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美術が苦手でも「デザイン」はできる!

私は美術の授業が嫌いだった。

デッサンや粘土こねて作ったり版画とか、もうとにかくほんとうに嫌だった。学園物の夢をみると「絵の宿題を全くやってない夏休み最終日」と「体操服を忘れて焦る登校直後」は今でも悪夢の鉄板である(笑)。

苦手意識に加えて、先生とのコミュニケーションがなかなか取り難かった記憶がある。だから授業も嫌いだった。何をどうしていいのか分からなかった。もともと小学校の頃から算数や理科といったいわゆる左脳系と言われる勉強が得意だった。記憶することは苦手だったがクイズなどは得意で、頭の体操系はすらすら解いていたのは覚えている。

中学の時に「屋上から見た街」というデッサン宿題がでた時に、部屋においてあった父親の卓上製図板(ドラフター)を使って描いた事がある。

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直線に見えるものを本当の直線で描きたかったのだ。

その絵(もはや設計図面)を見た美術の先生からは「書き直し!」と叱られたのは言うまでもない。今思えば、笑い話だが先生にはちゃんとデッサンと設計図面は違うんだよ、とその時に教えて貰えればよかったのにな、とも思う。

結局、私は理数系が得意なのもあって、大学では工学部に行き、情報工学を学び、そのまま電機メーカーであるソニーに入社する。まったく、ここまではデザインについては興味もないしセンスもかけらもない。

社内で色々な仕事につくうちに、UIの開発やアプリの開発に携わることになる。そして当時日本にはまだ馴染のない UX (User Experience) デザインという仕事にも関わることになる。ここで、社内のデザイナーと一緒に仕事をするようになり、心を打たれる。

デザインで人を動かすことができる!

どんなに能書きついて機能だ性能だを追求しても全部を人は理解できないことがある。しかしデザイン(ここでは見た目以外も含め)と共にしっかり考えると、イメージしやすかったり、理解しやすかったり、ワクワクを具体的に感じたり、と武器になることを知った。そもそも人の行動などにも興味があったのもあり、これまで会った人達とは異なる属性の人達との仕事は、新しい発見や価値観との出会いが多くて楽しかった。

だから少しでも自分の中に「デザイン」のスキルを習得したくなった。

とはいえ、全くデザインセンスなどない自分にも同じような事が出来るだろうか。あの学生時代の美術の授業のトラウマが蘇ってくる。

時代による技術の進歩はありがたいものである。デザイナーが作ったセンス良いパワーポイントや Photoshop のファイルなどを見ると、創りかたがみえてくる。そう、まずは解析した。そして、あれこれ自分なりにアレンジしてみた。それだけで、良さげなのが出来て最初は満足していた。

同じチームにデザイナーがいたことで、「ここに余白をいれるともっといいよね」といったノウハウを吸収できたのもありがたい。また、同僚のデザインの添削も非常に良かった。

そうこうしていくうちに、色々と規則的なこと、鉄板、理論がそこにはあることも分かってくる。こうなってくると楽しくて仕方ない。

これらの作業は、エンジニアでも行うことだ。プログラミング習得するのに、他人のソースコードをトレースしたり、ペアプロ(ペアプログラミング)するが、まさにそれをデザインの領域でもやってみただけだ。

2014年に私は起業した。ネオマデザイン株式会社という社名だが、「デザイン」という文言が入っている。この社名に入っている「デザイン」は、「創る」という英語の意味だが、「デザイン=絵を描く」と捉える日本人は多い。

起業時は、会社のパンフレットやWebサイトを私一人でデザイン・監修した。それぐらいデザインには拘った。いまでも仕事上でアートディレクションをすることもあり、「さすがデザイナーですね」と言われることがある。美術の成績が最低だった子供時代を考えるとなんだか不思議な気持ちだ。今でも両親は、私に影武者デザイナーがいると思い込んでるぐらいだ(苦笑)

今やネット上にデザインを学べる教材は多い。良くメーカーなどにいくと、「エンジニアなので右脳使うデザインはちょっと・・・」と謙虚される人がいるが、それはちょっと違う気がしている。エンジニアだって右脳を恐らく使うことはあるだろうし、デザインを考えているときも論理的に考える、左脳優先なときもあると思う。

なお、私自身、「デザイナーです」と言った事は(恐らく)ない。

本当のプロのデザイナーの中で揉まれ、彼らに学び、彼らを指揮するまで行ったが、まだまだ彼らには到底まだ及んでないと日々自覚するからである。

余談)
私は小学生時代に海外に居たことがあるのだが、そこでは図画工作の授業はわりと自由にすきな題材で「デザイン」できた。日本と違い道具がなかなか手に入らない場所(アフリカ)だったというのも理由だろう。読書感想文が苦手だといったら、先生は絵とかなにかにしてみたらと言ってくれて、珍しくその思いを絵にした。結果的に、その絵で何か賞をもらったのを今でも覚えている。ただ、その後、日本に戻り「美術」という授業の枠に入れられたことで、一機に美術嫌いが進んでしまう。日本でも、個人の色々な才能を旨く伸ばしてくれるような授業が増えることを望む。



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