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苦手意識は自分自身を知るための大きなヒント(前編)

先日のエントリーで、ずっと苦手だと思っていることは本当は「好きなこと」かもしれないという内容を書きました。

苦手だと思いつつも意識が離れないということは、関心がある、興味があるということでもある、という内容ですが、もう一つ、苦手意識を持ち続けてしまう理由があります。それは「やらなければいけない」と思い込まされているということです。

興味を持つことに論理的な理由はいらない

何かが好きである、興味があるというのは感情です。感情は直感的なものなので、気持ちがいい(気持ちがよさそう)、おもしろい(おもしろそう)といった自分のなかから湧き上がってくるものです。

一方でなんらかの理由がある場合があります。仕事の役に立ちそう、友達のあいだで流行っている、知らないと恥ずかしい、そういう時代だからなど理由はさまざまです。

この場合の「興味」は自分の中から生まれたものではなく、外から与えられたものです。「○○できたほうがいい」と思っている場合は何かを有利に進めたいという背景があり、純粋な興味関心というよりは打算に基づいていると言えます。

目的ありきの興味はあくまでも手段のひとつ

私の場合、法律に関する知識がこれに当たります。仕事上で契約に関する業務を担当することになった際、もっと法律の知識があったほうが仕事の役に立つかもしれないと思って勉強を始めました。

会社から勉強するように言われたわけではないので、私としては「自分で興味を持ったもの」と認識しています。ただ、その興味はあくまでも「仕事のため」という目的によるもので、自分自身の中から湧き上がってくるものではありませんでした。

知識が身についたことで仕事には役立ちましたし、それによって自分自身の幅も広がりました。しかし法律の仕事をしようとは思いませんし、それどころか今も法律には苦手意識を抱いたままです。

法律に限らず、身につけておいたほうがよいと言われるもの、たとえば語学や教養、ビジネススキルやITスキルの習得などは同じように「何かの目的を達成するための手段を身につけたい」ということであって、純粋な興味関心とは少し違います。

スペックの一つとして考えている場合は要注意

外から与えられる興味関心かどうかを見極める一つのヒントは、その事柄をスペックとして考えていないかどうかという点です。

スペックとはもともと、主に製品やサービスの仕様や性能を表す言葉でしたが、最近では人の強みや有能さという意味でも使われます。英語ができる、プログラミングができる、法律の知識がある、何か特定の分野に詳しいなどは、その人の有能さを示す要素です。

これらを身につける過程で感じる苦手意識は、本当は好きなのに別のネガティブ要素が邪魔をして苦手意識を抱いているのとは逆で、本来はあまり興味がないのに無理やり興味を持とうとしているために本心が反発しているという状態。

いずれにせよ、苦手だという漠然としたイメージを分解することが必要です。何が苦手なのか、なぜ苦手なのか。その理由が「実はあまり興味がない」だった場合はいったんやめてみるというのも一つの選択です。やめてみることではじめて自分の気持ちが見えてくることもあります。

苦手意識を抱いたらまず冷静になる

苦手意識を抱いているときは、すでに自分の中に壁ができてしまっています。人づきあいも同じで、苦手だなと感じている人に対しては、あらかじめ構えてしまうと思います。ほかの人であれば気にならないようなことも、その人の言動だといちいち意味を勘ぐったり顔色をうかがったりしてしまうという経験がある人は多いはずです。

苦手な人や場面に遭遇したとき、私がとる対処は2つ。自分の思い過ごしかもしれないと冷静になってみることと、あえて興味を持たないように自分の気持ちを遮断することです。

まず一つめ、これは自分を観察するとも言い換えられます。苦手だと思っているのは何かの誤解や思い過ごしかもしれない、あるいは何か別のことが影響しているだけかもしれない。自分の気持ちを落ち着いて整理してみるとヒントが見えてくることがよくあります。

ちょっと長くなってしまったので、続きはまた明日。

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