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16歳の北海道一周旅行記  #5 湿原とオホーツク編

最初に

この記事は#4 絶景路線と日本最東端編の続きである。一日が長すぎて文章がまるまる肥え太ってしまったので、二記事に分けた次第だ。(#4も拙い文ですがお読みいただけると幸いです。)前回の記事を読んでない方のために簡潔に書くと、釧路を早朝に出て、花咲線に乗り根室駅へ、根室で日本最東端などを見学してから引き返し釧路へと戻ってきた。時刻は13時20分である。

釧路湿原

本日の宿はここ釧路から400km離れた旭川である。これから14:14発の釧網線普通列車網走行きにのり、網走から特急に乗り継ぐ算段である。見たかった釧路湿原は列車で流し見することになるが仕方ない、そう思っていた。しかし、線路を挟んで反対側のホームには、臨時列車の釧路湿原ノロッコ号が停車していた。文字通り釧路湿原をノロノロ進むトロッコで、どうやらこれから釧路駅を発ち湿原を抜けた先、塘路駅を目指すようだ。もちろん、乗らない手はない。それはさながら限界旅程という名の戦場に舞い降りた天使のそれであった。僕はあてもなき釧路観光に向かっていたつま先をパリコレの如き華麗な足捌きで180度転換させ、自慢の金銭感覚破壊きっぷを差し出して今どきめずらしい機関車牽引の客車に乗車した。

釧路湿原ノロッコ号

さて列車は大きな音と煙を立てながら動きだした。思えば今日は午前4時ごろから活動している。さすがの高校生男子といえどかなりの疲労と睡魔が襲ってきていたが、コーヒーとガムでそれを黙殺した。本日三度目にして釧路湿原の生みの親でもある釧路川を渡り、東釧路駅で午前に往復した花咲線と別れる。遠矢を過ぎると家々は尽き、いよいよ湿原に入る。僕はここに来る前に地理学必修科目のブラタモリ釧路湿原回を履修してきたので、そこで得た知識が役に立った。車内アナウンスで観光案内をしており、どうやら隣の車両に売店があるらしい。行ってプリンを買った。残念ながらこのクソボケはまたも写真を撮り忘れていたのだが、酪農の聖地らしく牛乳の味がして最高だった。岩保木水門というアレな名前の観光名所を横目に大きく右にカーブを描き、森の中に置かれた釧路湿原駅に停まった。近くに細岡展望台という、ブラタモリのオープニングも撮られた湿原がよく見渡せる場所があるらしいため行ってみようと思い、短い間だったがいい体験をさせてくれた釧路湿原ノロッコ号を後にした。あまりにも周りに何もなさすぎて不安だが、大丈夫、きっと後続の普通列車がくるはずである。

釧路湿原駅
釧路湿原駅

細岡展望台はここより山道を少し登った先にある。未舗装の砂利道を進む。一緒に降りた高齢のご夫妻にコーナーで差をつけ、細岡展望台に辿り着いた。意外にも人がかなりいて朝の武蔵小杉駅くらいの人口密度を呈していたため、広大な釧路湿原を臨む解放感もクソもなかったが、それでも良い景色であった。

釧路湿原

釧路川が作り出した日本最大の湿地は、もちろん例の条約にも指定されている。曇り空がよく似合う、自然の果てしなさを感じさせてくれる景色だった。

しかし、いつまでも湿原を眺めている場合ではない。次の普通列車を逃すと精神的な死亡が確定するので、急いで森の中の釧路湿原駅へと引き返した。歩くうちに、喉が渇いてきた。確か駅舎に自販機があったはずだと特に気にせず駅に戻ってきたが、これが地獄の始まりであった。駅の自販機について、財布を取り出す。樋口一葉がこちらに忌避の視線を向けている。ご存知の通りほとんどの自販機は野口英世ガチ恋勢であるため、僕の財布からこんにちはした樋口一葉はお呼びでないことは明白である。小銭の方を見たが運の悪いことに100円玉すら持ち合わせていなかった。諦めてホームに戻り、14時33分、普通列車網走行きに乗車する。

釧網本線

相変わらず汽車は湿原の静寂を叩き割りながら進んでゆくが、茅沼駅を過ぎると大地は徐々に乾き始め、標茶町の広大な酪農地帯へと足を踏み入れる。同時にさっきまでどんよりとしていた空が晴れ始めるという新海誠監督作品のワンシーンみたいな粋な演出をしてくれた。
汽車は標茶駅に停車した。この駅の対岸に位置する道立標茶高校は日本で一番広い高校で、なんでも敷地面積は延べ255haだそうである。ヤード・ポンド法に次いでクソな単位こと東京ドームに換算すると54個分、ほらよくわからない。ちなみに自分が通っている高校で考えると300倍以上とのことで少々羨ましい。標茶駅を背にしても、これまで通り視界は防雪林とサブリミナル的に現れる肥沃な畑と牧草地の繰り返しだ。雪印メグミルクの磯分内工場がある磯分内駅を過ぎる。今日も多くの牛乳が搾られてここで加工され、はるばる本州の大都市まで送られる。
車内もだいぶ空いてきた。窓を開けて車外の空気を取り込む。冷たくとも陽気な夏の北海道の空気が土の匂いと一緒に勢いよく流れ込んでくる。防雪林はいつのまにか途切れ、窓には広く高い青空と奥には山々。甜菜畑、牧草地。奥には赤屋根の現代的な倉庫かなにか。

