渋谷のミチバタを歩く Vol.2 ―齋藤紘良

 BUTTERの位置する東京都渋谷区新並木橋前。渋谷駅、代官山駅、恵比寿駅のトライアングルのちょうど真ん中に位置するこの場所は、”都心”といえども穏やかな路地の多い住みやすいところだ。
 渋谷東しぜんの国こども園(BUTTERの上階にある認可こども園)では自前の園庭を持たないため、むしろこの渋谷の街が僕らの園庭と考えられるように園内に大きなマグネット式地図を作成している。子どもたちと歩いたところや面白いものをみつけたとき、道端で発見した新しい遊びなどを書き込んでいくのだ。僕らはこうやって自分たちの園庭を拡大する活動を「まち歩き」と呼んでいる。

 その日は、巨大ロケット型遊具が鎮座する恵比寿公園(通称ロケット公園)に3〜5歳の子どもたちと遊びに行くことになっていた。
「今日の気分で、ロケット公園に行きたい人どれくらいいる?」という保育士の呼びかけに14名の子どもが名乗りを上げた。
こども園からロケット公園に向かうには、おおよそ15分程度歩道を歩くことになる。街を歩き慣れている子どもたちにとっては大した距離ではない。標識の理解と危険を察知する力が彼ら自身にある程度備わっていれば、数名の大人が同行するだけでまち歩きは問題なく実行できる。しかし!
子どもの世界はそんなに単純なものではない。
順風にロケット公園に向かって一行が歩いていると、いつも冷静沈着なフラワーちゃん(4歳)が少し興奮気味に先頭の歩者へ伝えてきた。

フラワー:「次の信号を右に曲がったほうが、近道だよ」いつも小声で聞き取りにくいフラワーちゃんは2度同じことを繰り返す。
保育士:「おーい、みんな!フラワーちゃんが近道知ってるって!」
こどもたち:「いいねいいね!そっちにしよう!」
誰しもが早くロケット公園に着きたい一心で満場一致を疑わなかったが、
ボース:「ちょっとまてよ」
いきなり沸点に達した状態でボース君(5歳)が唸り声を上げる。
ボース:「俺はその道を知らねえ!だから認めねえ」
なんという理不尽でその場の感情垂れ流しの論理だろうか。だがそれが子どもの面白さだ。
しかしフラワーちゃんも負けじと言い返す。小声で。
子どもの意見の食い違いは、道端だろうが公園内だろうが突然に発火する。そうなると足止めを食い、大人たちが描いていた理想のまち歩き像は一気に崩れ去り危険度も跳ね上がる。

フラワー:「わたしは近道を知ってるんだ。だってわたしの家がロケット公園のちかくなんだから」
ボース:「は?その道がロケット公園につながるわけないだろうが。方向違うし」
(方向はバッチリ合ってる。)
フラワー:「そんなことない。絶対近道だ」
ボース:「うるさーい!まっすぐの道で行けばいいんだよ!」

ということで頂点越えをしたボース君にすっかり萎縮してしまった僕らは、フラワーちゃんの近道をあきらめ大通りへと進んだ。
小さき者の声は通らず、声の大きな者の意見が通りやすい場面は大人の世界も子どもの世界も大差ないが、いつもなんだか満たされない気持ちになる。
フラワーちゃんはずっと「まいにち近道してるから、わたしは知ってるんだ。わたしは大通りの方から行ったことなんてないし。」と小声で力強く唱えながら前をにらみつけて歩いていた。
公園で1時間が経ち、まち歩きから園に戻り、ランチを食べ、昼寝をして、日も陰りはじめた夕暮れ時にフラワーちゃんがこども園の事務所のドアをノックした。

フラワー:「コウリョウさん、ちょっといい?」
僕:「お、フラワーちゃん。どうした?」
フラワー:「あのさ、今日のまち歩きでさ。わたしがいつも行く道じゃないところ通ったじゃない」
僕:「そうだよね、あのときボース君に合わせてくれてありがとね」
フラワー:「うん。でさ、わたしあの大通りの道からロケット公園行ったのはじめてだったんだけど、いつもと違う道が知れてよかった」
…フラワーちゃん。君は一体どんな思考の補正回路を持っているんだい?

日常の中に溶け込むような道端での時間であっても、子どもと一緒に歩くことによっていくつもの新しいドラマに遭遇する。
ドラマとは予想不能なことが起き、感情が揺さぶられるものだ。
ドラマに気づくか気づかないかは大人次第。

ミチバタには、まだ出会ったことのない感情がいくつも転がっていると僕はにらんでいる。

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