着られる服はパヴァロッティのお古だけ
『今夜は自分がデブに思えたわ。今私が着られる服はパヴァロッティのお古だけ』 (『ラブ・アクチュアリー』2003年)
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ルチアーノ・パヴァロッティは「神に祝福された声」を持ったテノール、オペラ歌手。威厳ある王様からコミカルな農夫役まで、人々を魅了したのは、美声はさることながら、あの大きな大きな身体とそこから滲み出るアンバランスなキュートさのゆえだったろう。コンサートではいつもライナス(“Peanuts”)の安心毛布よろしく、白いハンカチを手にぶら下げて、おでこの汗を忙しく拭っていた。
ところで、世の夫のみなさん、パヴァロッティのような大男のお古しか着られる服がないわ、と奥様が言う時、その心は何を求めているのであろうか。推察して、無責任に対策を提案してみる。
ケース1。文字通り〈メンズのXLサイズ〉でさえ着用困難となってしまった場合。溢れる愛で洋服代を奮発してあげて下さい。パバロッティの服はお古とは言え、(きっと)オートクチュールです。
ケース2。比喩表現としてこのセリフが使われた場合ーー確かに結婚したときのウエストはどこへ?という程度にふくよかになってはいても、「パバロッティのお古」なんて例えが行き過ぎで、もはや例えていることすら分かりかねる、という場合ーーこれこそが要注意です。過剰な比喩は奥様の心の揺らぎを表しています。求めているのはただひとつ。夫の、心からの「ダーリン、君はいつでも綺麗だよ」のことばと、海より深い誠実さです。
ところで、前出の映画の中で、夫はなんと答えたか?
『彼(パバロッティ)の服は趣味がいいよ』
もうダメダメの論外である。妻は夫の浮気(の種)を察知し、ざわざわする気持ちと葛藤しながら、可愛くも突飛すぎる、件のせりふをはいてしまったというのに。夫の愚鈍さが際立つ。
せりふがこのシーンを私にとってとても印象的なものにしている。このあと妻の理性が、崩れかけながらも踏み止まり、柳腰の若い娘の色香に当てられた夫にズドンと五寸釘を刺す。それでもなお、何のことだか、という風情の夫。夫が自分で気づくよりもずっと前に、妻は気づいてしまうのだから仕方ない。女の勘は氷柱より鋭く、ワーディングの感性は予測不能に香ばしいのだ。
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