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映画「万引き家族」感想

映画「万引き家族」を観てきた。

「いけないことって、いったい何なんだろう」
「モノは、人は、お金は、誰のものなんだろう」
というようなことを、ぐるぐる考えた。

古い平屋で暮らす4人の「家族」。
家主である祖母の年金で足りない生活費は、万引きして賄っている。
あるとき、父と息子が団地の廊下で震えていた幼い女の子を連れて帰り……。

というのが、あらかじめ得ていた情報だった。
私は彼らが年金以外は万引きだけで暮らしていると思っていたので(勝手に)、序盤で治(リリー・フランキー)と祥太(城桧吏)がスーパーで万引きしたあと、商店街の肉屋でコロッケを注文するのを見て「えっ、買うのか!」と軽く衝撃を受けた。雑談しながら逃げるのかとも思ったけど、きちんと払うのだ。
5枚頼んで、450円。1枚90円。安くはない……(よね?)。

そもそもこの「家族」、稼ぎがないわけではなく、このうち3人はちゃんと働いている。
あれっ、意外に普通なのでは? と思いながら展開を待った。

この映画の紹介文には「貧しさの中、足りない生活費を万引きで稼ぐ」とか「犯罪によって生計をたてている貧しい家族」と書かれていることが多いけど、私には、彼らの暮らしが「貧しい」とは思えなかったのだ。
古いとはいえ庭付きの一軒家に住み、がちゃがちゃとモノにあふれていて、寒そうにもしていない。風呂にも入るし布団で眠っている。
そして、この映画、ずーーっと食べている。とにかく食べている。
高級和牛を万引きしてくるとかいう食材の豪華さはない。ただ喧嘩しながらわいわい、みんなでいろんなものを楽しそうに食べている。
貧しさどころか、むしろある種の豊かささえ覚えたくらいだ。

そんなふうに映画を観ながら、序盤の肉屋のコロッケを何度か思い出した。
そうか、と少し理解した気がした。
この店のコロッケ、すごくおいしいのだ。治も祥太も、大好きなのだ。アツアツのを食べるのだ。カップラーメンにも入れちゃうのだ。
コロッケを買うって、何気ないシーンなんだけど、正当に手にしたい「人生のよろこび」がこのコロッケに表れていたんだなと思う。
信代(安藤サクラ)にしても、そうめんをちゃんと氷でシメてたし、刻みネギもつけてたし、「食えればいい」という姿勢ではなくて、映画全体を通して「食」に対して敬意とちょっとした丁寧さがあった。

山田詠美さんの小説『ぼくは勉強ができない』に「貧乏という試練は甘んじて受け入れるが、貧乏くさいのはお断り」という名言があって、まさにそれだと思う。私は、彼らにはせこくてひんまがった「貧乏くささ」を感じなかった。だってみんな満ち足りた顔していて、なんでも気前よく分け合っているのだ。ポスターの写真なんて、あらすじを何も知らなければきっと「ほのぼの家族のハートフルな感動物語」だと思ってしまうだろう。

でも、そうはいかないのが是枝作品で、ストーリーが進むにつれ、彼らがずっと「ほのぼの」していられない事情や関係性が少しずつ明かされていく。

生物学的に見たら、食べ物を捕獲して、食べて、眠って、あんなことやこんなことをしている彼らは、動物としていたってノーマルだと思う。
動物としてとまで言わなくても、国が違ったら、時代が違ったら、罪ではないかもしれないこともある。
なぜ彼らが「犯罪でしかつながれなかった家族(公式サイトより)」として、隠れるように暮らしているのか。
それは、あくまでも現代日本の社会を生きる人間だからで、そこに身を置くからにはやっぱり「いけないこと」をしては「いけない」からだ。

万引きしてはいけないのは、なぜか?
その答えをシンプルに「誰かのものを盗んではいけないから」とするなら、
では、
「子ども」は、誰のものなのだろうか。

明らかに虐待されている幼い少女を、少なくとも不条理に痛いことをされない場所へ連れて(ある意味、盗んで)行くことは、「いけない」のだろうか。
あの映画に出てくる子どもに本当に「いけないこと」をしたのは、誰なんだろう。

それでもやっぱり、
他の「いけないこと」を重ねているために、いくら愛情を持っていても血縁関係にない子どもを正面から守れないという悲しさ、もどかしさがあって、何がどうあっても結局は「いけないことをしてはいけない」のだ、そう思った。

是枝監督の映画は、観終わったあとにだいたい落ち込むとわかっていながら、やっぱり観てしまう。
「万引き家族」もまた、観客がそれぞれの課題を持ち帰って、時間をかけて答え合わせをするような作品だった。

最後に、役者さんたちが全員素晴らしかったのは言うまでもないことだけど、少女役の佐々木みゆちゃん(7歳)、ものすごい女優さんが現れたと思った。
AmazonのCMの、小麦粉アレルギーでいつもはみんなと同じ普通のパンが食べられなくて、米粉でパンを作ってもらって嬉しそうにしてるあの女の子だね!とわかったときは、なぜか変に胸が熱くなった。なんというかもう、あの、いじらしいというか、いたいけな感じが……うう(涙)。
彼女の表情ひとつで、「あの子が笑顔でいられる社会にしなくては!」という気持ちにさせられる。是枝監督、ズルい。

映画を観たその日は、自宅の最寄り駅についてすぐ、肉屋のコロッケを買って帰った。
私も少し時間をかけて、自分の課題を解いていこうと思う。