散歩のための散歩 ―藤原哲

歩くことが好きです。電車に乗ればすぐ着くところでもわざわざ歩いたり、行き先を決めずに散歩に出かけることもあります。いつから好きなのか思い出せませんが、そう言えば、小さい頃、保育園の「お散歩」はあまり好きではなかったように思います。先生に「〇〇公園まで行こう」といわれても、面倒だし、疲れるからいやだな〜と思っていたような記憶があります。(思えばすぐ疲れる子どもだった。。)

その時は、到着した公園にある遊具だったり、途中で飲む麦茶だったり、そんなものを楽しみにして歩いていた様な気がします。

小学生になると、自分の足で学校まで通うようになり、毎日家から学校までの決められた「通学路」を歩きました。僕は「水色コース」で、自宅近くの信号を渡ってお寿司屋さんの横の道を抜け、階段が螺旋状になった通称「渦巻き歩道橋」を渡って、毎日学校まで通いました。ランドセルには入学時に水色のリボンが付けられ、卒業するまでの6年間ずっとその水色コースで通い続けました(律儀にリボンも4年生くらいまで外さずに付けていた)。

当時その道を歩くことが特に楽しかったわけでは無かったけれど、同じコースの友達と一緒に帰ったり、朝待ち合わせて一緒に登校したりするのが楽しかったのを覚えています。

思えば、この頃までは歩くことは目的地に向かうための手段で、それ自体を楽しむという感覚はありませんでした。だけど、いつも行く場所に向かうための新しい道を見つけたときの楽しさを、自由に移動出来る範囲が広がるにつれ、徐々に見つけていったのだと思います。

いつもは左に曲がるこの道を、右に曲がったらどこへ行くだろう?

いつも通っている大通りをずーっと真っ直ぐ行ったらはどこに着くだろう?

いつもは電車で行くあの街まで歩いていったらどうなるんだろう?

そんな視点を持てるようになってくると、面倒で疲れるはずだった歩くことがだんだん楽しくなってきて、通い慣れた道も魅力的に見えてきます。たとえどこかに向かわなくても、歩くことはそれ自体が目的になるのです。

また、歩くことは電車や車や自転車での移動よりも時間が掛かります。ですが、速く移動することで見過ごしてしまうたくさんの景色に時間をかけて出会うことが出来ます。

もし、行きに電車で来た道を歩いて帰るのが好きだ、という人がいたら、是非一緒に散歩しましょう。歩きながら誰かと会話したり、考え事をしながら一人で歩く時間も、相手や自分に向き合い過ぎず、程よい距離感でいられるような気がしてとても好きです。

いまはこの文章を歩きながら、ではなく部屋の中で椅子に座って書いています。外はとても寒いけれど、マフラーを巻いてコートを着て暖かくして、人の少ない道を探しながら歩くのも楽しそうだなと考えています。

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