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50/1096 50日記念投稿・不自由を買った男

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で50日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

記念すべき(?!)50日目がやってきた!たったの50日だが、それでもなんと、全体の1/22超えなのだ!
・・とはいっても、心境の変化としては、地味なものである。50日。はい。50日だな。という感じで、淡々としたものだ。
3桁になるまでは、この地味~な喜びが静かに続く気がする。でも、ここにこの毎日投稿の醍醐味があるのかも知れない。これまで、大きなスリルや喜びに身を預けることに慣れてきたわたしにとって、地味な喜びを積んでいくこのプロセス自体が、1096日に達するのと同じかそれ以上の大きな収穫のような気がする。

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50日目にして、わたしは気づいてしまった!!最近の自分が、とても真面目だったことに。薄々感づいてはいたが、今日は、ここしばらく自分は真面目だったなあ~というハッキリとした実感がある。真面目なことばかり書いていた気がする。それはそれでいいのだが、わたしはずっと真面目にいることができなくて、真面目期がすぎるといつも自然と不真面目期に戻ってくる。

ところで、身の回りのものを見ると、すべてが真面目だ。パソコンも真面目だ。真面目にパソコンだ。ちょっとハメを外してテレビになどなったりしない。いつも100%パソコンだ。パソコンじゃない部分がひとつもない。
椅子のクッションだってそうだ。真面目に椅子のクッションを担っている。そう、目的を持ってつくられたものはすべて真面目にそれだけに向かっている。
庭に植わっているりんごの木もそうだ。完璧にりんごの木っちゃっていて、部分的にも一切の例外がない。こう思うと、世の中はすごい。窓だって絵の額縁だって、本当にそのままで、創られたままで、すでに本分を一分の隙もなく果たしている。そうやって見ると、どれもこれも、お務めご苦労さん・・・と言いたくなる。
 
ではここで、わたしはどうなのだろう。
わたしの身体も、わたしの身体でいること以外のなにをも果たすことができない。もうすでに完全にわたしだ。当たり前なのだが、それ以外の可能性がなにもない。
このモノの見方をすると、わたしのいかなる選択も、思考も、すべてがわたしらしさ100%だと言える。そこに教え込まれたものがあるとしても、それを採用して表現したのは100%わたしだ。100%、と書くたびにアキラ100%を思い出してしまうが、つまりはミユ100%である。これを読むあなたも、あなた100%である。この世に100%でないものなど、どこにもないのだ。その100%の集まりが、100%この宇宙だと思うと壮大な気持ちになる。

わたしは普段、こんな風に思考を巡らせているのが好きだ。
だからそれをそのまま書いていると、このように、こいつは頭がちょっとアレなのかなみたいなことをズラズラと書いてしまう。でも、こうした思考の遊びはそれ自体が面白い上に、ある時に突然、大きな気付きとなって脳天に落ちてくることもある。だから、自由な思索がとても好きだ。
 
人はなぜ、そうやって脳天直下の気づきを得て、自分の信じていたことが「そうではなかった」と知るのが、こんなにも楽しいのだろう。絶対にそうに違いない、と思っていたことがそうではなかった時に、その裏切りが本当に面白いのだ。
もちろん、信じていたパートナーの浮気を知ったりしたときはそれ相当のショックだとは思うけれど、そういうことではなく、自分にとって充分に信憑性のあると思われる根拠に支えられて己の中で成り立っていた信念があっさり壊れて、うわーー自分の愚かさよ!!と思う時の喜びにはすごいものがある。
そのたびに、自分を苦しめる制限が、実は自らわざわざ持っていたものだと気がついた時のこの痛快さが欲しくて、そのために壮大な仕掛けとして不自由になっているのだなといつも思う。
 
この、「わざわざ不自由になって、そこから自由を思い出して喜ぶ」という魂の遊びを、「自由」を現実世界の「お金」に喩えて考えてみよう。

あるところに大富豪の一人息子がいた。名を金有杉太郎といった。太郎は金有杉家の財産をすべてひとりで相続して、ある時こんなことを思った。
あーあ、つまんねーなー、生まれたときからこんなに金があるとなると、できないことなんてなァ~んもないんだよな。金なんか有り余ってるから仕事も別にしたくねーし、なにもやる気が起こらねーし。ジレンマもフラストレーションもないから、何見てもモチベーションなんかかすかにも湧いてきやしない!
太郎は努力なしに何でも手に入ってしまう自分の人生に、嫌気が差してきたのだ。
 
いいなあ、普通の奴らはさ、ロクに金がないところからスタートしてるから、いつかビッグになってやるだとか、それならまだいいが吉田栄作みたいにジャンボになって帰ってくるだとかおかしなことを言い出して、目を輝かしたりできてよぅ。
あいつらの人生はどんなゲームよりも面白そうじゃないか!本物だから失敗する恐れなんかもバッチシだし、挑戦中はヒヤヒヤもんじゃないかよ。そんで叶ったら叶ったでパーリーだしハグだしシャンパンだし涙だし拍手だし武勇伝だしよ。
いいよなあリアル三国志かよ俺もやってみてえよ!
 
よーし、こうなったら財力に物を言わせて、それを実現しよう。まず俺は、金をどこかにわからないように隠すんだ。で、そのあとにうまいこと記憶をなくす。それで、俺の隠した金を自分で見つける旅に出るんだ!完璧に自分をトラップにかけてやろう!
 
