お答えくださったら超ハッピーです!!よろしゃす!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)