快晴の根釧大地

さて、時刻は15:30である。最後に水分を口にしてから一時間以上は経過している。途中に軽い山登りをしたこともあり、喉が渇いてきた。いちど渇きを意識してしまえば残るのはそれだけである。渇きに耐えながら、汽車はミニ栃木県こと弟子屈町の中心駅・摩周駅で換気を行う。屈斜路湖と摩周湖と2つのカルデラ湖の谷間に敷き詰められた深緑の原生林に糸を通すように縫い上げられた二本の鉄の上を、やかましい音で進む。そして、緑駅に到着する。なんとシンプルでわかりやすい駅名なのだろうか。郊外の駅に、「住宅駅」と名がついているようなものである。もちろんほっそいホームの向こうは緑一面である。藻琴山と斜里岳を開析する斜里川に沿って斜里平野に飛び出し、畑と牧草地の彼方に知床連山を眺めながら、汽車は知床斜里駅に到着する。この時点でもう喉はゴビ砂漠、略してゴビ喉である。豊かな自然の恵みを車窓に眺めながらも、喉の渇きが癒えるはずもなく。さて、知床斜里駅では汽車は進行方向左手に舵を取り、知床半島に背を向けるようになる。そしてついに、眼下にはオホーツク海が姿を表した。釧路にて太平洋に別れを告げ約100km、道東を縦断した汽車はついにオホーツク海を僕に見せてくれた。太平洋・瀬戸内海・日本海、今まで見てきたどの海とも違った、冷涼として穏やかなオホーツク海が深い青空のもとにあった。

オホーツク海沿いの車窓

浜小清水をすぎると汽車は本格的に海岸沿いを走るようになる。内海と違い、視線の先には水平線しか存在しない。海岸沿いを数十分走り、鱒浦の漁港が見えると、ぽつぽつと家屋というよりハウスな近代的な一軒家が生え始める。網走市街だ。釧路をでてから久しぶりの市、3万5千人が暮らすこの街には小さめのビルも確認できる。さて、この汽車は網走駅で終点となるわけだが、今日の目的地は網走でなく旭川、このあと特急オホーツク札幌行きに乗り換えるのだが、その乗り換え時間は5分しかない。しかも特急オホーツクには車内販売や自動販売機すらないとのことで、網走の時点でゴビ喉なのに、旭川までの4時間も特急に監禁されたらサハラ喉も通り越して僕の身体から完全に水分が失せスルメイカと化すであろう。ついでに腹も空いてきていたので、お菓子をひとつ買うのと、網走駅の外観も撮っておきたかった。普通なら問題ないはずの乗り換え時間でも、5分の間にこれだけのことをこなすのはまさにミッション・インポッシブルである。

網走駅

17時20分、すこし遅れて汽車は網走駅で扉を開けた。と同時に、一人のイーサン・ハントが小走りで飛び出した。ここからの文は件の映画のテーマ曲を脳内再生しながら読んでほしい。乗車中に頭に叩き込んだ駅構内図を浮かべながらまずは営業中との情報を確認済みの売店に向かい、事前に用意し握りしめておいた代金を素早く売り場のおばあちゃんにわたし、お菓子をもらう。余裕がない中でしっかりありがとうも忘れないぜ。つづいて駅員にきっぷを見せ駅の外に出て自販機の前に行き、これまた用意したお金を無遠慮に突っ込みいろはすのボタンを押す。そのまま駅前広場に行き、スマホを出して写真を撮ってすぐに引き返す。駅員さんに再びきっぷを見せ、ホームにあがり、停まっていた特急にのりこみ前日に指定していた席へ向かう。荷物を網棚に上げている最中に、汽車はゆっくりと動き出した。

網走駅外観
網走駅と停車中の特急オホーツク
乗車した特急オホーツク(復刻塗装)

特急オホーツク

さて、席に座って束の間の網走に別れを告げ、満を持していろはすを飲もうとする。早くこの渇いた喉に、なんの味もない、ただの水を流し込みたい。ペットボトルを手に取り、蓋を開け、口を開ける。しかし流れ出た水は虚空に消えた。大きなはてなを浮かべてよく手元を見ると、私はペットボトルなど持っていなかった。あまりの喉の渇きに脳が生み出した幻覚だったのだ。一体どういうことだ。ひとしきり荷物を確認した私は、ミッションに失敗したことを悟り、網走駅での行動を振り返る。そして、驚愕の事実に気づく。私は確かにあのとき自動販売機でいろはすのボタンを押した。しかしそのつぎに私のとった行動は、自動販売機の口に手を入れ念願の水分を手にすることではなく、網走駅の駅前広場へとかけていくことであったのだ。そう、私が何時間も恋し続け、100円強の対価を払って得たいろはすは、私の乗った特急が網走駅にさよならを告げてもなお、網走駅の改札脇にある自動販売機の口の中にあるのである。私は絶望した。未だ水が飲めないこともショックではあるが、それ以上に己の愚かさが信じられなかった。酷い。詰めがショートケーキより甘い、雑魚イーサン・ハントじゃないか。これからこの走る網走監獄に4時間もいることを考えるとそれだけで死にたくなった。さらに僕が網走駅で購入したお菓子はチップスター。なんたる神の悪戯だろうか、皮肉にも喉が乾くお菓子の代表格と言っても良いポテトチップだ。蓋を開ける気にもなれず、夏ながら短い陽が大空町の大空と緑一面の大地をオレンジに染めながら沈んでいくのを車窓からただ眺めていた。

