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人工関節置換術

2021年1月17日深夜、自宅で転倒。
翌18日、救急車にて病院へ。
診察の結果、左大腿骨骨頭骨折で1日おいた20日に手術とのこと。

入院が決まり、病室まで付き添わせてもらいました。痛みはあっただろうに、そこまでの母は、連絡するべき人などを伝えたり、持ってきて欲しいものを指示したりと、いつも通りの母でした。

手術は、翌々日で、コロナ禍で面会が出来ないため「明日は来れないよ」と言う私に、「わかってるよ」と、ちょっと諦めモードで答えていました。

病室に母を残し帰宅した私は、昨晩からの長いようで短い1日を振り返り、ぼんやりと過ごしました。翌日、まだ手術前でベッドに寝たきりの母は、どうしているのだろう?と気になりながらも、コロナ禍で会いに行くことは出来ず、初めて「コロナ」という流行り病を身近に感じました。
通常なら、面会に行き、あれこれと世話をしているはずなのに…。

翌20日、いよいよ手術当日。手術前、少し面会出来ると聞いていたので、時間より早めに病院へ行きました。受付で名前を告げ、待っていると、担当の先生がみえ、母が少し混乱しているが驚かないようにと言われました。高齢者にはよくあることだそうです。少し不安な思いでいると、ベッドに横になったまま看護師さんたちに運ばれてきた母は、私を見つけて、軽く手を振ってくれたので、ホッとしました。先生から、母は、左股関節骨頭が折れており、手術で、人工関節に置き換えるとのことでした。先生がベッドの脇で説明をして下さっていると、突然母は、自身が数年前に手首を骨折して手術をした話をとうとうと話し始めました。「そんな話はいいから」と、制止すると、今度は、今まで「先生」と認識していた先生に対して、「お兄ちゃん、来てくれたの?」と言い出す…。明らかに混乱している様子を目の当たりにし、困惑しました。でも、正直なところ、心の片すみで、メガネを掛け、ちょっとだけ前髪が後退している先生を、母が、兄と勘違いしたことに、クスっとしていた私です。

手術室前まで同行し、「頑張ってね!」と声を掛け、その後、2時間ぐらい待っていました。
母は、元来、健康ではありましたが、加齢とともに、高血圧、狭心症が持病となり、体重過多のために膝も悪く、ここ2年ぐらいは杖を使うようになっていました。それらの持病のために、何度となく入院したり、また転倒により慢性硬膜外血腫の手術を受けたりしてきましたが、その度に、嘘のように回復してきました。
そんなこれまでのことをボンヤリと思い返しながら、「今度は大丈夫だろうか?」「また歩けるようになるのだろうか?」「もし、このまま歩くことが出来なくなったら、家の中でどのようにしたらいいんだろうか?」と、不安な気持ちがあったのも事実です。でもまさか、今のような状況になるとは、考えてもみませんでした。

手術が終わり、ベッドのまま母が戻ってきました。すでに麻酔からは覚めているとのことでしたが、多少、ボンヤリとした状態でした。「気分はどう?」と訊ねたのですが、母は、ただ頷くだけでした。
明日からは、面会出来ないと思った私は、母にそのことを告げ、電話を掛けるように念を押しました。母のスマホを取り出し、私への掛け方を、再度説明しました。おそらくその時の母の状況では、まったく意味のないことだったと思います。

母に別れを告げ、病室を出ると、看護師さんが「ソーシャルワーカーからのお話があります」と言ってきたので、教えられた部屋を訪ねました。
部屋には二人のソーシャルワーカーさんがみえ、今後のことを説明してくれました。翌日からリハビリが始まること、退院までには3,4週間かかること、それまでに歩行が上手くいかなければ転院が必要なこと等を聞きました。
私は、我が家がマンションで3階まで階段で上り下りをしなくてはならないので、入院が長引いても、そこまでやって欲しいと伝えました。すると、ソーシャルワーカーの方が言われました。
「そうですね。そこまで回復すると良いのですが、お母様の場合、高齢でいらっしゃるので…。もし、万が一、無理な場合は、施設に入所されることもお考えになられたほうが…。」
頭の奥の方から暗闇が迫ってくるような感覚に襲われました。

※写真は、退院時に渡された母のレントゲン写真です。


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