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[書評]宇宙人と地球人の解体新書

松久 正『宇宙人と地球人の解体新書 魂・心・身体のしくみ』(徳間書店、2021)

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極意は ぷあってパラる、すなわち、ぷあパラ

宇宙人になるために一番大事なこと。それは、最後にどうありたいかを何となく設定し今の状態が最高と思っている (「ぷある」) ことであり、そうしていると、パラレルになる (「パラる」) という (第5章)。

おそらくは、ふつうの言葉では表現できない境地をさすのだろう。だから、「ぷある」と「パラる」のことばが使われている。

本書では、このあたりの記述が、それでも最もやさしい部類に属する。1-4章はこの結論へ導くための基礎的記述が、まるで解体新書のように続き、宇宙人について「医学的」な概観が述べられる。控えめに言っても、「ぶっ飛んだ」内容であり、おそらく地球上の医者でここまで体系的に宇宙人の解剖学的所見を有している人はいないだろう。著者は医師である。

本当は、米国のロズウェルに落下した飛行体から回収した宇宙人を詳細に調べた研究者たちは、ある程度のことは知っているであろうが、その知識はそれらの個体から推し量れるベーシックな内容を超えることはないだろう。本書はもっと高い立場からの俯瞰的内容を含む。

そういう解剖学的なことよりも、むしろ、もっと興味深いのは「パラる」のほうだ。パラレルになるとは、どういうことか。それは、簡単にいえば、可能な平行的世界に存在することだ。どの平行宇宙に存在するかを自由にコントロールできるようになるのが目標である。

この方面の話題は、さまざまの違う言葉遣いで色々な人が論じている。

最近、多い議論は「世界線」の議論で、それは時間に関る。自分と他人が違う世界線 (タイムライン) に乗っていることに気づいたという話がよく議論されている。異なる世界線を乗換える人もいるという。異なる世界線どうしの人が話し合うと、当然だと思っている過去の出来事が違っている。おそらく未来も違う。

その時間の問題を物理学的に捉えておけば、本書の議論の理解が深まるだろう。本書では時間はほとんど扱われていないけれども。

量子物理学的な時間論において画期的な見解を提出した英国のサー・アーサ・エディントンおよびそれに理解を示した日本の湯川秀樹が到達した時間の理解は、本書の平行世界の理解を著しく進める。時空を自由に行き来するとはどういうことかの物理学的理解も進む。

エディントンの時間観は、量子物理学の基本であるシュレーディンガー方程式の複素数の理解について踏み込んだもので、過去から未来への流れだけでなく、未来から過去への流れも考える。その二つが合流するポイントが現在である。

この〈現在〉の理解は本書にも通じるし、また、おそらく神道でいう〈中今〉にも通じるだろう。

もう一つ、イエスの問題もふれないわけにいかない。ユダとイエスの関係について、本書には驚くべきことが書いてある。それが真相であり、ローマ帝国は統治に都合が悪いその部分をわざと書き換えた聖書を作らせたという。

この聖書の書き換えの問題は、宇宙人の問題を論じる人々が時に話題にする。リーサ・レネイなどがそうだ。レネイの見解はグレゴリー・サリバンらが引用するので、日本でもある程度知られている。

このように、本書は一見すると、ぶっ飛んだ内容をぎっしり詰め込んだ内容に見えるが、冷静に観察すると、世界には同様の、あるいは同種の議論をしている人々が少なからずいる。ということは、この内容は、荒唐無稽なものではなく、多くの人が認識している、ある種の根拠に基づくのかもしれない。そしてその根拠から導かれる世界は広く深い範囲に及び、今後、研究が進むにつれて、ますます明らかになることが期待される。

#書評 #松久正

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