夕陽に照らされるチップスター。

大空町の中心駅であり空港の名前として有名な女満別駅を過ぎ美幌駅に停車、細々とした駅を飛ばしつつ、窓が眩しくなくなり夜が降りてくる頃には、住宅街の明かりが煌めくようになる。住宅地を抜ける地下トンネルを通り、北見駅に停車した頃には、もう辺りは完全に夜になっていた。

北見市は人口11万、道内8位となかなかの都市である。少なくとも人口3万強の網走市と比べると大きな都市であり、札幌から遠くとも、オホーツク沿岸部で抜群の存在感を発揮している。市の面積は111万平方キロ、何かと1が多い市である。なおこの面積はちょうど当日に根室で勉強した北方領土のクソ広い自治体を除けば道内1位、そして全国4位の広さを誇る。

そんな北見駅を発ち、難読で有名な留辺蘂(るべしべ)、そして生田原に駅を垂らしつつ、車内アナウンスで、「次は、遠軽」との放送が入った。地図帳を隅から隅まで眺めていた変態中学生だった僕には、この列車が遠軽で方向転換しなければならないことは常識レベルであった。つまり、この列車は遠軽で数分の停車を強いられるのだ。喉の渇きが限界に達した僕に現れた救世主。それは遠軽での長時間停車だった。頻繁に切り替わる圏外と4Gの狭間を狙い遠軽駅の構内図を検索、自販機の位置を確認したころには列車は停車のために速度を落としていた。遠軽駅でドアが開き、またもや僕は列車のドアから飛び出した。格好としては網走駅でのそれと同じである。しかし三時間前の僕と違うのは、私が後悔し、反省し、勉強をしていることだ。そして網走駅の自販機に置いてきたいろはすの尊い犠牲の上に、私は立っているのだ。自販機の前に立ち、綾鷹のボタンを押す。選ばれたペットボトルをしっかりと、リレーのバトンのように握り、僕は自分の荷物が待つ席へと戻った。列車は僕が座って数分後に動き始め、窓には一本のペットボトルが置かれていた。

遠軽駅

遠軽町の町の灯りがすぐに尽きると、外は暗くなり、窓には自分の顔が写り込むだけである。暗闇の中、これから石北本線の線路は山間を縫うように走り、終点・札幌を目指してひた走る。光を放つのはこの列車だけだ。北見峠を通り北見山地を越え、列車は上川町に放たれる。ここからは大雪山山系の雄大な山々を水源とする石狩川に沿って上川盆地へと進んでいく。その後は駅も多くなり、特急らしく豪快にそれらを飛ばしながら、桜岡駅を過ぎた辺りからは一目で大都市のそれと分かる夜景が見られるようになる。大雪山の麓に根を張り、石狩川の恵みとともに生きる人口33万人、北海道2番目の都市・旭川市である。石狩川を渡り、西から南へ九十度方向を転換、新旭川駅で宗谷本線を拾い再び石狩川を越える。線路はいつのまにか高架によって持ち上げられ、高層建築物が目立つようになる。列車が速度を落とせば、そこは旭川駅である。四時間半にも及ぶ石北本線の旅、そして釧路から一旦根室を経由して網走・北見とほとんど止まることなく移動し続けた長い今日が、車内アナウンスとともに終わりを告げていた。

旭川到着

僕は重い荷物を抱えて旭川駅の綺麗な高架ホームへ降り立った。僕を含めて十数人を降ろした特急オホーツクも、これからまだ一時間ほどかけて札幌まで進む。四時間座った列車と別れ、旭川市街に出た。

旭川駅
特急オホーツク
旭川駅外観

僕が泊まるホテルは旭川駅から15分ほど歩いた国道沿いにあるため、そこまで歩くことにした。旭川市は人口北海道2番目と書いたが、北海道は1番が強すぎて他が隠れているためそこまで知名度があるわけではない。しかし、やはり釧路や北見とは一線を画す発展様だった。僕が来た時はちょうど祭りの時期とかぶっていたようで、祭りの屋台でラーメンを食べた。やはり北海道では熱々のラーメンである。夏ながらひんやりとした風を長袖で防ぎながら、ラーメンのスープまで飲んだ。ホテルにチェックインした後はすぐに眠り、明日に備えた。

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