・・・ん?あれ?俺、なんでこんなところにいるんだ?何も思い出せねえや・・・えーと、俺の名前は・・・あれ?免許書どこだ免許書・・ああ、俺は金有杉太郎というのか。そういえばそんな名前だったような・・・・
なんとなく、誰かに「かねありすぎだろう!」って、自分の名前で散々からかわれたことがある気がするのは何故だ?・・つか金うんぬんの前に、なんだこのオンボロアパート・・・俺ってこんなところに住んでたっけ?!まあいい、とりあえず腹が減った、なにか買いに行こう・・・・っておい!財布に金がねえじゃねーか!!どういうことだ?!
・・・仕方ない、とにかく仕事がないと話にならん。働いてでも何でもいいから、金を得ねえと食いもんも買えねえ!腹が減って死んじまうよ!
 
こうして大富豪・金有杉太郎は自ら望んだ制限にまんまとハマって、苦しい生活を始めた。そして夢見るのだ。こんな貧乏暮らしは嫌だ・・・俺はいつか金を手に入れて自由になってやる!このままで終わるもんか!
 
ここでわたし達が「スピリチュアルなことを知る、本当はわたしたちは自由な存在だと先に知識として知る」というのはどういうことかというのを、この金有杉太郎の例に喩えてみよう。 

あるとき、貧しき金有杉太郎は、不思議な書類を見つける。そこにはこう書かれてあった。私、金有杉太郎は、巨万の富を有している。しかしそれにより人生の目的を見失った。私はこれから自ら私財のすべてを隠し、その場所を誰にも知らせぬまま特殊な方法で自らの記憶をなくし、その財産を自ら見つけるまでは手に入れることができないようにすべての情報を隠蔽する。手がかりは自分自身の中にしかない。見つけたくば記憶を探れ。記憶を引き出す鍵は、己を緩めること。それだけだ。健闘を祈る。
 
金有杉は震えた。俺が、この俺が巨万の富を有する大富豪だと・・・?!
どこだ・・・その金はどこにある!!記憶を探ればとあるが、何一つ思い出せないぞ!!見つけられなければ手に入れることができないだなんて、一体何という馬鹿なことをしてしまったんだ!!第一、己を緩めるとはどういうことだ!!これほどの情報を得て、一体どうやって緩めというのだ!!とにかく思い出せ!思い出せ!!思い出せ!!無理矢理にでも思い出すんだ!!

これが、わたしたちがスピリチュナルなこと、悟りのことを知って、元々持っていたその自由を手に入れたいと血眼になって探している時の状態なのではなかろうか。
 
金有杉はその後、何年もの間、どうしても財産の隠し場所を思い出すことができなかった。そして、断腸の思いでそれを諦め、現状を受け入れ、自ら決起して金を稼ぎ、自らの力で大富豪になった。そしてある日、自宅の大きな温水プールに浸かって、この数奇な人生の何もかもに感謝した。一度貧乏になった俺は、ここまで必死で夢を追ってきた。苦しかったあのアパートの日々、財産を失った悔しさで酒に溺れた日々、今思えばすべてが最高にエキサイティングな思い出だ・・・・俺は心底満足だ。俺は俺の名案に感謝する。記憶を失ってくれて、本当に良かった・・・・・
 
と、そのとき、金有杉は雷に打たれたように思い出したのだ・・その財産の隠し場所を!!そして笑った。高笑いをした。なんという無用の長物だろう!俺があの財産をすべて投げ売って買ったのは、この不自由な人生の醍醐味だ!この制限による苦しみだ!!
そしてすべての財産を懸けてでも俺が欲しかったもの、それは金がないというリアルな制限、金を自ら手に入れるという泥臭い経験、そのものだったのだ・・・

金有杉はその財産を人々に分け与えようと、隠し場所に行ってみた。ところが、その財産のすべてが託された小切手は、特別な超合金でできた箱に入れられており、壊して開けるのには今の自分の財産をすべて投じなければならないとわかった。
金有杉は自ら仕掛けたトラップの巧妙さに舌を巻いた。
そう、記憶を失う前の金有杉は、自分が自らの力で財を得るまではこれを開けられないようにしておいたのだ。
そこまでして、不自由の喜びを知りたかったのだ。 

金有杉は、稼いだ金のすべてを使ってその箱を開けた。
中に小切手が入っていなくても、もう怖いものはない。
金有杉は金の稼ぎ方を知っている。すべては自分の中にあるのだ。
小切手を見つけた金有杉は、元の財産をそっくり取り戻して、記憶を無くす前と同じだけの大富豪となった。
だが、彼はもう富豪の人生に不満などない。これまでの体当たりの経験こそが彼の財産だ。その苦しみは金の延べ棒よりも価値のある、彼だけの喜びだ。そして、それは生きていればいつだって味わえることなのだ。
金有杉は自由を求める心こそが不自由だと知った。そして、自由でも不自由でも構わないと思う心こそが真の自由なのだと知った。金有杉は幸せに生きた。財産のあるなしに、とらわれることなく・・・・

人はきっと、今持っている制限を楽しめるようにできているのだと思う。
だから自らを完璧なトラップにはめているのかも知れないと思うと面白い。
そしてそのトラップの知恵の輪が外れるのは、皮肉なことに、トラップが外れなくても良いと緩んだとき、なのだろう。

だから、生きる現実を楽しもう。わたしたちが欲しいのは、きっとこの生々しい三次元の鮮やかな経験なのだから!
 
・・・と、今日は自由な思索に終始してみたが、そのせいかいつもよりもちょっと長くなってしまった。
というわけで、本日はこんなところで。また、明日!
 

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