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『 Dasha Rush - Stone Techno 2023 - 』とヨガ

「 Dasha Rush 」

ふと、なぜか急に彼女の名前が浮かんだので、昨日YouTubeで「Dasha Rush」と検索して、この動画を見たら、一気に引き込まれました。

フロアの一人一人異なるエネルギーを繋げて、分裂を一つに戻していくDasha RushのDJもとてつもなく格好よく、音そのものになって踊っている人たちや笑顔の多さ、オープンさやエネルギー、その繋がりと連鎖が生み出す集合体のエネルギーは増大し広がり続け、その美しくあたたかいダンスフロアのヴァイブスやエネルギーが溢れて画面から出てきちゃっているのがこの動画のすごいところ。

この動画の中に『Techno to change the world』って書いたTシャツを着て踊っている方がいましたが、そのメッセージがこの動画を見ると、「確かに。」と改めて感じました。そして僕がヨガを教えるときのルーツもこの動画に詰まっています。

ダンスフロアで過ごしているときの僕を知っている友達は知っていると思いますが、最近僕と知り合ったヨガの生徒さんは知らないかもしれないので、共有しておこうと思います。

僕はこの動画のなかに記録されているような人々やDJで構築されていくダンスフロアが大好きで、僕もこの一部となって踊ることが大好きです。ここにいるオーディエンスは、自分なんじゃないかって思うほど、同じ感覚で踊っている人たちが沢山います。

ダンスフロアはエネルギーの集合体。

この動画の雰囲気のダンスフロアはいつでも体験できるものでもありません。
むしろあまりないかもしれない。

DJによって、曲と曲、人と人いった、目に見えないエネルギーや現実同士を繋げる技術。踊っている人、一人一人のエネルギー、そして音や他者への接し方。
オーガナイザー、現場のスタッフ、音響、空間など。

そういうものが全部組みさって出来上がるから、なかなか体験できない。
だからある意味奇跡的といえば奇跡的なのかもしれない。

こういった空間で

24時間
60分
60秒

といった時間システムはなくなることを体感します。

過去と現在と未来のセックス。
その分裂や時間システムの概念は消滅します。

この空間にあるのは、エネルギーの交流とその連鎖と広がり。

DJとオーディエンスが一体に。
オーディエンスとオーディエンスもバラバラでありながらも一体に。

バラバラになっている人と人。
その多様に存在する一人一人の現実と現実のセックス。
バラバラでありながらも絡み合って一つになってく。
そして笑顔、エネルギーはただただ増大し広がり続ける。
ここでは人も時間も別れているように見えて別れていない。

この一人一人がそれぞれ生き生きし、バラバラでありながらも、絡み合って一体となり、笑顔やエネルギーが増大し広がり続ける感覚。

「これがダンスフロアで体感できるのに、なぜ現代社会で普段生活に戻った時に体感できないことが多いのだろう?」

と以前感じていたんですが、この感覚を、現代社会で普段生活に戻った時にできるようにするためのツールの一つがヨガだよって言っていたのが、後に僕が一番密接に学んだヨガの先生となるパトリック・オアンシアでした。

2008年頃、まだ一度もヨガを行ったことないとき、当時一緒に住んでいた友達からYogaJayaのティーチャートレーニングの説明会でのパトリックの話が面白そうだから一緒に行かない?と誘われて僕は行ったのですが、そのときにそんなお話をしていたんです。それがヨガなら面白い!って感じて、ヨガ一回もやったことないのに、「そのトレーニングを受けたいです!」とパトリックにそのとき伝え、それがきっかけでヨガジャヤに通って練習を始めました。それが僕とヨガとの出会いです。だから僕は最初はヨガの先生がDJだと感じていて、自分は踊りに行くときと同じような気持ちでヨガクラスを受けに行ってたくらいですw だからYogaJayaをヨガスタジオではなくダンスフロアだと捉えてる感じでしたw

ヨガをされていると、ヨガの目的ともされている「サマーディー」って言葉の状態について考えたり、その状態を目指す方が恐らく多いと思いますが、その言葉について考えれば考えるほどその状態にはいくことができないんじゃないかな?って僕は感じています。

なぜなら、「サマーディという言葉について考える」「誰かが作ったサマーディという言葉について、しかもそれを他の誰かが説明した言葉の定義について考える」「その状態を目指す」という現実を自分で作り続けるからです。それを自分で作り続ければ作り続けるほど見えなくなっていきます。

ちょっと大胆にいうと、この動画にいる人たちは、サマーディーを体感している人が多数だと思います。でもきっと本人たちは「自分がサマーディーを体験している」なんて思っていません。ただただ「今を感じる」その連続が起きている。

僕はヨガについて何にも知らない状態のとき、ヨガ・スートラを読み始めたとき序盤に書いてるヨガの定義を読んだとき、これダンスフロアのこと言ってるじゃんって感覚がありました。他のことはわからなかったけど、そのことは感覚として感じれました。

後に僕も「考える」というループに入って見えなくなったり、言葉の迷路に入って抜け出せなくなりそうになるともありましたが、ダンスフロアで体感していたことはそこから抜ける時も大きな助けとなりました。

ヨガの定義で言っていることは、理性では感じられないことなのに、理性的な言葉で説明し尽くそうとするから余計に訳がわからなくなる、というシステムを作っているのが、矛盾満載なところがヨガの面白いとこであり混乱を生むところではあります。ま、それはある意味、理性的に秩序立っているようにみえて繋がっている現実がありながらも、混沌としていて辻褄があっていなように見えて繋がっている現実も同時に存在している、そしてそれが無数にあって、でも繋がっているという、わたしたちが存在している世界を表してもいるとも思うのですが。

ヨガの定義を理解したいときは、「感じる」ということはポイントです。だからヨガのアーサナ(ポーズ)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、ディヤーナ(瞑想)の練習ではなくてもそれは体感できるということです。むしろ体感するしかない。

ヨガでは、その目的に至るために、言葉でどこまでも説明しようとするけど、最終的には体感するしかないことなんです。

ざっくりいうと、「今その瞬間に、ただただいて、何かを考える、分析をするというようなことをしていない状態」になれるものであれば、その方法は様々あるわけです。だから言葉に囚われないということもポイントです。

なので、日々のヨガの練習の他にもそれぞれ自分にあった、そういう何かがあるとより理解しすいのかなって感じます。そして意外とそれは皆さんが既に何も考えずとももう行っていることの中にある可能性が高いので、ご自身にとってのそれを是非みつけてみてください。

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