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「スキップとローファー」その2

一度読んで以来「スキップとローファー」のことを考えている。

人の本当の価値や心と自然の関係に触れている作品に思えるから。

この作品って多感な高校生達の人間関係がテーマなのだろう。
自分にとって良い友人や彼氏彼女が欲しい。だけどそこには自分の身の丈やグループ(多人数)という難しさがある。
自由にやりたい年頃なのに、気にかけなければならないことが多いのだろう。

そんな環境に、田舎で生まれ育った主人公「岩倉美津未」は飛び込んできた。

自然が多い環境で育ってきたことで、都会育ちの子達とは持っている概念や感性が違っている。
美津未の中学時代は人口が少ないせいか、出会った人たち皆が友人だった。わざわざそこを説明する必要もなく、一昔前は地域の人たちと親しみを持って生活をしていた。それを今も残しているのが美津未の地元なのだろう。

美津未の田舎では他人との境界も少ない(人を区別せずに遊びに誘ったりするし大人と子供の境も少ない)。友人のふみちゃんを見ていると分かるが、他人の敷居を当たり前のように踏み越えてくる(しかし優しさでもって)。
集団で生きることを本質としていた人間とは、もともとこういう物だったのだ。

美津未は都会の学校では少し異質な存在として扱われる。
しかし、よくよく読んでいると美津未は結構常識的で、きちんと他人の気持ちに配慮したり、規則を逸脱することもなく真面目だ(ただ情緒が豊でそこを隠さない分浮いてもしまうのだろう)。
そして大事なことに、善悪を感じる感性がきちんと働いている。濁っていないので鈍っていない。

それに比べて登場する都会の高校生たちは敏感に過ぎる。
他人の目や反応を意識し過ぎていたりする。他人にどう思われるか気にし過ぎるので言動や振る舞いを抑制する。カーストという幻想にとらわれ自分のポジションに敏感だ。

周りの高校生が抑制することを当たり前とする中、美津未はそこに反発することも同調してしまうこともない。
そのままの自分で溶け込めるのは、もともと美津未が持っていた物が正しいからだ。

周りの高校生たちだって、好きで周りに合わせている訳ではない。高校生活という環境への適応なのだろう。
スマートな態度や言動を取る人間を正しく識別して、そこを評価して好感する。人を判定することに対しては、大人の社会よりもシビアにやっている。

人から良く思われるには、少し成熟した態度を取れれば良いのだろうけど、それにはその人が持っている自信(外見や学校内での評価)やそれまでの経験も関係して来るから簡単には行かない。自分が望むように他人の評価は得られない。

一見、美津未は素朴過ぎて幼くも見えるだろうが、その育ってきた過程は愛と自然に恵まれている。家族や地元の友人からの愛も現在進行形だ。
他人に愛されて来た美津未は、人が持つ強い力を心の奥底で備えている。周りのことを感じ取りながらも臆せずに自分の使命をやり通す力を持っている。

周りに優しく、成績優秀、生徒会の活動など裏方でも自分の仕事はきちんとこなす。文化祭の打ち上げの誘いも志摩君がいるのに、自分の仕事優先であっさりと断る誠実さがある。美津未の価値は計り知れない。

偶然の出会いから美津未との距離をあえてつめた志摩君は、安心して関われる人間(自分を利用しようとしない)を求めていたのかも知れないし、美津未の価値に気づいている(兼近先輩いわく頭がよい)。

ただの恋愛漫画にならないこの作品は、一時の恋ではなく、関係を長く持ちたいと思える人間を描こうとしているのかも知れない。


ばらばらとまとまりのない文章となってしまいましたが、「スキップとローファー」はこれまでにない漫画に思えます。

アニメも面白かった。

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