岩手にて。
大学のリトリートプログラムで、岩手県に行ってきました。これまで東北に足を踏み入れたことがなくて、震災が起きてからも行ったことがありませんでした。
今は新幹線の中です。
気持ちを整理しきれず、noteに書き起こしています。
参加したきっかけ
今回私がこのプログラムに参加したのは、行ったことのなかった岩手に行ってみたかったのと、積極的に大学の様々なプログラムに参加してみたいと思うようになったこと、そして、これまで3.11の被災地に赴いたことがなかったことが理由です。
一度は行きたいと考えていたのに、思ってから実行に移すまでに8年半もかかってしまいました。
noteに書き起こすこと
リトリートでは、一泊二日という短い時間の中で様々なプログラムが組まれていました。
1日目の午前から午後にかけては『三陸園』という老人ホームに世話になりました。
その後、震災当時中学生だった菊池のどかさんにその時のお話しや今の取り組みについてお話ししていただいて、当時の避難経路を辿りました。
ホテルでは、夕食後にDVD「釜石の奇跡」を鑑賞し、東京女子大学のOBである細江絵梨さんに釜石の地域づくりの取り組みについて語っていただきました。
2日目は、朝からおらが大槌夢広場の神谷未生さんに決断のワークショップを開いていただいて当時の発災状況について考えました。
その後、私は漁船クルーズを体験し前川さんという漁師の方から現在の漁業の状況や当時と今の堤防などのお話をしていただきました。
昼食後、浪板海岸から三陸鉄道に乗り、現在新幹線の中です。
かなりタイトなプログラムではありましたが、得るものは本当に多かったです。
だから、この思いを忘れないうちにどうにかアウトプットしたくてこのnoteに書くことにしました。思うこと、感じることが多すぎて自分では消化しきれなくて整理するためにこの気持ちを文字にして書き起こします。
聞いていて、感じたこと
菊池さんから当時のお話を聞いた際に、
「避難訓練はしていた。どのように避難するのかとか話合いをした。高齢者はどうするかという話も出た。だけど、
来年やろうって言って、来年がなかった。気づいてたのに、やらなかった。」
私だと思いました。
また後でやればいい、明日やればいい、どうせなんとかなる、大丈夫‥
この後があること、明日があること、来年があることを当たり前に思ってるけどそれが当たり前だって何を持って言えるのか?何の確証があるのか?
それを改めて考えさせられた。日常生活を送る中で危機管理が麻痺してる。
今回、皆んな口を揃えて、
「様々な災害が起きている中で、人が逃げないことに問題がある」
と言っていました。
「逃げるしかないって8年前から私たちは声をあげているのに、自分たちの行動に移そうとしていない」
「知ることと行動に移すことにすごいギャップがある」
これは神谷さんの言葉です。
神谷さんは、学んでもらうだけではなんの意味もなくて、それを実行に移さなくてはならないと教えてくれました。
そのためにも、考えたこと思ったことを忘れないうちに今こうしてnoteに残します。
私の頭の中から離れなかったこと
このプログラムの間、本当に思うことがたくさんありました。
「当時私は何をしていた?」
「私だったらどうしていただろう」
「逃げるという選択ができるだろうか」
「周りの意見に流されないか」
「自分の住んでいるところの防災は?」
「家族とちゃんと話しあったことはあったか」
「震災が起きたらどこへ逃げるべきなの?」
「そもそも、私の地域は海からどのくらいなの?」
「どういう思いでお話ししてくれているのか」
「私たちがこうして話を聞きにきていることを、町の人たちはどのように思っているのだろうか?」
「今の私に何ができるのか」
途切れることがなく、私の頭の中では様々なことが飛び交っていました。
途中から、どのような気持ちでこのプログラムに参加すればいいのか分からなくなってしまいました。
特に、神谷さんのお話を聞いた後はとても複雑な気持ちでいました。
「私たちがこうして来ていることにどのような意味があるのだろうか」
この考えが、ずっとずっと頭から離れませんでした。
私たちが学びに来ることで当時のことがフラッシュバックしてしまう人がいるのではないか、私たちが当時のことを学び来ていることをよくないと思っている人がいるのではないか、みんなどんな思いで私たちをもてなしてくれているのか、ぐるぐる考えて止まらなくなりました。
実際に、観光バスと大槌町の旧役場庁舎跡で話を聞いている私たちを見てどうしても辛くなってしまう人がいるということも聞きました。
未だに消化しきれないけど‥
同じ国のなかで起きていたことだったのに、私はどれだけ無関心だったのか気づかされました。当時は私のところじゃなくて良かったとか、考えていたんじゃないかと思いました。
地震があった直後はたしかに被災地のことを気にしてはいたけど、そのあとは?普通にこれまでと変わらない生活をしていたと思います。普通に学校へ行き、友達と遊んで、家族みんなで食事をして、暖かい布団で寝て、いつもと変わらない朝を迎えていました。
私も、私の周りの大人たちも。
今回の訪問で、私がまずしなくてはならないことは家に帰って「もし」について家族と考えることだと思いました。
そして、震災のとき家族を信頼して自分の身は自分で守るシステムを作ること。
まずはこれをしようと思います。
まだまだ、これには書ききれなくて整理できていない部分がたくさんあるので、また書こうとおもいます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?