物事の2つの考え方


物事には基本的に2つの考え方がある

人の性格上、2つの考え方があるように念う。一つは、大局的な物の見たか、もう一つは小局的な物の見かたである。例えば、なにか分からないことがあるとする。そのときに、論理で理詰めで結論に至ろうとする人もいれば、ある物事が閃くまで待って、一気に結論に至ろうとする人がいる。初めの理詰めで結論に至る思考法を小局型、閃くのを待つのを大局型という様に考える。

なぜこれが小局型と大局型なのか

ではなぜその思考法が小局型と大局型と呼ぶのことにしたのか。小局とは一般に小回りの聞くことをいう。細部に目を配れるのが小局である。一方、大局とは、全体を見透せる鳥瞰的な見方である。細部を詰めて、その結果結論に至るのが、小局に似ているし、はじめに全体を見通す、その直観力が、大局に似ている。だから、それを小局型と大局型と名付けた。

数学は小局型、物理学は大局形

一般に数学と物理学は似てると思ってる人が多い。数学の応用が物理学のように思われているのだと思う。ところが、その実、その思考法は異なる。むしろ反対の思考法なのではないかとも念う。数学の場合、頭は白紙の状態から理詰めで結論に至るが、物理学の場合は、まずは現象がある。もしくは現象を想定する。だから、頭の中が白紙というわけにはいかない。初めに全体があるのである。この数学の理詰めで考えるのは、先に述べた小局型に似ているし、はじめに現象があるのは、一気に結論に至る、大局型に似ている。だから、数学は小局型であり、物理学は大局型なのである。

自分の特性を知る

人には2つの考え方があると言った場合、自分がどっちなのかと考えてみるのは面白い。先のひらめくまで辛抱強く待つタイプなのか、とにかく手を動かして、結論にいたろうとするタイプなのかは人による。その人にあった方法でいいと思うし、こういうのは強要することでもないと思っている。勉強法にしても自分でうまく行ったからという理由だけでそれを強要する教師も中にはいるが、そういうのはいいことではない。その人にあった特性の思考法、これを大雑把に2つに分類したが、細かく見れば十人十色であるのは言わずもがなである。その特性を掴むというのは長く勉強するうえで大切なことなので、一度自分を見直してみるというのもいいかも知れない。

なぜこのようなことを考えたのか

もともと「考えるとはどういうことか」ということに興味があった。その興味の赴くままに認知科学の本を読んでみたり、評論を読んでみたり、記号論の本ゆ数学の本や物理学の本を読むうちに、この2つに学問は分類できるのかもしれないとふと思った。そういう興味のまま考えたのが、先の2つの分類であった。その後、ノーベル化学賞の福井謙一も同じことを言ってることを見つけ、こんな偉い人とおんなじことを考えていたんだなと嬉しく思ったのを覚えている。参考になるかどうかは不明であるが、勉強の励みになる人がいれば嬉しい限りである。

鳥瞰的な見方のイメージ

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